2008年4月18日 (金)

研修会に参加して

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 研修が多い。
 
 自分の仕事は、いろいろな情報をもっている必要があるので、年度当初に研修をしていただけることは、たいへんありがたい。
 
 昨日も、ある研究者の方から、授業研究の在り方や、指導主事としての学校へのかかわり方について、示唆をいただいた。
 
 非常に、興味深かった。
 
 
 
 豊富な情報量と高い経験値をもつことは、個人の資質・能力の問題ではないと、近藤は思っている。
 
 努力して情報を得、一つひとつの出来事を考えながら経験値を上げていくことは、誰でもできるはずだ。
 
 これは、近藤の「学習感」でもある。
 
 
 
 今日も、研修がある。
 
 興味深いテーマでもあるので、しっかりと研修を深めたい。
 
 そして、研修で学んだことを、具体的に、学校に、子どもに返していきたい。
 
 

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2008年4月17日 (木)

校長先生方との話を通して感じたこと

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。
 
 校長先生方とお話しする機会が増えた。
 
 校長先生方は、現場の最前線で、常に緊張感をもって子どもの教育にあたっている。
 
 話していると、「『現場』の抱えている問題」が、たくさん見えてくる。
 
 事件は、「現場」で起こっているのだ。 
 
 
 
 また、校長先生と話していると、「現場」のすばらしさも、たくさん感じることができる。
 
 子どものすばらしさ、保護者のすばらしさ、地域のすばらしさ、職員のすばらしさ…。
 
 「『日本の学校』のすごさ、すばらしさ」も、たくさん見えてくる。
 
 
 
 近藤が、こう感じるのは、「現場」を、少し離れた場所から見ることができるようになったからであろう。
 
 
 
 「現場」の喜びを共有し、「現場」の問題解決のために、知恵を出し、行動する。
 
 難しい仕事であるが、日々、努力していきたいと思う。

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2008年4月16日 (水)

一日人権研修

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。
 
 一日、人権研修を受けた。
 
 講師の先生の話を聞いたり、グループで話し合ったり、演習題を作成したりした。
 
 昨年度も、人権指導者養成講座という研修を年間を通じて、受講した。

 
 
 グループ協議で、ある先輩が
「毎年、人権研修を受けている。そのたびに、スタートラインにいるような気がする。成長していない自分が恥ずかしい。」
という主旨の発言をした。
 
 これは、近藤の、人権研修に対する「もやもや」した気持ちと一致していた。
 
 つまり、人権研修は、「学習した実感」が伴わないのである。
 
 
 
 グループ協議は、おもしろかった。
 
 さすが、指導主事という仕事をしている方々である。
 
 豊富な経験と、高い見識と、それを語る言葉をもっている。
 
 知的な刺激を受けて、近藤も、いろいろ考えた。
 
 うんと、考えた。
 
 
 
 研修が終わって、気がついた。
 
 人権研修における「学び」は、いわゆる「積み上げ型の学習」とは違うのだ。
 
 近藤は、人権研修を受講して、新しいことを知ったり、とるべき態度を教えてもらったりすることを期待していたのだ。
 
 もちろん、そういう側面もあったが、それよりも大切なのは、「自分の頭で『人権』ということについて、考え続けること」だということに、気がついた。
 
 これが、昨日の人権研修の最大の収穫かもしれない。
 
 
 
 身近な出来事、具体的な場面を通して、これからも「人権」ということについて、考え続けたい。

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2008年4月14日 (月)

現場主義

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 11日(金)には、ブロックセンター校(小学校)に、挨拶に行く。
 
 昨日は、残務整理のため、前任校に行く。
 
 
 
 学校という空間にはいると、「ほっ」とする。
 
 しかし、ある種の緊張感も感じる。
 
 まさに、「現場」のもつ、独特の緊張感である。
 
 
 
 2週間前までは、何も感じなかった。
 
 当たり前の空間だった。
 
 近藤の感覚は、少しずつ、「現場」から離れてきているのかもしれない。
 
 
 
 しかし、「現場」にどっぷり入り込んでいると見えなかったことが、少し離れると見えることもある。
 
 要は、バランスであろう。
 
 
 
 「現場」にいるときは、「学校外の方は、どのようにとらえれるか」ということを意識して仕事をしていた。
 
 今度は、「『現場』では、どのようにとらえるか」ということを意識して仕事をしなくてはならない。
 
 
 
 横浜市教育委員会の「平成20年度 重点政策」には、「教育行政は『現場主義』に徹します」とある。
 
 その急先鋒が、今の自分の仕事なのだと思う。
 
 「現場主義」を、常に意識したい。
 

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2008年4月12日 (土)

ブログとジョギング

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 ジョギングをした。
 
 早朝、45分くらい、ゆっくり、ゆっくり、季節感を味わいながら、走る。
 
 気持ちがいい。
 
 
 
 仕事が変わったので、生活習慣も、変わった。
 
 食生活も、変わった。
 
 ストレスも、多い。
 
 この仕事になると、生活の変化から、4・5月に体調を崩す方も多いと聞く。
 
 ライフスタイルが、変わってしまうのだろう。
 
 
 
 自分のライフスタイルは、大切にしたい。
 
 近藤のライフスタイルの基本は、「運動」と「言葉(活字)」を生活に組み入れることである。
 
 
 
 「運動」では、休日のジョギングや草野球やスキーやサッカーなどである。
 
 そして、「言葉(活字)」では、このブログである。
 
 
 
 このブログに言葉を綴るという行為は、近藤にとって、大切なライフスタイルの一つである。
 
 
 
 ジョギングも、ブログも、気持ちよく楽しみたいものである。

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2008年4月11日 (金)

振り返りを生かして

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 「学校体育安全研修」の講師をした。
 
 講師といっても、グループ協議のまとめ役である。
 
 この研修は、悉皆(しっかい)研修(すべての学校から必ず一人以上参加する研修)である。
 
 
 
 学校数が多いので、同じ内容の研修を5日間にわたって実施する。
 
 近藤は、その中の3日間、お手伝いをしている。
 
 
 
 研修が終わった後、簡単な感想や研修で学んだことなどを書いて提出してもらっている。
 
 初日の感想を読んで、思った。
 
 
 
 悉皆研修は、「やらされ研修」になりやすい。
 
 「やらされ研修」は、実りも少ない。
 
 だから、グループ協議を取り入れるなど、方法も工夫している。
 
 先生方に、「自ら学ぼうとする気持ち」になってもらわなくてはならない。

 だから、近藤の仕事の一つは、この研修の目標や必要性・重要性を伝えることだ。
 
 
 
 あれ。
 
 これって、授業と同じだ。
 
 そうである。
 
 研究会の講師の仕事は、ある意味で、その講師の「授業の力量」が問われているのである。
 
 
 
 そう考えると、俄然、気合いが入る。
 
 今日も、3回目の講師の仕事がある。
 
 昨日までの振り返りを生かして、がんばろうと思う。

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2008年4月10日 (木)

大量の文書

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 年度当初、文部科学省や県の教育委員会からの配布物が、市教育委員会に、大量に届く。
 
 横浜市の場合、送られてきたものを、小学校346校、中学校145校に配布する。
 
 今日は、全教職員配布資料の配付の手伝いをさせていただいた。
 
 横浜市は、小中学校の教職員が2万人くらいいるそうだ。
 
 学校別に分けて送付する作業をしたが、およそ半日かかった。(小学校分だけである)
 
 
 
 学校現場は、さらに、たいへんである。
 
 年度当初は、教育委員会だけでなく、多様な業者や団体から、大量の文書が送られてくる。
 
 多くの場合、この配布や担当者への振り分けを、副校長先生がなさっている。
 
 
 
 大量の文書と格闘しながら、ふと、「、子どものために必要な仕事って、実に、いろいろあるもんだなぁ…。」と考えていた。
 
 
 
 毎日、いろいろな気づきや発見があり、魅力的な仕事である。 
 
 

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2008年4月 9日 (水)

2つのコメント

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 近藤は、幸せ者である。
 
 
 
 昨日、前任校の離任式に参加した。
 
 強風、大雨の中、多くの保護者・地域の皆様に参加していただいた。
 
 そして、ブログにコメントをいただいた方もいた。
 
 感激した。
 
 
  
 さらに、前任校の同僚で、転勤してこの春から地元の小学校に勤務する先生からもコメントをいただいた。
 
 どこの地でも、教育に情熱を傾けている教師がいることを、書いていた。
 
 熱い思いを伝えてくれる後輩がいることも、幸せである。
 
 
 
 26年前、近藤は、教師を志した。
 
 22年前、運良く、教師になることができた。
 
 21年間、学級担任として、教師の仕事をしてきた。
 
 近藤は、「学校の先生」なのである。

 
 
 今の仕事も、「学校の先生」の仕事である。
 
 なぜなら、「指導主事は、大学以外の公立学校の教員をもって充てることができる。」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律 第19条 4 から抜粋)と、法律に書いてあるのだ。
 
 
 
 しかし、まだ、始まったばかりとあって、「学校の先生」であることを実感できる仕事は、少ない。
 
 そんな時に、この2つのコメントである。
 
 涙が出るほど、うれしかった。
 
 
 
 はやく、「学校の先生」としてのこの仕事に求められているものは何かを見極め、自分なりの目標を定めていきたいと思っている。
 
 あせらず、マイペースでね。

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2008年4月 8日 (火)

離任式の朝

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 ちょうど1年前。
 
 「離任式 前」「離任式」というブログを書いた。
 
 まさか、1年後に、また「離任式」をするとは、思っても見なかった。 
 
 
 
 複雑な心境である。
 
 これまで経験してきた「離任式」の気持ちとは、まったく、違う。
 
 個別にかかわった子どもは多いが、特定の学年を受けもったわけでは、ない。
 
 転勤先が、「学校」では、ない。
 
 「先生」でも、ない。
 
 
 
 微妙である。
 
 
 
 子どもたち、保護者・地域の皆様、校長先生をはじめとする先生方に、しっかりとお礼を言おうと思う。
 
 幸せな「副校長の一年間」だったことに対して…。 

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2008年4月 7日 (月)

新年度、本格スタート

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 昨日、前任校に顔を出す。
 
 日曜日にもかかわらず、多くの先生方が、仕事をしている。
 
 おそらく、この土日は、多くの学校で、時間外労働をしている先生方がいたのであろう。
 
 頭が下がる。
 
 
 
 仕事のじゃまにならないように、短時間で、失礼した。
 
 近藤の後任の副校長先生は、新任なので、離任式の日(明日であるが…)、引き継ぎの時間を設けることにした。
 
 
 
 そうである。
 
 今日は、市内の多くの学校で、始業式、着任式、入学式がある。
 
 いよいよ、新年度、本格スタートである。
 
 
 
 近藤も、新しい職場で、今日が5日目。
 
 近藤が、今の仕事でできる「現場主義」とは、どんなことか。
 
 模索していきたい。
 

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2008年4月 5日 (土)

プラス思考

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。
 
 長い一週間だった。
 
 何も仕事らしい仕事はできていないのに、疲れた。
 
 
 
 近藤は、3月31日まで「県費職員」だった。
 
 「県費職員」とは、神奈川県から給料をもらう職員である。
 
 今は、「市費職員」である。
 
 「市費職員」とは、横浜市から給料をもらう職員である。
 
 その変更手続きの書類が、たくさんあった。

(近藤は、配偶者も扶養家族もないので、書類は少ない方であったが…)
 
 この手続きも煩雑だった。
 
 知らないことも、多かった。
 
 
 
 こんなのは、転勤慣れしたいる方にとっては、何でもないことかもしれない。
 
 さらには、企業を立ち上げたり、自営業で何から何までご自分でなさっている方にとっては、当たり前のことかもしれない。
 
 このこと一つとっても、「先生」という仕事の特殊性を、実感することができた。
 
 
 
 今回の異動は、「先生」という仕事を客観的に見ることができるという意味で、自分のキャリアアップになる。
 
 プラス思考で、考えていこうと思う。

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2008年4月 4日 (金)

現場の最前線

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 昨年の、今頃。
 
 近藤は、「現場の最前線にから遠のいた」という意識が、たいへん強かった。
 
 「教育現場の最前線」とは、「教室」であり、「教室」「学校」での「先生と子どもの教育的営み」であると、思っていた。(そして、それは、今でも、そう思っている)
 
 だから、新任の副校長になった、昨年の今頃は、「現場の最前線から遠のいた」と思っていた。
 
 
 
 しかし、今は、少し、考えが、変わった。
 
 今週の火曜日から木曜日までの4日間。
 
 近藤は、関内あたりのビルの会議室にいることが多かった。
 
 子どもの声は、聞こえない。
 
 子どもを見かけることさえ、少ない。
 
 すると、「子どもの顔を、毎日、見ることができていた副校長という仕事は、『教育現場の最前線』だったのだ」と、感じ始めた。
 
 
 
 最前線でがんばっているのは、教師である。
 
 これは、間違いない。
 
 しかし、そのすぐそばで支援している管理職(つまり、校長先生や副校長先生)も、最前線でがんばっているのである。
 
 
 
 昨年の今頃は、教室を恋しく思い、「副校長の仕事」に違和感を感じていた近藤だったが、今は、その「副校長の仕事」にさえ、憧れる気持ちがある。
 
 なぜなら、子どもの顔を見、声を聞くことのできる仕事であったからだ。(加えて言うと、職員がすばらしかったから、こういう思いをもてたのも事実である)
 
 
 
 でも。
 
 今の仕事は、現場の最前線でがんばっている先生方や管理職の方々の「後方支援」なのである。
 
 まだ、実感はないが、そうかんがえると、やりがいもある。
 
 
 
 最後は、「子どものため」。
 
 これだけは、いかなる職務を拝命しようとも、貫いていきたい近藤のスタンスでは、ある。

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2008年4月 3日 (木)

2日間で、少し、わかったこと

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 新しい職場で、2日目が、終わった。
 
 
 
 この2日間で、少し、わかったこと。
 
 「指導主事」という仕事は、「行政と教育現場をつなぐ」役割を担っているらしいということ。
 
 
 
 そんなことは、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律(いわゆる地教行法) 第十九条」には、書かれていない。
 
 
 
 しかし、昨日今日の訓話で、教育長さんも、小中学校教育課の課長さんも(「さん」づけでいいのかな??)、同じようなことを言っていた。
 
 
 
 「行政と教育現場をつなぐ」…。
 
 重責である。
 
 しかし、やりがいは、ありそうである。
 
 
 
 まだ、2日目なので、その役割を実感しているわけでは、ない。
 
 
 
 しかし、その言葉を信じて、「子どものために(この「子ども」という言葉が具体的なAさんを、Bさんを、Cさんを想定しての「子ども」でありたい)」、自分のできることをやっていきたいと、少し、思えるようになってきた。
 
 よいことである。

(つくづく、自分の順応性(いいかえれば「いい加減さ」)に感心する)
 
 
 
 でも、今日も、疲れた…。
 
 これで、近藤は、この仕事を続けることができるのだろうか???
 

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2008年4月 2日 (水)

初日

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 上履き、必要なし。

 湯飲み、必要なし。

 手帳、必要あり。
 
 
 
 近藤の仕事は、「区派遣」ということだった。
 
 横浜市では、各区に2名ずつ担当指導主事がいて、各区の学校と教育委員会事務局とのパイプ役をする。その担当だ。
 
 
 
 昨日は、一日、「みっちり」研修。
 
 近藤は、「初任」を2回経験している。
 
 「先生」の初任と「副校長」の初任である。
 
 どちらも、初日は、現場に放り込まれた感じだった。
 
 それに比べ、「初日」にいろいろなことを教えていただけるのは、ありがたいことだと思った。
 
 それにしても、ボリュームが多すぎて、近藤の頭は、パンク状態である。
 
 
 
 夜、「出発式」という、神聖なる儀式があり、そこで、「入社試験」を受けた。
 
 同じ課に勤める方々の素顔を垣間見ることができて、楽しかった。
 
 
 帰宅して、爆睡。
 
 やはり、疲労感は、大きい。
 
 
 
 昨日も、今日も、朝、ブログをアップしている。
 
 昨年度までと比べ、出勤時間が、1時間半くらい遅くなったのに、いつもどおり、6時前に起床して、時間をもてあましているからだ
。(加えて、夜、何時に帰ることができないかわからないからでもある…)
 
 朝、昨日のブログにコメントが入っていた。
 
 元の職場の同僚からである。
 
 
 
 何だか、「ほっと」した。
 
 後ろ髪を引かれる思いを自分の中で整理しながら、
今日も、しっかり、前を向いて、勤務に励みたい。

  

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2008年4月 1日 (火)

エイプリルフール?(その2)

<転勤のお知らせ>
4月より、横浜市教育委員会 小中学校教育課 指導主事の任を仰せつかりました。今後とも、変わらぬご指導、ご鞭撻、ご愛読をよろしくお願いします。

 いよいよ新年度が始まった。
 
 近藤は、「横浜市教育委員会 学校教育部 小中学校教育課」勤務を命じられた。
 

 指導主事として。
(これは、エイプリルフールの「うそ」では、ないようです。近藤も、なぜかわからないのですが…)
 
 「転勤」というより「転職」という気持ちである。
 
 
 
 以上は、昨年の4月の1日のブログはと、ほぼ同じ内容の書き出しである

(ただし、「小中学校教育課」の部分は「横浜市立桂台小学校」であり、「指導主事」の部分が「副校長」であった)
 
 
 
 昨日、NHK教育「わくわく授業」の再放送があった。
 
 そこでは、水泳指導をしている「先生だった頃の」近藤が映し出されたそうだ。(近藤は見ていないが…)
 
 ほんの、1年半前の出来事である。
 
 1年半前、近藤の仕事場所は「教室」であり、仕事相手は「子ども」だった。
 
 ところが、今日から、「先生」でもなく、「副校長」でもなく、「指導主事」という仕事についた。
 
 
 
 思うところは、ある。
 
 
 
 しかし、今日のところは、転勤のご報告だけしておく。
 
 与えられた仕事に、真摯に、誠実に、謙虚に取り組んでいく自分のスタンスだけは、貫いていくつもりである。
 
 今後とも、よろしくお願いいたします。

(AM6:00  初出勤前に、記す)  

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2008年3月31日 (月)

新しい出会いに期待しよう!

 Aさんからメール。
 
 Aさんは、近藤の前任校に異動する先生らしい。
 
 たまたま、近藤のブログの存在を知っていて、たまにチェックしてくれていたらしいが、近藤の教え子のコメントが気になったらしく、メールを送っていただいた。
 
 
 
 返信した。

「(前略)でも、近藤のところに自分からメールを打つと言うことは
子どもたちが自ら問題をとらえ、何とか解決しようとしている証拠だと思います。

単級なのでクラス替えはありませんが、最上級生となり、心機一転がんばってくれることを期待しています。」
 
 
 
 これは、近藤の本心である。
 
 
 
 もし、今日のブログを、教え子が読んでいたら、こう伝えたい。
 
 「また、新しい先生との出会いがあります。春は、チャレンジし、チェンジする季節です。新しい、すばらしい生活を、新しい先生方と築いてください。そうです。浅間台小学校の最上級生なのですから…。」
 
 
 
 今日で、本年度も、終わる。
 
 この一年を謙虚に振り返り、近藤自身も、新しい出会いに期待したいと思っている。

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2008年3月29日 (土)

力不足の実感

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 昨日は、飲み会。
 
 飲み過ぎた。
 
 
 
 しかし、今日は、朝から一日学校で仕事。
 
 土曜日なのに…。
 
 
 
 平成18年度に実施した、教員勤務実態調査の結果について、平成19年5月23日付けで、文部科学省から公表されている。
 
 
 
 それによると、「教頭・副校長が各職種の中で最も残業時間が長い」とある。
 
 実態を見事に示す調査結果である。
 
 
 
 教育は、パートタイマーやアルバイトでは勤まらない、高度に専門的な知識と技量がいる仕事である(と、少なくとも、近藤は、思っている)
 
 当然、仕事の内容や時間帯は、弾力的にならざるを得ない。
 
 しかも、昨今は、仕事の内容自体も大きく変容している。(小学校の先生が英語を教えなければならない世の中なのだ)
 
 しかし、仕事の内容が弾力的だからといって、仕事の対価である給与が弾力的、いわゆる「ザル勘定」になっては、ならない。
 
 公務員なので、納税者に納得のいくような勤務システムが求められるのだ。
 
 
 
 ということで、「どこにもあてはまらない仕事」「誰もやらない仕事」をするセクションが必要になる。
 
 それは、誰?
 
 (現在のシステムでは、実質的に)副校長である。
 
 だから、休日に、勤務時間以上の仕事をすることになるのだ。
 
 
 
 無論、これは、初任副校長である近藤(あと2日は、一応「初任」である)の力量不足が一番の原因では、ある。
 
 
 
 教諭だった頃の夢は「良い先生になること」、当面の目標は「普通の先生になること」だった。
 
 今年の、当面の目標は「普通の副校長になること」だった。
 
 いまだ、「普通の副校長」にさえ、なれていない。
 
 
 
 早咲きの桜を見ながら、自分の力不足を実感しまう近藤である。

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2008年3月28日 (金)

副校長は、学校の第一印象

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 年度末である。
 
 転出や転入が、ある。
 
 
 
 今日、本校に転入手続きに来た子どもがいた。
 
 子どもも保護者も緊張している。
 
 
 
 安心して4月から登校できるよう、手続きをする。
 
 
 
 これも、副校長の仕事のひとつである。
 
 
 
 「副校長は、学校の第一印象である」
 
 まったく、その通りだと、思う。
 
 
 
 転入生に、安心して、学校に来てもらいたい。
 
 あまり語られることがないことだが、こういった対応は、とても大切であると、近藤は思っている。
 
 
 
 副校長としての、「やりがい」を一つ見つけることができて、ちょっと、うれしい近藤である。

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2008年3月27日 (木)

時間」とは、「百薬の長」である

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 いわゆる「春休み」である。
 
 しかし、「春休み」と呼べるほどの休みは取れないのが、学校現場である。
 
 教室の片づけ、年度末の諸帳簿の整理、新年度の準備…。
 
 ソフト面でも、ハード面でも、大忙しの「春休み」なのである。
 
 
 
 昨日、ある友人からこんなことを言われた。
 
 「あれ?何で、ネクタイ姿なの?今日は、春休みじゃないの?仕事してきたの??」
 
 その友人は、「春休み」=「Spuring Long Vvacation」と思っていたらしい。
 
 
 
 とんでもない!!
 
 春休みは、いつも以上に忙しいのである!
 
 
 
 しかし、緊張感は、緩む。
 
 なぜなら、子どもはいないからだ。
 
 
 
 雑務は多いが、子どもの教育に、直接かかわっている時間ではないので、「ゆるゆる仕事をしている」という感じが、近藤には、ある。
(他の先生方は、わからない。近藤の、「感じ」である)
 
 
 
 そして、春休みの仕事には、「わくわく感」が、ある。
 
 子どもとの出会い、職場での出会い、環境との出会い…。
 
 
 
 今日の近藤は、「ゆるゆる仕事」をしながら、「わくわく感」を楽しんでいた。
 
 1年経って、少しは、「副校長稼業」になれてきたのかもしれない。
 
 
 
 これを、「副校長としての成長」と考えるかどうかは難しい。
 
 しかし、少なくとも、昨年の今頃よりは、ゆとりをもって仕事を進めることができているような気がする。
 
 
 
 「時間」とは、「百薬の長」だと、いつも感心させられる近藤である。

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2008年3月26日 (水)

修了式

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 修了式。
 
 今日をもって、2007年度(平成19年度)の主な教育活動はすべて終了である。
 
 そして、2008年度(平成20年度)が4月からスタートする。
 
 
 
 打合せで、話した。
 
 「この一年間、子どもたちの確実な成長を目のあたりにし、先生方のすばらしさ、すごさを実感しました。短く、忙しい春休みではありますが、できるかぎりリフレッシュをしていただいて、次の新たな出会いに備えてください。本当に、一年間ありがとうございました。」(概要です)
 
 
 
 本心である。
 
 ありふれた言葉の羅列ではあるが、自分の本心を伝えるための適切な言葉を選んだら、ありふれた言葉の羅列になった。
 
 
 
 今日は、とにかく、大好きな本校の子どもたちと、尊敬すべき本校の職員の皆さんに感謝しながら、管理職としての「いっときの安堵感」に身をまかせたいと思っている。
 
 
 
 みなさん、一年間、ありがとうございました。

 
(これは、昨日、3月25日、ブロバイダのメンテナンスでアップできなかったブログの再掲です)

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修了式

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 修了式。
 
 今日をもって、2007年度(平成19年度)の主な教育活動はすべて終了である。
 
 そして、2008年度(平成20年度)が4月からスタートする。
 
 
 
 打合せで、話した。
 
 「この一年間、子どもたちの確実な成長を目のあたりにし、先生方のすばらしさ、すごさを実感しました。短く、忙しい春休みではありますが、できるかぎりリフレッシュをしていただいて、次の新たな出会いに備えてください。本当に、一年間ありがとうございました。」(概要です)
 
 
 
 本心である。
 
 ありふれた言葉の羅列ではあるが、自分の本心を伝えるための適切な言葉を選んだら、ありふれた言葉の羅列になった。
 
 
 
 今日は、とにかく、大好きな本校の子どもたちと、尊敬すべき本校の職員の皆さんに感謝しながら、管理職としての「いっときの安堵感」に身をまかせたいと思っている。
 
 
 
 みなさん、一年間、ありがとうございました。
 

(これは、昨日、3月25日、ブロバイダのメンテナンスでアップできなかったブログの再掲です)

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2008年3月24日 (月)

引用をつないで…

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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ノーベル経済学賞のミルトン・フリードマン博士らは、以前から『政府は仕事をどんどん小さくすべきだ』と強く主張してきました。義務教育や国立病院などは公共財と位置づけるのではなく、マーケットを通じた競争原理を導入した方が効率的だと言っているのです。[中谷巌『痛快!経済学2』(集英社インターナショナル2004年)p113-114]

 こういった考え方の改革を、新自由主義的な教育改革という。
 
 新自由主義的な教育改革が、進んでいる。
 
 例えば、成績のよい学校に、予算を多く配分するとか…。
 
 アンビリーバボー!である。
 
 
 
 東京・足立区は、「成績の伸び率」を、各学校の予算配分の資料としていたらしい。
 
 すると、ズルをして成績をよくしようとする学校が現れたので、あわててそれをやめた。

予算算定から「成績伸び率」除外  東京・足立区の学力調査不正  区教委が再発防止策

 東京都足立区が実施した学力調査で、誤答している児童に対して問題文を「指さし」する小学校があるなど不正が起きた問題について、同区教委は1日、再発防止に向けた方針をまとめた。不正が起きた背景について同区教委は、正答率や伸び率を成績順に公表してきたことが、校長のプレッシャーになった可能性があると分析。「特色ある学校づくり予算」を査定する判断材料として伸び率を活用していたが、除外を決めた。
 (日本教育新聞2007年10月8日<2 面>)

 
 
 
 情けなくて、しょうがない。 
 
 「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。[藤原雅彦『国家の品格』(新潮新書2005年)p191]
 

 妙に、心を揺さぶられる文章である。
 
 教育を金で動かそうとするんじゃない!
 
 といいたいが、給料をもらえなくても困るし…。
 
 
 
 「たかが経済」と「孤高を保つ」ほど、品格が磨かれていない自分に気付く。
 
 
 
 まずは、自らの行動原理を顧みるとするか…。
 

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2008年3月23日 (日)

「横浜版学習指導要領」への期待

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 日本教育新聞(2008年3月24日付4面)に、「行政の支援策・横浜市」として、「横浜版学習指導要領」についての記事が掲載されていた。
 
 担当の主任指導主事の先生が、たいへんわかりやすく、その主旨や取組について書いている。
 
 同紙(2008年3月3日付1面)の「不易・流行」という欄でも、「横浜版学習指導要領」について、たいへん好意的なコラムが書かれていた。
 
 一年半ほど前、「横浜版学習指導要領」というネーミングについて、侃々諤々の議論をしたことを思い出す。
 
 結果として、「横浜版学習指導要領」という言葉は、内外にインパクトを与えるという目的を達成することができている。
 
 
 
 昨年、ある同業者から、こんな質問を受けた。
 
「『横浜版学習指導要領』の知・徳・体・公・開というのはわかりやすいけれど、『新よこはま教育プラン』に示されていた10の学習課題や23の観点別成長課題は、どこにいっちゃったのか」

(「10の学習課題」「23の観点別成長課題」とは、前回の学習指導要領改訂時に策定された「新よこはま教育プラン」で示された横浜の子どもの成長像や横浜の教育内容・方法の考え方。これらの言葉は横浜の学校教育全体計画や指導案に盛んに使われた)
 
 「それについては、いろいろな議論があった。ここでは、近藤の個人的な見解をお伝えしたい。」
と、前置きした上で、話した。
 
「『横浜版学習指導要領』策定にあたって、現場の管理職、教職員、教育委員、委員会事務局の方、一般市民、保護者の方々の、共通のニーズがあった。それは、『わかりやすいものにしてくれ』というニーズである。そして、教育課程研究員会の中で、これまでの取組の総括を含む『わかりやすい総則づくり』に努力してきた。しかし、結果としては、それが、『横浜版学習指導要領』の文面に表れることは、なかった。なぜなら、総括する上でふまえなければならない答申、構想、調査結果は多岐にわたり、それに言及すると、とても『わかりやすい総則』にはならないからである。」

(2007/01/12のブログ「さっきまで、ずっと、考えていたこと」に詳しい) 

そして、こう私見を結論づけた。
「これまでの取組の総括を明文化しなかったことこそ、
これまでの取組の反省をふまえた結果なのです。」
 
 質問した同業者は
「よーく、わかった。」
と言ってくれた。
 
 
 
 くどいようだが、再度、書く。
 
 これは、近藤の、個人的な見解である。
 
 
 
 しかし、当然であるが、「横浜版学習指導要領」は、これまでの横浜の教育の延長線上にある。
 
 
 
 「横浜版学習指導要領」には、
これまでの横浜の教育をさらにグレードアップする役割を、
大いに期待している。

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2008年3月22日 (土)

「直接」子どもと接すること

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 昨日のブログを、読み返す。
 
 
 
 自分の、力の無さを、痛感する。
 
 
 
 子どもと「直接」接している「教師」という仕事の大切さと、重さを、感じる。
 
 
 
 一年前、近藤は、子どもと「直接」接していた。(昨日コメントを書いてくれた子どもはその時の教え子である)
 
 たった、一年前、である。
 
 しんどかったが、楽しかった。
 
 毎日が、複雑な応用問題を解くような仕事であったが、それだけに、子どもの笑顔、成長を感じたときの喜びは、大きかった。 
 
 
 
 もちろん、今の、副校長という仕事も、やりがいがある。
 
 しかし、そのやりがいは、「直接」子どもと接している「教師」の仕事に依存する部分が大きい。
 
 校長、副校長のやりがいは、「教師」を中心とする「直接」子どもに接している職員の方々への信頼感によって成立しているのである。
 
 だからこそ、今「直接」子どもに問われている近藤は、

その問いに満足に応えることができない自分に腹が立つのである。
 
 
 
 できれば、直接、応えたい。
 
 昨日のブログにあるアドレスに連絡がほしい。
 
 近藤は、待っている。
 
 ずっと、待っている。
 
 何年でも、待っているつもりである。

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2008年3月21日 (金)

3月末日までの公開

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 久しぶりに、コメントをもらった。
 
 引用する。

こんにちわ!私は近藤先生に勉強を教えてもらいました。今年からは、六年生になります。

私達のクラスに授業をうけない子がいます。
どうしたら、仲良くできるか
ぜひ!!おしえてくだしい(^v^)!
 
 
 
 前任校の教え子からだ(と、思う)。
 
 端的で、無駄のない、よい文である。
 
 しかし、書いてあることは、重い。(そのわりに、「軽い」感じがする。それを、どう判断したらよいか…)
 
 
 
 近藤は、この「問い」に応えなければならない。
 
 しかし、あまりに、情報が少なすぎる。
 
 
 
 もし、よかったら、「コメント」という形式ではなく、以下のアドレスにメールしてほしい
。(ブログにコメントを書くことができるなら、メールを送ることができると判断した。難しいようだったら、おうちの人に電話してもらってください)
 
 このメールアドレスは、期間限定で、公開する。
 
 3月末日までの公開である。
 
 
 
 *****@*****(公開期間は終了しました)

 
 
 
 ただひとつ。
 
 近藤は、このコメントを送ってくれた教え子に、伝えておかなければならないことがある。
 
 「近藤は、もう、あなたの『担任』ではないのです。だから、あなたが期待していることの100分の1も、力になれる自信はないのです…」
 
 
 
 それでも、コメントをしてくれた、誰かわからない「あなた」に、応えたい。
 
 
 
 それは、仕事としてではなく、「教師」としての、「性」(さが)である。

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2008年3月20日 (木)

副校長としての、子どもへのかかわり方

【番組紹介】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)
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 昨日、無事、卒業式終了。
 
 本年度も、授業日は、あと3日を残すのみとなる。
 
 
 
 昨日、ぼーーっとしながら思ったことがある。
 
 副校長として、この一年、いろいろな子どもとかかわらせてもらった。
 
 それが、「副校長としての、子どもへのかかわり方」として適切であったのか、どうか?
 
 甚だ自信がない。
 
 「副校長としての、子どもへのかかわり方」が、一年経とうとしている現在でも、まったく、わからない。
 
 
 
 「担任をしていた近藤」の目線で子どもを見る。
 
 しかし、「担任ではない」から、子どもとの関係性は薄い。
 
 関係性を築きあげるほどの時間もない。
 
 だから、子どもへの接し方が、中途半端になる。
 
 当然、子どもとの関係も、中途半端である。
 
 「これでいいのかなぁ…。」
と、思いつつも、煩雑なデスクワークに追われ、じっくり振り返ることがなかった。
 
 
 
 その点、校長先生の子どもとのやりとりは、見事である。絶妙である。
 
 だから、子どもは、「校長先生大好き」であり、たくさんの子どもが校長先生に寄り添ってくる。
 
 すごいことだと、思う。
 
 そして、よきモデルが身近な上司にいる幸せを感じる。
 
 もっと、校長先生の姿に学ばなければならない。 
 
 
 
 一年経って、やっと、「副校長としての、子どもへのかかわり方」に課題があることに、気付いたのは、忸怩たる思いである。
 
 しかし、問題は、発見されれば解決は近いといわれる。

 
「主体的に問題を把握できなければ問題解決はできない。逆に言えば、主体的に問題を把握した時点で解決の8割がたは成功したようなものだ」と聞かされました。
(横浜の教育を創造する会『横浜発信!生きる力を育てる総合学習』(てらいんく1999年)p37)
 
 
 
 地道に問題解決の努力をしていこうと思う。
 

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2008年3月19日 (水)

卒業式を、終えて

 卒業式だった。
 
 よい式だった。
 
 卒業生も、在校生も、(そして、僭越ながら、保護者の皆様も)すばらしかった。
 
 
 
 卒業生のすばらしさは、昨日、書いたとおりである。
 
 みんな、「にこにこ」している。
 
 こういうお子様に育てた保護者や地域の方々と、先生方のすばらしさを、感じる。
 
 
 
 在校生も、すばらしかった。
 
 いわゆる「腕白坊主」の「呼びかけ」(卒業生と在校生の声の「かけあい」。横浜では、この「呼びかけ」というのが一般的である)が、一番、すばらしかった。
 
 教育の、可能性を、感じた。
 
 
 
 そして、今回、本校の卒業式を始めて経験する近藤の感想。
 
 保護者の皆様の、すばらしさ、である。
 
 節度ある、しかも、心温まるまなざしである。
 
 これにも、すごく、感動した。
 
 
 
 実は、アクシデントが、なかったわけでは、ない。
 
 近藤も、その中で、よい経験をさせてもらった。
 
 
 
 結果として、子どもたちも、地域の方も、保護者の方も、そして先生方も、「すばらしい卒業式だった」と感じるに値する、卒業式であった。
 
 
 
 放課後、いつものように、施錠のため、各教室を点検に回る。
 
 卒業生の教室の黒板に、「○○先生、ありがとう!」「○○先生が担任でよかったです!」
「楽しい1年でした!」などと、自由な筆致で書いてあった。
 
 それをみて、あらためて、今日の「すばらしさ」の影にある先生方のご尽力に、感謝した。
 
 
 
 子どものそばには、「しんどさ」が、ある。
 
 でも、子どものそばには、「幸せ」が、ある。
 
 
 
 子どものそばにいることの、「幸せ」を、感じることのできる、今日の卒業式であった。
 

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2008年3月18日 (火)

やわらかい卒業式

 卒業式の予行があった。
 
 情けない話だが、近藤は、今日、はじめて卒業式の学習に参加した。
 
 近藤の出番は、2回。
 
 「開式の言葉」と「閉式の言葉」である。
 
 
 
 今日の印象。
 
 「やわらかい卒業式」
 
 
 
 卒業生は、にこにこしている。
 
 過剰な緊張感も、別離の悲しさも、見られない。
 
 会場全体が、やわらかいのである。
 
 
 
 今年の卒業生のもつ雰囲気か、
 
 先生方のご指導か、
 
 学校の校風か、
 
 それは、わからない。
 
 とにかく、「やわらかい卒業式」という印象をもった。
 
 これは、素敵なことだ。
 
 
 
 明日は、卒業式。
 
 天気も穏やかになるようだ。
 
 
 
 自分の務めを果たしながら、やわらかい時間を楽しみたい、と思った。

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2008年3月16日 (日)

健康と体力

 健康な時は、気がつかない。
 
 病気になって、はじめて、健康のありがたさを感じる人は、多い。
 
 
 
 昨日で、歯の治療が終わった。
 
 御多分にもれず、近藤も、歯の治療が終わり、不自由なく、食事ができるありがたさを感じた。
 
 
 
 「健康」は、体育科、保健体育科の担う大きな教育課題である。
 
 しかし、その割に、小学校教育での「教科としての」扱いは、小さい。
 (中学年で4時間、高学年で8時間である。ただし、「学校における体育・健康に関する指導は」、体育科以外の時間にも「学校の教育活動全体を通じて適切に行う」ことになっている)
 
 少ない時間に、しかも、多くの子どもが健康に対して課題を感じていない状態で、「健康」の学習をすることに、小学校での「健康教育」の難しさがあると感じている。
 
 だからといって、子どもに、実験的に不健康な生活をさせ、健康のよさを実感させることはできない。
 
 
 
 「健康」と「体力」
 
 これは、新学習指導要領における体育科、保健体育科の大きな課題である。
 
 実効性のある、しかも、どの学校でも実践可能なモデルを考えたいと、個人的に思っている。
 

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2008年3月15日 (土)

卒業式まで、後3日

 今日は、学事報告の印刷をした。
 
 卒業式まで、3日。
 
 学事報告や卒業証書授与者名簿は、間違えることができないので、いろいろな方に、確認をしてもらってから、印刷をする。
 
 しかし、卒業式は、何と言っても、校長先生と卒業生の担任が、重責を担っている。
 
 
 
 校長先生は、証書を書いたり、式辞を考えたり、準備に追われている。
 
 卒業生の担任は、学習のまとめをしながら、式の指導をする。
 
 その他の先生方も、それぞれに、仕事が分担されている。
 
 卒業式は、一年で、一番大切な式だということが、先生方の仕事ぶりから伝わってくる。
 
 
 
 今日は、暖かかった。
 
 当日も、暖かくなるようだ。
 
 心に残る式になるよう、近藤も、自分の務めを精一杯果たしたい。
  

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2008年3月14日 (金)

「価値」について考えたら…

 いろーんなことがあり、いろーんなことを考えたら、
「価値」(その人がすごいと思ったり、偉いと思ったり、大切だと思ったりすること)について、考えざるを得なくなった。
 
 
 
 「価値」を測る、一番わかりやすい尺度は、「お金」である。
 
 「価値」のある物や、「価値」のあるサービスは、「高価」になる。
 
 
 
 おいしい料理は、「価値」があるので、「高価」になる。
 
 それを、まずいと感じる人が多ければ「価値」が下がるので、価格は下がる。
 
 サービスのよいホテルは、「価値」があるので、「高価」になる。
 
 そのサービスを、あたりまえと感じる人が多くなれば「価値」が下がるので、価格は下がる。
 
 とっても、わかりやすい。
 
 
 
 しかし、である。
 
 「お金」では測ることのできない「価値」も、ある。
 
 例えば、「信頼」である。
 
 いくら金を積んでも、「信頼」は、買えない。
 
 例えば、「名誉」である。
 
 いくら金を積んでも、「名誉」も、買えない。
 
 こう考えると、金で買えない「価値」の方が、尊いような気がしないでもない。
 
 
 
 「信頼」とか、「名誉」とか、「誇り」とか、「誠実」とか、そういった「価値」に、昔ほど、重きをおかなくなったような気がする。
 
 もともと、日本では、金で買えない「価値」の方が尊いという考え方があった。
 
 「清貧」という言葉があるくらいだ。
 
 こういった、日本人のもっていた「気高い心」に、近藤は、憧れる。
 
 
 
 「気高い日本人」でありたいものだ。
 
 
 
 それには、雑音が多すぎる、今の日本である。
 
(やっちった。また、精神論だ。成長しねえなぁ、俺って…。しかし、最後は精神論になるのは必然ではないかと、最近、開き直りつつある近藤である)

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2008年3月13日 (木)

公僕

 クローズアップ現代という番組で、自衛官の現状を放送していた。
 
 
 
 これまでの自衛官としての仕事以外の仕事が多くなり、過労働になっているようである。
(近藤は、番組を見て、そう感じた)
 
 そして、「自衛官は、それ(過労働と感じていること)を言えない」雰囲気も、番組から伝わってきた。
 
 しかし、結果として、それが、大きな事故を招く原因となっているのかもしれないのである。
 
 「これは、教員と同じだ」と、感じた。
 
 
 
 「どこが、どう同じなんだ!」という声が聞こえてきそうである。
 
 多くのことを、考えすぎて、今、近藤の頭は、パンク状態である。
 
 なので、いつか、整理して書きたい。
 
 
 
 少なくとも、真面目に、誠実に、しかも適切に「がんばっている」公僕(あえて公僕という言葉を使わせていただいた)に、エールを贈りたい。
 
 
 
 公僕に、人生をかけてきた先輩方、そして人生をかけようとする若者にエールを贈りたい。
 
 そして、近藤も、その仕事のはじっこにいることに、誇りをもちたいと願っている。
(このブログだけ読んだ方がいたら、俺って右翼かと思われるかもなぁ…、ま、いっか。)
 
 

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2008年3月12日 (水)

番組終了のお知らせ

 NHK教育で放送されていた「わくわく授業」が終了したと、担当のディレクターの方からメールをいただいた。
 
 そのメールはメーリングリストで、過去の出演者や関係者に配信されているらしい。
 
 その後、次々と、メーリングリストのメンバーからお礼のメールや感謝のメールや番組終了を惜しむメールなどが送られてきた。
 
 もちろん、近藤も、お礼のメールを送らせていただいた。
 
 
 
 この番組のおかげで、自分の身近にも、たくさんのドラマがあることに、あらためて気づくことができた。
 
 この仕事の醍醐味も、再確認できた。
 
 なによりも、この番組のおかげで人的ネットワークが広がった。
 
 あらためて、テレビというメディアのすごさを実感した。
 
 
 
 最後に、再放送があるそうだ。
 
 近藤の実践も、放送される。(昨年、10月に放送された番組である)
 
 よかったら、見てください。
(年度末のどん詰まりの午前中、そんな時間はありませんよね…)

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送) 

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2008年3月11日 (火)

年度末の風景

 中学校の卒業式があった。
  
 校長先生が参加した。
 
 すばらしい卒業式だったそうだ。
 
 
 
 国際理解教室の先生とのお別れ会があった。
 
 給食時には、6年生が、校長室に来て、給食を食べていた。
 
 放課後、卒業式の立て看板を、職員が運んでいた。
 
 明日は、卒業をお祝いする会のリハーサルがある。
 
 年度末の風景である。
 
 
 
 そんな中、副校長は、来客・電話の対応や荷物の受け取り、成績処理の確認、けが人や病人の手当、文書事務などなどに追われる、ふつうの一日だった。
 
 先生方も、学習のまとめや成績処理に忙しい。
 
 教師の年度末は、あわただしいのだ。
 
 じっくり名残を惜しむといった感覚ではないのが、ふつうである。
 
 
 
 しかし…。
 
 
 
 今日は、暖かかった。
 
 春の陽気となった。
 
 放課後、施錠のため校舎を巡回していると、ふっと、春のぬくもりを感じた。
 
 
 
 この仕事について、「我に返る」のは、こういった一瞬である。
 
 「あ、俺、春の中にいる…」
 
 
 
 忙しいのが常の学校であるが、ふと、季節を感じる時間があっていい。
 
 
 
 子どもたちにも、何気なく、季節を感じてほしい。
 
 
 
 その後、サッカーを楽しんだ。
 
 久しぶりに、いい汗をかいた。
 
 
 
 いよいよ、春、本番である。  

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2008年3月10日 (月)

今日の朝会での話(2008年3月10日)

 全体、休め。
 
 これから、簡単なゲームをします。
 
 まずは、練習です。このマイクを見てください。これから、副校長先生が「はじめ!」「やめ!」という合図をします。「はじめ!」といったら、このマイクをじっと見つめてください。だまーって「やめ!」と言われるまでじーっと、見続けます。よそ見をした人は、負けです。黙って、じーっとこのマイクを見続けることができた人は、勝ちです。では、始めます。
 
 ようい、始め!(マイクを見るような声をかける)やめ!
 (子どもたち、ざわつく。ざわつきがおさまるのを待って、簡単にほめる)
 
 では、本番のゲームをします。ルールは、今のと同じです。ただし、見つめるのは、マイクではなく、この紙です。(「集中」と書いた紙を出す)
 今度は、本番だからね。この紙に、穴が開くくらい、ジーーっと、見つめるんだよ。では、いきます。
 
 ようい、始め!(しーーんという空気になる)やめ!
 (子どもたち、さらに、ざわつく)
 
 すばらしい。このゲームは、みなさんの勝ちですね。
 
 今のように、目と顔と体と心を一点に向けることを「集中する」と言います。今、みんなは「集中」したのです。すばらしい「集中」でした。
 「集中」して学習をすると、勉強がわかるようになります。かしこくなります。
 「集中」して運動をすると、体が丈夫になります。
 
 ぜひ、授業中、「集中」して先生の話を聴いてください。今、集中できたみなさんなら、きっと、できます。
 
 もうすぐ卒業式があります。
 4・5年生は、「集中」して、卒業式に参加してください。
 6年生は、さらに「集中して」りっぱに卒業証書をもらってください。
 副校長先生は、楽しみにしています。
 
 では、最後に、もう一回「集中する」練習をします。今度は、副校長先生の目を見てください。みんなが「集中」していれば、副校長先生がだれをみても、目が合うはずです。いくよ。がんばれよ。

 ようい、始め!(全体を見回す・最後にちょっと変な顔をして笑いをとる)やめ!
 
 今、笑った人は、「集中」できていた人です。副校長先生の顔を見ていた証拠です。教は、「集中」について、お話ししました。
 
 これで、副校長先生の話を終わります。全体、気をつけ。(黙礼)
 
(約7分)

 以上は、今日、近藤が、朝会で話した内容の概要である。
 
 およそ、7分弱の時間ではあるが、近藤にとっては、緊張し、しかも楽しい時間であった。
 
 この約7分弱の話の内容を考え、まとめるのに、近藤は、およそ45分ほど使っている。(じつは、きちんと測っているわけではないので、「勘」で45分と書いた)
 
 いろいろな思いがあるのだが、書き始めると、途方もなくなってしまうので、あえて「事実」の概要だけ示した。
 
 自己評価は、100点満点の50点くらいである。
 
 
 
 全校児童の前で話す機会を与えていただいた校長先生に、感謝したい。
 

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2008年3月 9日 (日)

職場について考えたこと

  「私は、『仕事』の上で、あなたの上司だ。だから、『仕事』について、指導もするし、評価もする。それが、自分の上司としての仕事だからだ。しかし、だからといって、あなたより『人間』的に偉いわけではない。『人間』としては、対等なのだ」
 
 このようなことを、ある上司がある人に言った。(と聞いたことがある)
 
 
 
 今、管理職になって、この言葉が、頭にこびりついている。
 
 近藤は、「仕事」として、職員が直面している問題に、助言することがある。
 
 近藤は、「仕事」として、職員の仕事を評価することもある。
 
 「本当に、近藤に、そのようなことをする資格があるのだろうか…」という思いがよぎる…。
 
 
 
 しかし、これは、近藤の「仕事」なのである。
 
 与えられた仕事に真摯に取り組むのは、近藤の、これまで貫いてきたスタンスだ。
 
 気が進まないことでも、真摯に、誠実に、取り組まなくてはならない。
 
 だから、職員に、指導・助言をすることもあるし、仕事ぶりを評価することもある。
 
 
 
 だからといって、近藤が、職員一人ひとりより「偉い」というわけでは、ない。
 
 いや、むしろ、本校の場合、近藤よりはるかに人格的にすばらしい先生方が、たくさんいる。
 
 「どうして、この先生は、こんなに真面目なのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、こんなに前向きなのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、こんなに周囲に配慮がいきとどくのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、いつも明朗で生き生きとしているのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、ここまで一生懸命なのだろう…。」
 
 枚挙にいとまがない。
 
 
 
 「仕事」は、「仕事」として、きっちり、したい。
 
 しかし、職員の「人間性」のすばらしさには、素直に敬意を表したい。
 
 そして、そのすばらしい人間性を、近藤も学ぶようにしたい。
 
 
 
 「人間」を相手にしている学校という職場は、「人間」を大事にする職場でありたい。

(何を書いているのかわからない文章になってしまった。ごめんなさい。)

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2008年3月 8日 (土)

学年末の仕事

  今日は、PTAの集まりがあり、学校に行った。(今日は、土曜日。学校は休みである)
 
 すると、次から次に、職員が学校に来る。
  
 学年末の仕事をするためだ。
 
 
 
 この時期の大きな仕事の一つに、通知票を作成する仕事がある
。(横浜では、この通知票のことを「あゆみ」と呼ぶ学校が多い)
 
 担任だった頃、通知票一枚に、何文字書くかを調べたことがある。そして、クラス全体で、およそ原稿用紙何枚分の文字を書くことになるのかを試算した。
 
 計算上、およそ原稿用紙50枚~70枚分の文字を書くことがわかり、愕然とした。
 
 
 
 先生方は、毎日授業をする。給食指導も清掃指導もする。
 
 放課後は、会議があることが多い。
 
 勤務時間の中で、クラスのことに使える時間は、一日(多くて)1時間くらいしかない。 
 それなのに、学期末のこの時期(およそ1ヶ月くらいの間)に、授業の準備をし、授業をし、子どもに真摯に向かい合いながら、原稿用紙50枚以上の文字を書くのである。

(字を書くだけではない。表現に気を付けながら、文章を考えるのである。その労力たるや莫大である)
 
 当然、勤務時間内にできるわけがない。
 
 その結果、休日に学校に来て、たまった仕事をすることになる。

(自宅で、この仕事をすることは、できない。なぜなら、通知票の仕事は個人情報なので、その基礎資料は学校で厳重に管理しているからだ)
 
 
 
 そこまで精魂込めて書く通知票である。
 
 それを見て、子どもも保護者も、次への意欲や将来への希望をもってほしいと思う。
 
 
 
 いわゆる成績の数値だけを見て、子どものすべてを価値づけるようなことは、しないようにしたい。
 
 休日にせっせと通知票を書く先生方を見て、つくづく、そう思った。

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2008年3月 7日 (金)

ふと、考えたこと

 初任の先生がいる。
 
 子どもは元気いっぱいである。
 
 先生は、必死である。
 
 先生は、すごく、がんばっている。
 
 
 
 ふと、自分の初任の頃を思い出す。
 
(本当は、思い出したくない)
 
 以前も書いたが、自分の初任時代の学級経営は、ひどかった。
 
 そのころ書いた文章を読むと、行間から、苦悩が読み取れる。
 
 
 
 20年後…。
 
 あんな未熟だった自分が(そして、今も未熟な自分が)、年下の教員を「エラソ」に教えるようになる。
 
 摩訶不思議である。
 
 
 
 ただひとつ、近藤には、実感がある。
 
 それは、「これまでかかわってきた子どもや保護者や管理職や同僚や地域の方々に支えられてきた」という実感である。
 
 だからこそ、まだ、辞めることもなく、クビになることもなく、教員の世界で生きているのである。
 
 そして、この仕事の醍醐味を味わわせてもらった。
 
 ありがたいことだ。
 
 
 
 恩返しをしなくてはならない。
 
 子どもに、保護者に、地域の方に、そしてなにより先生方に…。
 
 だから、こんな未熟な近藤でも、若い先生から問われれば応えたいし、困っていれば助けたい。
  
 
 
 がんばっている先生方を見て、ふと、そんなことを考えた。
 
 20年前の管理職も、もがいている近藤を見て、こんなことを考えていたのかもしれない…。
 

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2008年3月 6日 (木)

駆け込み寺

 どの学校にも、課題のある子どもは、いる。   
 
 当然、本校にも、いる。
 
 
 
 教師ののパーソナリティ、経験、ノウハウ、人生観と、子どものパーソナリティ、経験、学校・大人への印象が、現在の日本の価値観の中でせめぎ合うのが、教室という空間である

(うわっ!超わかりにくい言葉の羅列である。しかし、現在の近藤としては、「正しい」言葉を使って書いた文章では、ある)
 
 
 
 今日も、ある学年の3人の子どもが、職員室にやってきた。
 
 授業中に、ふざけて、どうにもならないのである。

(この「ふざける」というのは、近藤の初任からのテーマである。しかし、ここでは、深く書くことはさける)
 
 たしかに、「ふざけ」ている。
 
 様子を見ながら、対応した。そして、信念をもって、対応をした。
 
 
 
 放課後、若い先生から、相談を受けた。
 
 いつものように、「自分だったら」という視点で、話しをした。
(ちょっと、話しが長くなり、反省をした)
 
 その若い先生は、真剣に聴いてくれた。
 
 
 
 近藤は、これまでも書いてきたが、先生方から、いろいろな相談を受ける。
 
 どれも、近藤にとって、勉強になることばかりである。
 
 ただ一点、はがゆいのは、それが「伝聞情報」であることだ。
 
 いろいろなことの相談を受けても、所詮、「伝聞情報」でしかない。
 
 生の現場を見れば、もっと、もっと多くの情報を得ることができる。
 
 
 
 だから、今日、3人の子どもが、「直接」やってきたことは、ありがたかった。
 
 だから、近藤なりに、反応を見ながら、対応することができた。
 
 
 
 やはり、「伝聞情報」より、直接体験の方が、より多くのことを理解できる。
 
 「なるほど、この子どもは、きっとこういう経験をしてきたのだろう」
 
 「そうか、この子どもたちには、当面、こうすればいいのだな」…。
 
 こんなことを考えながら、対応することができた。
 
 
 
 おかげさまで、職員室(及び校長室)には、毎日、いろいろな学年の子どもが押し寄せてくる。
 
 これは、よいことである。
 
 
 
 「あなたの学校は、そんなにたいへんな子どもばかりなのか!」と、思われては、困る。
 
 教育現場とは、いつも、そういった「教師と子ども」の「人間対人間」としての、せめぎ合いの場なのである。
  
 そして、「人間対人間」なるがゆえ、当事者だけでは、どうにもならないこともある。
 
 そういった時に必要なのが、「落ち着いた自分に戻る『時間』と『空間』」なのである。  

 だから、子どもにとっても(教師のとっても)、「駆け込み寺」は、必要なのだ。
 
  
 
 学校に「駆け込み寺」があるということは、必死にがんばっている子どもたちと先生方を、全校体制で、支えていこうという風土が、ある証拠だと思う。
 
 そして、本校の場合、懐の深い校長先生のおかげで、「校長室」「職員室」が、「駆け込み寺」になっている。
 
 
 
 近藤は、駆け込んできた子どもにの状態を、しっかりと見極め、適切に応じたいと思っている。
 
 それが、近藤が、直接子どもと接する際にできることなのだ。
 
 そして、近藤に、相談してくれる職員には、できるだけ具体的に応じたいと思っている
。(これが、なかなか、難しいのだが)
 
 
 
 そして、自分がいっぱいいっぱいになったら、校長室に「駆け込もう」と思っている。

(いまだ、そういったことはない。子どもたちと、職員の方々と、そして校長先生に、感謝、感謝である…)
  
 

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2008年3月 5日 (水)

少しは、成長(?)

 名前を覚えるのが、苦手である。
 
 担任をしていた時、しょっちゅう間違えては、顰蹙(ひんしゅく)をかっていた。(しかも、担任をしていた子どもの名前を間違えるのである。教師としての資質の欠如である。わかっちゃいるが、直らない)
 
 担任の時でさえ、この有様である。
 
 副校長になった現在、「推して知るべし」である。
 
 
 
 しかし、しっかりと名前を覚えている子どももいる。
 
 多くは、指導上の課題がある子どもである。
 
 先生方が、近藤に、相談をしてくれるので、「自分が指導するならば…」という視点で一生懸命考えるうちに、覚えているのである。
 
 その子どもは、多くの場合、近藤の名前を、知らない。
 
 知っているのは、「副校長先生だ」ということだけである。
 
 
 
 11ヶ月前、これは、非常に、寂しいことであった。
 
 今は、少し、違う。
 
 近藤は、○○さんを、知っている。名前も、覚えている。
 
 ○○さんは、近藤を知らない。
 
 しかし、「○○さんが、元気に登校できる手助けを、近藤はしている」という実感がある。
 
 これだけで、近藤は、うれしいと思える(ようになってきた)。
 
 「裏方のやりがい」とでも、表現したらよいのであろうか。
 
 
 
 やはり、子どもにとってのヒーローは、先生方であってほしい。
 
 管理職は、そのバックアップに徹するべきだ。
 
 そして、管理職の資質として、「バックアップに喜びを感じることができる」ことがあるのだろう。
 
 その点、近藤は、まったくダメだった。
 
 自らヒーローになりたがる気持ちを捨てきれないでいた。 
 
 そんな近藤でも、バックアップのやりがいを感じることができるようになってきた。
 
 
 
 少しは、成長したのかもしれない。

(管理職としては成長かもしれない。しかし、教師としてはどうなのだろうか。さらに、蛇足ながら書いておく。プレーヤーになれば、ヒーローになれる実力をもつもののみが、裏方としての仕事も適切にできると、近藤は思っている。端的に表現すると、力のない先生がぶっこわしたクラスに入って1~2ヶ月くらいで立て直すことができるくらいの力量をもっていなければ、裏方の仕事はできないと思う。授業実践レベルで説得力のある方法を職員に示すことができなければ、(学校)管理職としてはダメである(と、近藤は思っている)言い過ぎかもしれないが、これは、近藤の実感である。だから、近藤の夢は、プレーイングマネージャーであることに、かわりはない)
 

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2008年3月 4日 (火)

「研究」という言葉に思う

 重点研究があった。 
 
 小学校では、学校全体で、年間を通して、研究活動に取り組むことが多い。
 
 校内研究、重点研究などと呼ばれている。
 
 
 
 今日は、次年度の取組について話し合った。
 
 話し合いを聴いて、うれしく思った。 
 
 「本校の子どもをこう育てたいから、次年度はこれに取り組みたい」というスタンスが貫かれていたからである。
 
 これは、たいへん重要な視点である。
 
 
 
 近藤は、学校の研究活動を推進していた頃、研究活動のまとめとして、先生方に、以下のような設問のアンケートをとっていた。
 
 「本校の研究活動は、本校の『子ども』にとって、よかったと思いますか」
 「本校の研究活動は、本校の『教師』にとって、よかったと思いますか」
 
 「子ども」にとってよい研究だったと評価される研究活動は、「教師」にとってもよい研究だったと評価された。
 
 つまり、「子どもの成長を感じることができる研究」は「教師にとって価値のある研究」なのである。
 
 
 
 近藤は、「小学校の研究活動など、何もならない。時間の無駄だ」という趣旨の発言を聞いたこともある。
 
 こう考える教師が存在することを、近藤は、理解できる。
 
 「子どもの成長を感じることができない研究活動」
 
 「やらされる研究活動」
 
 「いたずらに忙しくなる研究活動」…
 
 こういった研究活動の経験を積み重ねれば、どんな教師でも、「こんな研究活動は、いらない」と思うはずだ。
 
 やり方を間違えると、校内の研究活動は、このような「労多くして功少なし」の活動となってしまう。
 
 だからこそ、「本校の子どもをこう育てたいから、次年度はこれに取り組みたい」というスタンスは大切なのだ。
 
 
 
 近藤の教員時代は、いろいろな「研究」をさせてもらった。
 
 しかし、この一年は、「研究」に接する時間が、激減した。
 
 だからこそ、感じるのである。
 
 「研究」の大切さと楽しさを…。
 
 
 
 「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」(教育公務員特例法 第二十一条)
 
 今、あらためて、この法律にある言葉をかみしめている…。 

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2008年3月 2日 (日)

「覚悟」と「品格」

 「『品格』とは何か。『品格』とは、『覚悟』のことである。」
 
 今日、テレビを見ていたら、コメンテーターが、こんなことを言っていた。
 
 
 
 なるほど、と思った。
 
 管理職になって、自分が「クビ」になる可能性を、いつも感じている。
(このブログも、その対象になるかもしれない…)
 
 これは、教諭の時には、あまり感じなかったことだ。
 
 
 
 自分が教諭になった時、
「これは、たいへんな仕事についてしまった」
と思った。
 
 自分の行為が、人の一生を左右しかねない仕事なのである。
 
 実際に、あるまじーめな保護者から
「私には、『先生』という仕事はできません。こんなたいへんな仕事、絶対できません」
と言われ、「はっ」としたことがある。
 
 しかし、ある時期から、その感覚は、少なくなった。
 
 開き直ってしまったのだ。
 
 「一生懸命やって、だめなら、それまでだ。それが自分の力なのだ」
 
 「覚悟」を決めたということか。
 
 
 
 今の近藤も、少しずつ、そうなりつつある。
 
 「副校長の仕事を、一生懸命やる。それでだめなら、それまでだ。それが自分の力なのだ」
 
 こう思うことが、よいことかどうかは、わからない。
 
 これは、初心を忘れ、緊張感がなくなったということなのかもしれない。
 
 しかし、適度な緊張感と、適度な開き直り(言葉が悪ければ、「覚悟」)がないと、この仕事は続けることが難しいというのは、近藤の実感である。
 
 
 
 「覚悟」とは、「人のせい、運のせいにしない」ということだ。
 
 今の自分を振り返る。
 
 「○○が、△△だったらなあ」と思うことがある。
 
 だめである。
 
 運のせいにしている。
 
 人のせいにしている。
 
 教師の力量を高めるには、自分の力のなさを「子どものせいにしない」「保護者のせいにしない」「学校のせいにしない」「教科書のせいにしない」…、つまり「他のせいにしない」ことが大切であるといわれてきた。
 
 管理職も、同じである。
 
 いや、どの職業でも、力量を高めようとしたら、同じ事かもしれない。
 
 
 
 「運のせい、人のせいにしない」人は、「覚悟」のある人だ。
 
 「覚悟」のある人は、「品格」のある人だろう。
 
 
 
 「品格」をもちたいと願うが…、道の険しさを、実感する…。

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2008年2月29日 (金)

具体的な方法の背景

 臨任の先生から、相談を受ける。
 
 けんかへの対処法である。
 
 子どものけんかは、大切な教育の場面である。
 
 当然、指導の仕方がある。
 
 近藤は、「自分だったらこうする」という方法を示し、その理由を簡単に話す。
 
 
 
 初任の先生から、相談を受ける。
 
 課題のある子どもへの指導についてである。
 
 これにも、「自分だったら、こう考える」ということを伝え、そのわけを話す。 
 
 
 
 放課後、若い先生から、問われる。
 
 「叱っているときに、笑う子どもって、どう指導すればいいんですかね?」
 
 甚だ難しい質問だったので、 
 「ごめん。俺の宿題にさせてもらっていい?」
と応えた。
 
 
 
 若い先生方は、「とりあえず、どうすればいいのか」を、求めている。
 
 具体的な方法を教えてもらいたいのだ。
 
 
 
 だから、まず、近藤は、「自分だったら」という方法を伝える。
 
 そして、その理由を話す。
 
 実は、具体的な教育方法には、それなりの「理由」「根拠」「理論」「考え方」「思想」が背景にある。
 
 「なぜ、けんかを指導するときに、事実確認をするのか。」
 
 「なぜ、水掛け論になったときに、そのことについては深入りしないで保留にするのか。」
 
 それぞれに「理由」があり、大げさに言えば「思想」がある。
 
 
 
 実は、「方法」は、はじめから存在するわけではなく、「思想」から生み出される智恵なのだ。
 
 だから、方法を思いつかない場合がある。
 
 そのときは、いろいろ、考える。
 
 うんと、考える。
 
 そして、「こうしてみたらよいのでは…」という「方法」を生み出す。

 「方法」は「思想」の表現なのだ。
 
 すぐれた「方法」は、すぐれた「思想」の生み出したものである。
 
 若い先生には「方法」を学ぶことで、背景にある「思想」「考え方」「理論」を学んでほしいと思っている。
 
 
 
 さて、近藤も、じっくり宿題を考えたい。
 
 そして、若い先生が納得できるような知恵を出し、方法を編み出したい。

(かなり難問ではあるが…)

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2008年2月28日 (木)

「わくわく」しない指導

近藤「一回だけいいます。口を閉じて、(課題を)やりましょう。」
 
A児「口を閉じてだぞ!」(A児は、みんなに注意を促しているらしい)
 
近藤「Aさん。ここに来なさい。」
 
B児「Aが、おこられるー。」
 
近藤「Bさんも、来なさい。」
 
C児「こえぇ。(「副校長は、こわい」といいたかったらしい)」
 
近藤「Cさん。来なさい。」
 
(その後、他の子どもは、「しーん」として課題に取り組んだ)
 
 
 
 近藤は、3人を前にして、言う。
 
近藤「さっき、副校長先生が言ったことわかる人いますか。」
 
A児「静かにやりなさいといいました。」
 
近藤「同じ(意味の)ことだけど、違う言い方をしました。」
 
B児「しゃべらないといいました。」
 
近藤「それも、違います。先生は、『口を閉じて』といいました。『口を閉じて』とは、唇と唇を離さないことです。」
 
(子どもたち、しゃべらなくなる)

近藤「そうです。じょうずだね。そのまま、机に戻って、(課題を)やりましょう。」
 
 
 
 今日、あるクラスに補欠に入った
。(「補欠に入る」とは、担当の先生が出張や病欠でいないとき、代わりに教室に行くことである)
 
 冒頭に書いたのは、そのときの、子どもとのやりとりである。
  
 時間にして、5分弱だと思う。
 
 近藤が、最初に教室に入ったときは、わいわい賑やかだった。
  
 静かに学習する雰囲気ではなかった。
 
 そこで、冒頭のようなやりとりをした。
 
 一気に静寂が戻った。 
 
 その後、静かに、学習していた。
 
 
 
 ここで、近藤が指導したのは、
「言葉を大切にすること」
である。
 
 「口を閉じて」という言葉の意味、状態を、教えた。
 
 そして、
「先生が『口を閉じて』と言ったら、『口を閉じ』なくてはならない。」
ということも、教えた。
 
 些細な、些細な指導だが、教室の空気は、一気に変わる。
 
 「緩んだ」空気から、「張った」空気になった。
 
 この、ほどよい緊張感というのは、学びの上で、非常に大切だと、近藤は思っている。(子どもだけでない。大人にとってもである。)
 
 
 
 こういった指導は、授業参観や研究授業で、あまり見る機会がない。
 
 しかし、日常的で、大切な指導場面である。
 
 若い先生にとっては、参考になることもあるかもしれないと思い、敢えてここに書いた

(近藤は、担任をもっているときけんかの指導や問題行動をした児童への指導を、わざわざ若い先生に来てもらって、見てもらったこともある。教育実習生にも、同じように見てもらったこともある)
 
 自分が担任をしていた子どもには、冗談半分で、こう言っていた。
 
 「いつもいつも『わくわく授業』してるわけじゃないだぞ。『わくわくしない授業』だって、大切な授業がいくらでもあるんだ!」
 
 この思いは、今も、変わっていない。
 
 
 
 今日は、近藤の「わくわくしない指導」の記録でした。

(ちょっと、夢のない話かな?しかし、教育の現場を知っている方には理解していただけると思うのだが…)
 

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2008年2月27日 (水)

授業時間

 小学校の場合、一時間は45分である。
 
 今、「30年ぶり授業時間数増」(2008年2月16日神奈川新聞1面)などと報道されているが、「授業時間」とは、60分でなく45分である。 
 
 一時間の授業は、45分のはずである。
 
 しかし、45分授業をできない場合が、ある。
 
 
 
 今日、本校では、航空写真撮影があった。
 
 本校の中休みは、10:15~10:35である。
 
 授業時間を確保するために、撮影時間を10:27と設定した。
 
 (これは、撮影していただく業者の配慮であると、思っていた)
 
 
 
 今日は、強風が吹いた。
 
 「航空写真の撮影は、できないかな」と思った。
 
 早朝、電話がある。
 
 撮影業者からである。
 
 「予定通り進めるつもりだが、撮影時間などを、現在調整中である。8:30頃、再度電話をする」
とのことだった。
 
 「え?」と、思った。
 
 近藤の選択肢には、「やる」か「やらない」かしか、ない。
 
 「撮影時間などを調整」することなど、あり得ないのである。
 
 しかし、こういう写真をたくさん撮っている業者なので、そんなに心配しないでいた。
 
 
 
 8:30、電話がある。
 
 「風の影響で、10:10の撮影となります。」
 
 平気な顔で、言うのである。(すみません。間違えました。電話でのやりとりなので、「平気な声で」と書くのが正しいです)
 
 当然、近藤は、言う。
 
 「10:10は、まだ、授業中です。10:10は、難しいです。10:15分から休み時間となりますので、そこから、できるだけ早く、校庭で準備します」
 
 「できるだけ、早く、お願いします。」
 
 
 
 10:05頃、職員室の電話が鳴る。
 
 「もう、飛行機は上空にいます。どうしたのですか!!」
 
 
 
 10:27が10:10になる。
 
 たった、17分の違いである。
 
 たいしたことはないと考えるのが、一般的な感覚である。
 
 だから、業者の感覚は、理解できる。
 
 
 
 しかし、近藤は、「授業時間を使うことの重大さ」を、常々、感じている。
 
 だから、できるだけ、先生方の授業時間は、大切に使ってほしいと思っている。
 
 「休み時間である10:27分撮影」が、「授業時間である10:10撮影」になるということは、近藤にとっては(そして真剣に授業をしている先生方には)、たいへんなことなのだ。
 
 貴重な授業時間を削らなくてはならない。
 
 朝、天候を見て、「17分くらい、撮影時間をずらそうか」という感覚でずらしてもらっては、困るのだ。

 
 
 しかし、近藤は、身を切る思いで、授業中に放送をかけた。
 
 「授業中、申し訳ありません。準備ができた学級から、移動をお願いします。…」
 
 
 
 あぁ、何という、すばらしき先生方と子どもたちであろう。
 
 10:20には、すべての学級が並んで撮影を終了した。
(10:15分に授業が終わり、10:20に整列完了することは、あり得ない。なぜならば、避難訓練の時でさえ、全員を校庭で確認するのに5分30秒はかかるのだ。つまり、多くの先生が、授業を削って、近藤の放送に応えてくれたのである…)
 
 
 
 学力低下への対応として、授業時間増が語られることが多い。
 
 しかし、語られるべきは、その時間の使われ方ではないか。
 
 
 
 授業時間の使い方ということについて、改めて考えさせられる出来事だった。
 

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2008年2月26日 (火)

横浜版学習指導要領(総則)等の説明会に参加して

 横浜版学習指導要領(総則)等の説明会に参加した。
 
 限られた時間で多くの説明があったので、きびしかった。
 
 しかし、事務局の方のご苦労を思うと、「一生懸命聴かなければ…」という気持ちになった。
 
 
 
 考えることは、いろいろあるが、「いよいよ始まった」というのが、近藤の感想である。
 
 
 
 このブログにも、1年以上前から、「教育の地殻変動」(こんな表現じゃなかったかな?)が、いつかは教育現場に押し寄せてくることを、書いた。
 
 それが、いよいよやってくるのである。
 
 
 
 われわれ現場にいる者は、とにかく、子どもがよくなること(結果として、保護者の信頼を得ること)に、ありとあらゆる資源(人、物、金、情報…)を活用しなくてはならない。
 
 おかげさまで、横浜版学習指導要領は、サポートツールなのだそうである。
 
 おおいにサポートしてもらいたい。
 
 おおいにサポートしてもらって、よい教育活動を実現していきたい。
 
 ここがぶれると、事務局や学校現場の努力が徒労となる。
 
 
 
 なんのための、横浜版学習指導要領か。
 
 この根本を見失わないようにしたい。
 
 
(やっちった。悪い癖だ。大言壮語、抽象論理、意味不明な文章だ。いつまでたっても成長しない自分に嫌気がさす…。)

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2008年2月25日 (月)

新一年生の保護者説明会

 新一年生の保護者説明会があった。
 
 入学前の心構えや準備、入学式当日のことや、登下校のことなど、事細かに説明があった。
 
 
 
 それを聞いて、あらためて、「学校に入学させるって、たいへんなことだ」と思った。 
 
 
 「入学式には、この書類とこの書類とこの書類をもってきてください。」
 
 「書き損じのないように、注意してください。」
 
 「返事をできるようにしてください。」
 
 「体操服を準備してください。胸に名前を書いてください。」
 
 「持ち物には、すべて記名をしてください。鉛筆一本にいたるまで、すべて記名をお願いします。」
 
 「○○銀行から、学校徴収金の引き落としがあるので、口座をつくり、所定の用紙に必要事項を記入してください。印鑑は、口座をつくった時のものを押印してください。」
 
 「通学路の番号を名簿に記入してください。」
 
 「防災頭巾は、このように、椅子の背もたれに付けることができるようにしておいてください。」
 
 「4月は、できるだけむかえに来て、子どもたちと一緒に帰るようにしてください。一緒に帰ることができる日を、ここに書いてください」
 
 「あれしてください。」
 
 「これしてください。」…。
 
 さすがに、近藤は、話を聞いているだけで、「おなかいっぱい」という感じになった。
 
 
 
 しかし、これらは、どれも大切なことである。
 
 子どもを教育するというのは、「学校のサービス」では、ないのだ。
 
 教育は、教育に携わる者と、保護者との共同作業である。
 
 だから、当然、学校でできないことは、保護者の方にお願いする。
 
 教育基本法第十条に、「家庭教育」が新設された意図は、ここにある。
 
 とくに、スタートが大切である。
  
 だから、一年生の保護者には、細かいことまで、お願いすることになる。
 
 
 
 ありがたいことに、どの説明にも、保護者は真剣に耳を傾けていた。
 
 すばらしいと、思った。
 
 保護者の、「子どものために」という思いが、伝わってきた。
 
 
 
 この熱い思いに、学校は、応えなければならない。
 
 
 
 気持ちを新たにした、新一年生の保護者説明会であった。

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2008年2月24日 (日)

年度末の仕事をしながら考えたこと

 プロ野球の球団がキャンプをしている。
 
 優勝をめざして、個人やチームの力を高めている。
 
 
 
 プロの選手は、シーズンが終了すると、自分なりに仕事を振り返る。
 
 自分の今シーズンのプレーはどうであったか。
 
 次年度は、どんなことを目標にするのか。
 
 自分なりに、振り返る。
 
 そして、明確な目標を持って、キャンプインする。
 
 すべては、チームの「優勝」のためである。
 
 
 
 学校も、同じである。
 
 授業研究や校内の研修などを通して、個人やチームの力を高めている。
 
 そして、シーズン終了の頃(つまり年度末)、振り返る。
 
 自分の今シーズン(今年度)のプレー(教育活動や学校運営などの仕事ぶり)はどうであったか。
 
 次年度は、どんなことを目標にするのか。
 
 自分なりに、振り返る。
 
 すべては、「優勝」(子どものよりよい成長)のためである。
 
 
 
 しっかりと、自分の仕事のまとめをし、次に生かしていきたい。
 
 それが、自分のためでもあり、チーム(学校)のためでもある。
 
 
 
 学校で、年度末の仕事をしながら、ふと、そんなことを、考えていた。

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2008年2月23日 (土)

春風

 朝、春のにおいがした。
 
 
 
 午前、学校開放運営委員会があった。
 
 図書室に、おだやかな陽射しがさしこんでいた。
 
 
 
 午後、職員室のエアコンの交換工事のため、校長室で仕事をしていた。
 
 猛烈な風が吹いた。
 
 でも、ぬるい風だった。
 
 
 
 少しずつ、季節は、春に向かっている。
 
 
 
 この学校に、はじめてきたのも、春だった。
 
 もうすぐ、次の春がやってくる…。
 
 
 
 不思議な感覚だ。
 
 
 
 時の流れの不思議さを、春風に感じた。

(その後のニュースで、「春一番」だったことを、知った。
 「やっぱり…」と思った)
 

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2008年2月22日 (金)

だれか近藤に指導してくれませんか?

 年度末である。
 
 先生方は、つねに、多忙である。
 
 なんとか、先生方の負担を軽くしたいと思う。
 
 それは、「楽をさせる」という意味ではない。
 
 「子どもの指導に専念してほしい」ということである。
 
 
 
 この一週間、ほとんど毎日、先生方は、学力調査の処理をしていた。
 
 時間にして、10時間以上である。
 
 その間、教材研究はできない。
 
 ノートも見ることができない。
 
 学年の相談もできない。
 
 ただただ、テストの結果をパソコンに入力したり、入力に間違いがないか確認したりする作業に追われていた。
 
 
 
 近藤は、その作業を無駄と思っているわけではない。
 
 学力調査の結果を出すことは、有益だ。
 
 子どもを指導するうえで、客観的なデータになる。
 
 自分の指導の振り返りの資料にもなる。
 
 学校の傾向も把握できる。
 
 いいことだらけである。
 
 
 
 しかし、と思うのである。
 
 「教育」という仕事は、「大切だから…」という理由で、無限大に仕事が膨張する性格をもっている(というのが近藤の実感である)。
 
 だが、われわれのもっている時間は有限である。
 
 「費用対効果」を考え、優先順位を付けて仕事をすることが、とても大切であると、以前から考えてきた。
 
 さて、そういう視点から見て、「学力調査の処理」という仕事は、優先順位が高いのか?
 
 職員の貴重な勤務時間を10時間以上費やすコストというのは、横浜市全体で、いったいどれくらいになるのだろう。
 
 つまり、その間にできるはずの「教材研究」等の時間が減るわけだから、その分、横浜の教育の質が低下しているはずである。
 
 つまり、学力調査の処理という仕事の代償として、直接子どもの指導にかかわる時間を削っているのである。
 
 これって、大きな損失ではないのか?
 
 それだったら、全国学力・学習状況調査のように、民間の会社に外注した方が、「横浜の子どもの教育のため」には、いいのではないか?
 
 
 
 こんなことを考える近藤は、管理職として、失格なのだろうか?
 
 だれか、近藤に、
「お前の考えは、ダメだ!なぜなら…」
と、指導してほしい。
 
 本当に指導してほしい。
 
 
 
 だれか、近藤をすっきりさせてくれ!
 

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2008年2月21日 (木)

学校納入金を通じて、考えたこと

 先日、「PTA運営委員会」という会があった。
 
 PTAの役員さんたちとの会合である。
 
 そこで、学校納入金(学校に納めるお金)の徴収状況についての質問があった。
 
 
 
 「本校は、平成18年度は、全員徴収しています。」
と答えた。
 
 若干数、年度を越えて納めた方もいらっしゃるようである。
 
 しかし、平成18年度「払っていない」方は、いない。
 
 「給食費の未納問題」等の新聞報道を読んだり、学校だよりでのお願いを読んで、心配になったらしい。
 
 さもありなん、と思う。
 
 
 
 さて、本校では、学校に納めるお金(給食費とかPTA会費とか教材費とか…)は、「ゆうちょ銀行」(旧郵便貯金)の引き落としになっている。
 
 毎月、10日と20日が引き落とし日である。(会計の都合で、2月が年度の最終引き落とし月である。つまり、昨日が、平成19年度の最終引き落とし日であった)
 
 昨日までに、引き落とせなかった場合は、現金で集めることとなる。
 
 
 
 ここからが、近藤の、腕の見せ所である。
 
 本年度は、「年度内完全徴収」をめざして、努力するつもりである。(当たり前のことだ。しかし、当たり前のことを、当たり前にすることは、大切なことだ)
 
 
 
 ご家庭によって、いろいろな事情がある。
 
 さまざまな状況がある。
 
 それが、「公立学校」なのである。
 
 丁寧に、根気強く、理解を得ながら、しかし毅然と、努力していきたい。
 
 
 
 「生活保護」という制度がある。
 
 「就学援助」という制度がある。
 
 それぞれの制度は、非常に、すぐれた制度である。
 
 さらに、安全振興会では、無利子での「学校納入金」への貸付もしている。
 
 制度は、たくさん、ある。
 
 
 
 しかし、なのである。
 
 それらの制度ですくいきれない事情をおもちの方も、実際にいるのである。
 
 それを知り、対応できるのは、「身近にいる人」なのだ。
 
 
 
 個別具体的なことは書けないが、いろいろな方がいるという前提を、世の中の方々には知ってほしいと思い、今日のブログを書いた。
 
 これは、いろいろな子どもに直面して、それに対応している公立学校の宿命なのだと思う。
 
 制度ができるまで、待ってはいられないのだ。
 
 
 
 教育って、難しいね。
 

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2008年2月20日 (水)

話しかけずらい雰囲気

 今日も、いろいろな先生から、相談を受けた。
 
 その一つひとつは、書かない。(書けない…)
 
 今日、書きたいのは、それらの相談を受けたことではない。
 
 
 
 相談に来てくれる先生方は、みな、一様に
「副校長先生、(話しても)いいですか?」 
という感じで、近藤に話しかける。
 
 
 
 これを、近藤は、反省する。
 
 これは、いつも「話しかけずらい雰囲気」を醸し出してしまっている証拠である。
 
 振り返ると、近藤は、この一年、常に、職員室で「何やら忙しそうに」していた。
 
 先生方にとって見れば、なんで、そんなに忙しそうにしているかは、わからない。
 
 いろいろと相談したり、報告したりしたいことがあっても、忙しそうにしている副校長には、話ずらい。
 
 これでは、だめである。
 
 もっと、「いつでも、暇だよ。用事がある時は、いつでも話しかけて」という感じで、職員室にいなければならない。(ということに、最近、気づいた。これも、情けない…)
 
 これは、保護者の方や地域の方にとっても、同じである。
 
 「いつでも、職員室に行けば、話しやすい副校長先生がいる」…。
 
 理想である。
 
 そうありたい。
 
 しかし、今の近藤は、まったく、ダメである。
 
 後1ヶ月で、近藤の「初任副校長」も終わろうとしている。
 
 ぜひとも、「普通に副校長の仕事ができるようになったら」
「いつでも、職員室に行けば、話しやすい副校長先生がいる」ということを、めざしたい。
 
 
 
 未だ、「普通に副校長の仕事のできない」無力な近藤の、身近な目標である。

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2008年2月19日 (火)

一ヶ月後

 一ヶ月後は、卒業式である。
 
 
 
 横浜では、3月20日前後に卒業式をする学校が多い。
 
 本校は、3月19日に卒業式がある。
 
 つまり、一ヶ月後である。
 
 
 
 卒業式は、学校で、一番「大切な」行事だと、近藤は思っている。(一般的に、そう思っている教師は、多いと思う)
 
 費やす時間や労力を考えれば、一般的には「運動会」や「学習発表会(各学校での日頃の学習を地域や保護者に公開する行事。○○フェスティバルとか○○まつりなどと呼ぶこともある)」が一番「大きな」行事であろう。
 
 しかし、学校としては、やはり、卒業式である。
 
 
 
 6年間、お預かりした子どもの節目である。
 
 人生において、節目は、大切だ。
 
 子どもの6年間とは、大人のそれとは、まったく違う6年間である。
 
 大きな節目である。
 
 それが、卒業式なのだ。
 
 
 
 6年間の教育の結果の善し悪しの判断は、保護者及び成長した子どもが、すればよい。
 
 われわれは、その判断に謙虚であらねばならない。
 
 しかし、節目をむかえたことそのものに、われわれは、祝意を示さなければならない
。(わかりにくい文章だなぁ。おじさんくさくもあるし…。でも、他の表現ができないので、あえて、そのまま、ブログに書く)
 
 
 
 「保護者や先生はもちろんのこと、友達や後輩、そして地域の方々に見つめられて、節目をむかえることができる体験」を感じることができる行事。
 
 それが、卒業証書授与式であり、それが、卒業式の大きな意義であると、近藤は思っている。
 
 卒業式に向けて、やらなければならないことは、山ほどある。
 
 よい節目をむかえることができるよう、自分のできることに、真摯に取り組みたい。

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2008年2月18日 (月)

恩返し

初任者の授業研があった。
 
 教科は、「体育」である。
 
 事務の先生に、職員室をお願いして、授業を見に行った。
 
 よい授業であった。
 
 
 
 先週も、もう一人の初任者の授業研があった。
 
 その授業は、来校者があり、見に行くことができなかった。
 
 誠に、申し訳ないと思った。
 
 協議会にも、出ることができなかった。
 
 情けない…。
 
 
 
 今日の協議会の最後に、初任研担当の先生が、次のようなことを言った。
 
 「二人とも、初任研でしっかり力をつけ、一年間クラスをまとめることができたのは、すばらしいことだ」
 
 まったく、同感である。
 
 
 
 あまり書きたくないが、書く。
 
 近藤の、初任の時の、学級経営など、「非道かった」。
 
 「非道かった」(ひどかった)と、読んでほしい。
 
 それくらい、ひどかった。
 
 個人的には、思い出したくないくらい、ひどかった。
 
 
 
 それに比べれば、本校の初任、および若手教員は、ずば抜けて、すばらしい。これは、近藤の、本心である。
 
 
 
 だが。
 
 この仕事に、「完全」は、ないのである。
 
 「完全」に「よい」も、「完全」に「悪い」も、ない。
 
 だから、若い先生方には、「よりよい教育」をめざしてほしい。
 
 
 
 今日、近藤は、協議会で、授業をした初任の先生に、
「初任研の授業としては、十分満足です。しかし、さらなるレベルアップのために、あえて、よいことは言いません。『こうしたらよい』ということだけ、言います」
と言い、いくつかのアドバイスをした。
 
 研究会が終わった後、体育主任の先生と、さらに意見交換をしていた。
 
 これである。
 
 頭から、アドレナリンが出ているのである。
 
 こういう体験を、多くの、若い先生にしてもらいたい。
 
 
 
 「授業研」というと、「苦痛」に感じる教師がいるようだ。
 
 それは、「本当の授業研」を体験していないからだ。
 
 「授業研」は、「つら楽しい」のである。
 
 非日常であるがために、「つらい」体験ではあるかもしれないが、だからこそ「楽しい」体験になる。
 
 
 
 日本の教師の優秀さの一因として、「授業研究」(lesson sutudy)がアメリカで注目されている。
 
 日本の教師は、子どもの成長への喜びを基盤とした「つら楽しい」体験を通じて、質の高い教育を保障してきたのだと、近藤は、思っている。
 
 このことは、他業種の方には、わかりにくいことかもしれない。
 
 「授業研究」をしても、「授業研究」をしなくても、給料に大きな変化はないからだ。
 
 がんばったからといって、金銭的な見返りは、ほとんどなかったのが、この業界であった。(今は、少しずつ、変わろうとしている。それが、よいことかどうかは、わからない)
 
 これまで、日本の教師は、一学級40人という、世界にまれに見る「悪条件」の中で、すばらしい成果をあげてきたのである。
 
 
 
 若い先生方に、そんな、「日本の教師よさ」を学んでほしいと思っている。
 
 それが、これまで「日本の教師として育ててもらってきたこと」の恩返しだと、近藤は、思っている。
  

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2008年2月17日 (日)

小さな積み重ね

 本を読む。
 
 「これ!」と思う文章があると、付箋を貼る。
 
 だから、近藤の問題意識に合致した本に出会うと、その本は、付箋だらけになる。
 
 
 
 昨日、横山浩之氏(山形大学医学部看護学科准教授)の著作を数冊読んだ。
 
 この方は、発達障害の専門家であり、教育現場と連携して、教室における発達障害のある子どもの指導の在り方について、貴重な提言をされている。
 
 本は、付箋だらけになった。
 
 たいへん勉強になった。
 
 
 
 近藤は、この仕事(副校長)について、課題のある子どもに接することが、担任の頃よりも、多くなっていると感じている。
 
 行動面に課題がある子ども、学習面に課題がある子ども、社会性に課題がある子ども、家庭環境に課題がある子ども…、それぞれ状況は異なる。
 
 横山氏の著作には、それらの子どもへの対応のヒントが、たくさん書かれていた。
 
 うれしくなった。
 
 
 
 教師が力量を高めるためには、研修が必要だ。
 
 しかし、この仕事(副校長)は、「教師としての力量形成のための研修」に割くことができる時間が、とても限られている。
(事務量が多いことは文部科学省の調査で明らかになっている。さらに、近藤の場合、まずは「管理職としての研修」が、当面必要な研修なので、そちらに時間を多くとらざるを得ない。さらに、副校長は学校の「番頭」なので、研究会に参加する時間も多くとることが難しい。)
 
 「本を読む」ということは、近藤にとって、貴重な「教師としての力量形成の機会」なのである。
 
 
 
 本を読んで得た情報を、さっそく、明日からの教育に生かしたい。
 
 この小さな積み重ねが、10年後、20年後、大きな「力量形成の差」となることを、近藤は、実感している。
 

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2008年2月16日 (土)

でた

 でた。
 
 ついに、でた。
 
 学習指導要領の改定案が、でた。
 
 
 
 「小中授業 40年ぶり増」(朝日新聞2008年2月16日)
 
 「『ゆとり』路線転換 30年ぶり授業時間数増(神奈川新聞2008年2月16日)」
 
 いずれも、一面トップの記事の見出しである。
(あれ?なんで「40年ぶり」と「30年ぶり」と年数が違ってんだ??)
 
 
 
 さっそく、文部科学省のホームページから「小学校学習指導要領案」をダウンロードし、印刷した。
 
 近藤は、仕事柄、この学習指導要領というものに、強い関心をもっている。
 
 思い入れも、ある。
 
 これから、じっくりと指導要領案を読もうと思う。
 
 
 
 前回の改訂が、平成10年だった。
 
 横浜ベイスターズが優勝し、神奈川国体があり、関東学院大学が大学ラグビーを制覇し、箱根駅伝で神奈川大学が優勝し、横浜高校が松坂投手を擁して春夏連覇をした、「神奈川スポーツ界」にとって、すごい年だった。(と、記憶している)
 
 その時の教え子(小学5年生)は、今年成人式を迎えた。
 
 あれから10年…。
 
 10年など、あっという間である。
 
 しかし、その10年で、子どもは劇的に成長する。
 
 
 
 次の10年を見据えて、しっかりと、現場に即した教育課程編成と実践に取り組もうと思う。 

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2008年2月15日 (金)

「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」

 横浜市市学習状況調査が、あった。
 
 近藤は、はじめと最後に全校に放送を流す役を仰せつかっている。
 
 難しい仕事ではないが、大切な仕事である。
 
 ストップウオッチ片手に、放送を流した。
 
 
 
 はじめの放送を流した後に、個別に事情のある子どもが登校した。
 
 昇降口で座り込んでいる。
 
 校長先生が対応してくださった。
 
 しかし、昇降口から動こうとしない。
 
 バトンタッチして、近藤が、対応した。
 
 担任も、やってきた。
 
 さすがである。
 
 担任の先生は、持ち札が多い。
 
 手を代え、品を代え、なんとか、校長室に連れてきた。
 
 
 
 やばい!!
 
 市学習状況調査の終了の放送を流す時間が、近づいている!!
 
 
 
 すぐに、放送室に行き、何事もなかったように、終了の放送を、流した。 
 
 危機一髪だった。
 
 
 
 副校長になって、11ヶ月が終わろうとしている。
 
 早いものだ。
 
 最近、「謙虚さ」と「緊張感」がなくなっている自分に、おどろく。
 
 前述の出来事は、自分に「緊張感」がなくなっている証左である。
 
 もし、4月だったら、こういうことは、あり得ないことだ。(と思った)
 
 
 
 「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」がなくなってしまったら、成長は、ない。
 
 だめである。
 
 今の「副校長、近藤」は、徹底的に、だめである。
 
 
 
 あと一月で、「近藤の副校長一年目」が終わってしまう。
 
 もう一度、「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」を自覚したい。
 

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2008年2月14日 (木)

「結果」に、媚を売りたくない

 不思議である。
 
 アメリカ大統領選挙の予備選なるもので、オバマ候補が猛追しているらしい。
 
 ヒラリー・クリントン候補は、予想以上の苦戦だそうである。
 
 二人とも、「大統領になるために」、いろいろな工夫をしていると、テレビが報じていた。
 
 
 
 近藤の感覚として、これは、違和感がある。不思議である。
 
 自分の考えや主義主張をして、「結果として」大統領になるから、その後も安定した成果を得ることができる。
 
 「結果」に媚を売ったら、ダメだと、近藤は思う。
 
  
 
 スポーツ選手で、「結果」を求めて失敗した選手は、いくらでもいる(と思う。近藤は、伝聞ではあるが、そういう事実を多く知っている)。
 
 だから、スポーツ選手は、「今の自分の力を出すだけです。楽しんでやりたいです。(結果は後からついてくるものです)」というニュアンスのコメントを、表現することが多いのだ。
 
 
 
 自分の、本当に思っていることを表現し、多くの人々がそれを支持するからこそ、民主主義は、機能している(と思う)。
 
 
 
 いや。
 
 大統領選挙を考える前に、近藤は、我が校のことを考えなくては、ならない。
 
 
 
 今の目の前の子どもたちを良くするために、近藤は、日々、いろいろ考えることがある。
 
 必要な場合は、それを、アピールしなくてはならない。
 
 すべては、(ちょっと、かっこつけて書けば)「教師としての良心」からの判断である。
 
 「結果」に、媚を売りたくない。
 
 つまり、「読んだ人に、○○と思ってもらいたいから、□□を書く」ということは、したくない。
 
 自分の考えたことを、素直に書きたい。
 
 そして、読む人、聴く人に(ちょっとだけ)価値ある情報を伝えたい。
 
 もちろん、子どものためなら、(もしかしたら)誇張した表現や、無理した書き方をするかもしれない。
 
 それは、この仕事の、性である。
 
 自省したいが、自信は、ない。
 
 
 
 近藤の情報を得て、
「こいつは、とんでもないやつだ」
と思われても仕方がない。
 
「こいつは、知恵のないやつだ」
と思われても仕方がない。(事実、そういう側面はある…)
 
 でも、本心を、誠意をもって、語りたい。
 
 それが、この仕事の、最低限の心構えだと、近藤は信じているのだが。
 
 
 
 それすらも、確信できない最近の自分に、嫌気がさしている。
 

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2008年2月13日 (水)

アピールしたいこと

 2008年2月7日(木)、外部の療育センターのソーシャルワーカーの方を講師に、校内で「特別支援教育研修会」があった。
 
 その話を聴いて、
「本校の特別に支援の必要な子どもに対する指導の考え方や指導体制・指導方法は、おおむね適切だ」
という感想をもった。
 
 講師の先生も、「先生方の対応が、淡々として、良い」とおっしゃっていた。
 
 さらに、
「わたしたちは、多くの学校を訪問させていただいているが、この学校は、全体的に落ち着いていると感じた。」
とも、おっしゃっていた。
 
 これも、近藤の印象と合致している。
 
 
 
 これは、本校の落ち着いた地域性、保護者の教育力の高さが土台にあることは、間違いない。
 
 そして、学校の教育、先生方の指導が、おおむね適切であるということだ。
 
 手前みその自画自賛と思われるかもしれないので、それを証明する一つの事実を書く。
 
 359名在籍している本校で、2月12日現在、不登校は、0である。
 
 これは、すごい事実である。 
(近藤は、不登校を「悪」とは思わない。子どもにとって、その方が良い場合もある。しかし、できうれば、毎日、学校に通ってほしいという思いは、もっている。これは、多くの保護者、教師に共通する感覚だと思う)
 
 もちろん、「毎日がバラ色の学校生活」ではない。
 
 けんか、いたずら、けが、悪口…、毎日、いろいろなことが起こる。
 
 それでも、子どもは、学校に来ている。
 
 「うれしいこと」「嫌なこと」など、学校で「さまざまな経験」をすることによって、子どもは、育っている。
 
 これは、きわめて、健全な成長過程だと、近藤は思う。
 
 「不登校0」という「小さな事実」は、先生方の、毎日の血のにじむような努力の上に成り立つ、「すごい事実」なのだ。
 
 
 
 明日と明後日、横浜市学力状況調査(学力テスト)が、ある。
 
 テストの結果には、「教育の成果」を測るバロメーターとして、保護者の関心も高い。
 
 しかし、前述のような「教育の成果」は、残念ながら、テストの点数には現れない。
 
 だからこそ、アピールしたいのだ。
 
 学校では、「学力」をつけることと同じくらい、「集団生活に適応するような力」を育てることに努力していることを…。
 
 そして、それこそが、「塾」とは違う、公立学校の使命なのだと、近藤は思っている。
 
 
 
 もちろん、学校としての課題も多い。
 
 だからこそ、2月6日(水)には「学校運営協議会」(横浜市でいう「まち懇」のこと。いわゆるコミュニティスクールとしての「学校運営協議会」ではありません)で、地域の方からご意見をいただいたり、保護者アンケートをとったりしながら、よりよい教育に向けての取組を進めている。
 
 そのためにも、今、「できていること」と「できていないこと」を明確にとらえることは、非常に、大切だ。
 
 
 
 本校の「よさ」を、これからもアピールしていきたい。
 
 それも、外部の方とかかわることが多い、今の自分の仕事の一つだと思っている。
 

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2008年2月11日 (月)

祝!優勝!!

 教職員のサッカーチームに所属させてもらっている。
 
 「教員サッカー」と呼ばれている。
 
 各区でチームをつくり、1年間かけて、予選リーグ、決勝トーナメントを経て、優勝を争う。

 近藤は、横浜で教員になってから18年間、ずっと「教員サッカー」をしてきた。
 
 今年は、仕事柄、残念ながら、あまり、練習等には参加できないでいる。
 
 それでも、試合などがある時は、応援に行かせてもらっている。
 
 
 
 2月9日(土)、「しんよこフットボールパーク」で、平成19年度の「教員サッカー決勝戦」が行われた。
 
 そして、我が区が、見事、優勝した。
 
 まさに、歓喜の渦となった。
 
 優勝チームの端っこにいれることを、この上なく、幸せに感じた。
 
 18年間やってきて、初めての優勝体験である。
 
 
 
 決勝戦の前に、「シニアチーム」の試合があった。
 
 OBの方々が(定年退職後の方も)、大勢いらっしゃった。
 
 みなさん、極寒のフィールドで、サッカーを楽しんでいる。
 
 すばらしい。
 
 まさに、「生涯体育」の実践者である。
 
 
 
 アマチュアスポーツは、「クビ」になることはない。
 
 その気になれば、いつまでも「現役」でいられる。
 
 近藤も、いつまでも「現役」でいたい。
 
 
 
 体育を教える先生方には、ぜひ、運動を楽しむ経験をしてもらいたいと思う。
 
 「自分が運動を楽しむことができる」ことは、「子どもと運動を楽しむことができる」ことでもある。
 
 うまい下手は、関係ない。
(そんなこと気にしていたら、近藤はサッカーも、野球も、スキーも、ジョギングさえ、楽しめなくなってしまう)
 
 とにかく、汗をかく爽快感を楽しむこと。
 
 それが第一である。
 
 そこに、運動の楽しさを共有できる仲間がいれば、最高である。
 
 
 
 優勝した我が区のチームは、まさに、「運動を楽しんでいた」。
 
 汗をかくことを楽しみ、ボールを蹴ることを楽しみ、仲間とコミニケーションすることを楽しんでいた。
 
 決して、「勝利至上主義」では、なかった。
 
 だからこそ、この「優勝」は、価値があると、近藤は思う。
 
 
 
 なにはともあれ、
「祝!優勝!!」である!
 
 

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2008年2月10日 (日)

地域の教育力を生かした教育

 今日、7:00過ぎに出勤すると、男性が校庭の状況を見ている。
 
 今日、本校を会場に予定しているサッカーの大会が、実施可能な状況かどうかを、確かめにきたのだ。
 
 8:00頃、数名の大人が、グラウンド整備をはじめた。
 
 サッカー大会を実施するようだ。
 
 
 
 今日は、地域の拠点防災訓練だった。
 
 地域の方が集まって、非常時における対応の訓練をする。
 
 区役所や消防署の方もやってきた。
 
 地域選出の議員さんもやってきた。
 
 家庭科室で炊き出しをしたり、体育館でAEDの使い方を研修したりした。
 
 
 
 土曜日、日曜日、祭日、長期休業等は、学校の授業はないが、学校という場所を使って、いろいろな活動をしている。
 
 つくづく、「学校はみんなのもの」だということを、痛感する。
 
 つくづく、「学校は地域の拠点」だということを、痛感する。
 
 
 
 先日、学校運営協議会という場で、学校の教育活動の紹介をスライドで見た地域の方が
「最近の学校は、こんなに地域と密接にかかわって教育活動をしていることにびっくりした。自分の子どもの頃とは、比べものにならない。」
という感想をもたれていた。
 
 地域の中の学校であり、学校は地域のシンボルである。
 
 校舎を開放したり、施設を使っていただくだけでは、物足りない。
 
 地域の人材、文化、施設、自然等々を、積極的に、教育活動に生かしたい。
 
 幸い、平成20年度から、新しい指導要領の告示に伴う、各学校での教育課程の再編成が始まろうとしている。
 
 本校の地域性を生かした、本校らしい教育課程を編成したい。
 
 この、すばらしい地域の教育力を、さらに生かした教育をめざして。

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2008年2月 9日 (土)

校内特別支援教育研修会

 2008年2月7日(木)、外部の療育センターのソーシャルワーカーの方を講師に、校内で「特別支援教育研修会」をした。
 
 そこでの、印象的だった話を紹介する。
 
 
 
「わたしたちの尺度・感じ方とはかなり違う『自閉症の文化(Autistic Culture)』を理解することが大切。」
 
「普通級で学習・行動面で著しい困難を示す児童の割合は、横浜で6.5%。私たちが、学校訪問をした感触では、1割くらい。」
 
「『自閉症』を『治そう』と思わなくていい。『ちがうんだ』と思うことがスタートライン」
 
「『自閉症の世界』とは、『人の気持ちが、わからない』『抽象的な概念の獲得ができない』『感覚の特異性』がある」
 
 などなどなど…。
 
 
 
 その他にも、実際の指導に役に立つ、非常に具体的な情報もたくさんいただいた。
 
 実際に教室で子どもの様子も見ていただいたので、個別の子どもに対する支援についても、助言をいただいた。
 
 近藤は、最近、個別に支援が必要な子どもへのサポートのために、教室に行くことが多い。
 
 だから、すごく、勉強になった。
 
 
 
 やはり、研究会での話は、個別的で具体的で、実名性が高い方が、よい。
 
 今後も、「具体的なAさん」をよくするための、研究・研修会を充実させたいものである。

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2008年2月 8日 (金)

幸せな一日

 8:10~8:25、校門で、登校指導。
 
 8:30~8:50、お休みの先生のクラスで、朝の会の指導。
 
 8:55~9:25 別のお休みの先生のクラスで、体育(なわとび)の指導。
 
 9:30~10:15 個別支援級で、Aさんの個別指導。
 
 10:20~11:30 書類の整理。
 
 11:30~12:05 教室で落ち着いて学習に取り組むことができない子どもが校長室にやってきて、学習。
 
 12:05~12:25 給食室で、配膳の手伝い。
 
 13:00~13:30 学校カウンセラー来校、対応。
 
 13:35~14:30 お休みの先生のクラスの、補欠。下校指導。
 
 
 
 この間に、いろいろな先生から、相談や、報告を受ける。
 
 実は、その相談の中には、非常に重要で難しい相談もあった。(これについては、自分の考えを整理して、ブログに書きたいと思っている) 
 
 
 
 今日は、いろいろな子どもたちと、直接かかわることができた貴重な一日だった。
 
 近藤としては、「幸せな一日」と言って良い。
 
 しかし、事務処理は、ほとんどできなかった。
 
 仕事は、たまる一方である。
 
 でも、それで、よい。
 
 われわれの仕事は、「子ども中心」であり、子どもそっちのけで書類の整理に勤しんでいるとしたら、本末転倒である。優先順位を、間違っている。
 
 
 
 充実した一日を過ごせて、幸せである。
 

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2008年2月 7日 (木)

子どものために

 朝、「読書応援団」として、教育委員会の方と、読み聞かせボランティアの方が来校する。本校の読み聞かせボランティアに対しての支援をしていただく。
 
 昼、T区療育センターのソーシャルワーカーの方が、特別な支援を必要とする子どもを観察し、放課後、研修会が開かれる。
 
 その途中に、児童相談所から、本校の児童で、お世話になっている子供の情報について担任に電話が入る。
 
 「はまっこふれあいスクール」のアシスタントについての、地域の方の問い合わせがある。
 
 下校時、地域の方や保護者の方が、ボランティアで子どもの安全のため、引率や見守り活動をしてくださっている。
 
 
 
 どれも、学校「外」の方々が、学校教育のサポートをしてくださっているのである。
 
 ありがたいことである。
 
 これらを、「本当に、子どものために生かす」ためのコーディネートをするのが、今の、近藤の仕事の一つである。
 
 子どもに、直接、感謝はされない。
 
 この部分が、今の近藤には、ちょっとだけ寂しい部分では、ある。
 
 しかし、SOSを求めている子どもに、サポートできるチャンスは、担任よりも、ある。
 
 その部分で、この仕事の、やりがいを、少しずつ感じている。
 
 
 
 しかし、管理職のサポートが、子どもの成長に結びつくのも、結局は、子どもと、保護者と、先生方の努力の成果である。
 
 けっして、「管理職が、すぐれているから子どもが良くなる」のではないのだ。
 
 
 
 「副校長先生は、校長先生になるんですか?」
 
 放課後、若い先生に、単刀直入に訊かれた。
 
 「なるかもしれない。でも…」
 
 と、ぐずぐずした、応えをした。
(ホントは、結構、いいたいことを、言った。しかし、ここには、書かない)
 
 
 
 校長先生も、副校長先生も、教務主任の先生も、研究主任の先生も、児童指導主任の先生も、学年主任の先生も、中堅の先生も、初任の先生も、地域の方々も、保護者の方々も、文部科学省も、教育委員会も、マスコミも、「子どものために」がんばっている。
 
 それぞれの役割が、ちょっと、違うだけである。
 
 だから、子どもの成長という意味で、同士である。
 
 あとは、「つなぎをどうするか」というだけである。
 
 しかし、最後は、子どもと直接向き合っている「先生」だと、近藤は、思っている。

 
 
 今日の、学校「外」のいろいろなサポートを生かすことができる、本校の、「現場最前線」の先生方に、近藤は、心から感謝したい。

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2008年2月 6日 (水)

教育の条件整備

 火の車である。
 
 
 
 この一週間、風邪、けが、出張などなどで、先生方がそろったことがない。
 
 担任が欠けると、そこに、代わりの先生が入る。
 
 しかし、小規模校では、代わりに入る先生が、いない。
 
 先生方は、これでは、安心して、「風邪もひけない」状態である。
 
 
 
 本校では、専科の先生、少人数の先生、果ては初任研担当の非常勤の先生まで、担任の代わりに、指導にあたっていただいている。
 
 しかも、たいへん「好意的に」である。
 
 心の底から、「ありがたい」と思ってしまう。
 
 感謝の気持ちをどう伝えていいかわからないくらい感謝している。
 
 先日も、打合せで、感謝の気持ちを伝えた。
 
 
 
 しかし、「これでいいのかな」と、思ってしまう。
 
 管理職としては、
 
 この「善意に甘えるシステム」でいいのであろうか、
 
 と、思う。
 
 
 
  
 「学力向上」「心の教育」…、スローガンは美しいし、近藤も、大いに結構だと思う。
 
 しかし、それに向けての条件整備は、欠かせない。
 
 近藤は、「もし、現在の教育の状況について、課題があると考えているなら」、今の状況は、誠に「条件整備が不十分」だと思っている。
 
 「もし、現在の教育の状況で十分と考えているなら」、現在の条件整備で、よいかもしれない。
 
 「たった一人の担任の先生がお休みすると、教育効果が激減するしかない人的状況である」現状でよいと考えているならば…。
 
 
 
 近藤は、現状には、大きな課題があると、考えている。
 
 だからこそ、条件整備が必要だと思っている。
 
 条件整備とは、極端に言えば、現場に「人を増やす」ことである。
(教育予算における人件費の割合が、他の部局と比較して圧倒的に多い現実も、承知の上での極言である。もちろん、人を増やせばよいというものではなく、大切なのは「費用対効果」であるとも思う。しかし、「じゃあ、教育についての効果とは何か」ということについて書くと、一冊の本になってしまうので、ここでは、「条件整備=人を増やす」というわかりやすい構図にしておく。本当は、もっとつっこんだ議論にしたいのだが…)
 
 
 
 などと、つまらない理屈をこねている場合ではない。
 
 とりあえず、いくら先生が足りなくても、子どもの成長は、まったなしである。
 
 「先生がいないから、学校は休みです」とは、ならないのである。
 
 
 
 ということで、副校長も、教室に行って指導をする(機会を与えていただける)。
 
 
 
 今日は、あるクラスに、行かせてもらった。
 
 たいへん、おもしろかった。
 
 やはり、直接、子どもとかかわるってのは、いい。
 
 
 
 教育の条件整備を望みつつ、それにかこつけて、教室で子どもとかかわれる幸せを感じている自分に、非常に矛盾を感じている。
 
 へんな、自分である。

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2008年2月 5日 (火)

振り返り

 一年のまとめの時期である。
 
 
 
 子どもは、学習や生活の振り返りをする時期だ。
 
 6年生は、小学校生活の振り返りをする時期になる。
 
 もちろん、先生方も、年度当初に決めた自分の目標について、振り返りをする。
 
 管理職も、自分の設定した目標の実現状況を、自分で振り返る。
 
 「振り返り」「まとめ」「自己評価」「反省」などとよばれる、これらの営みは、実は、自分を成長させるうえで、非常に重要な「学び方」である。
 
 
 
 しかし、これらの営みが、本当に自分を成長させるためには、ある前提条件がある。
 
 それは、「本当に学びたい強い思い」である。
 
 多くの場合、子どもは、振り返りを「書かされている」。
 
 だから、振り返りには、もっともらしいことを書いても、次に生かされないことも多い。

  
 「書かされる」振り返りは、ちょっと、寂しい。
 
 
 
 さて、われわれ、教職員の振り返りは、どうであろう。
 
 われわれも「自己観察書」という振り返りを、「書かされて」いないだろうか。
 
 せっかく、書く機会を与えられているのだから、「書かされる」振り返りではなく、「自ら書く」振り返りでありたい。
 
 しかし、「書かされる」振り返りを、がんばって「自ら書く」振り返りにすることは、正直言って、無理がある。
 
 できうれば、振り返りを余儀なくされる環境を、自ら、創り出したい。
 
 環境とは、「本当に学びたい強い思い」と、「成長を実感できるシステム」と「それを共有できる仲間」である。
 
 子どもなら、「勉強が好き」で、「おもしろい授業」を受け、「級友と学びを分かち合える」環境であれば、勝手に、自分の学習の成果を振り返る。
 
 先生なら、「子どもの成長に喜びを感じること」ができ、「研究や研修を通じて授業の改善を感じること」ができ、「一緒に学び会える同僚」がいるということである。
 
 
 
 この一年のまとめの時期を、よりよい成長に生かしていきたいものである。
 
 子どもも、
 
 先生も、
 
 そして、管理職も…。
 

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2008年2月 4日 (月)

自然というのは…

 午前5:15、出勤。
 
 もちろん、徒歩である。
 
 昨日の積雪で、路面は凍結。
 
 バスが時刻通り運行するとは限らない。
 
 しかし、今日は、いつもより早く出勤して、学校周辺の雪かきをしなくてはならない。
 
 子どもの安全第一である。
 
 というわけで、早朝出勤となる。
 
 1時間以上かかって学校到着
。(いつも通る路地は雪が積もって通ることができない。さらに、大通りの歩道でさえ、凍結している。歩くのに時間がかかってしまった)
 
 
 
 凍った雪をスコップですくう。
 
 校門前の路面の凍結が、予想以上に危険である。
 
 雪かきをしながら、子どもに登校指導をする。
 
 校門前の路上で、車のタイヤが滑って空回りしている。
 
 原付に乗っている人が、転びそうになる。
 
 危なくて、見ていられない。
 
 校門につくまでに、何人かの子どもが転倒したと言っていた。
 
 それでも、なんとか、おおむね安全に登校できた。
 
 ほっとした。
 
 
 
 朝会で、雪の怖さの話をした。
 
 子どもたちは、真剣に聴いてくれた。
 
 まさに、今日の朝、体験してきたからである。
 
 
 
 ところが、思わぬ事が起こった。
 
 職員が、出勤途中、転倒してけがをしてしまったのだ。
 
 すぐに、「通勤災害」の手続きをする。
 
 びっくりした。
 
 
 
 今日は、雪と格闘した一日だった。
 
 「自然と深く関わる喜びと危うさを考えたい」と、昨日のブログに書いた。
 
 まさに、いろいろと考えさせられてしまった。
 
 
 
 しかし、気がつけば、今日は「立春」。
 
 春は、もう、すぐである。
 
 厳しい冬の先には、希望の春が、ある。
 
 雪にはしゃぎ、氷で転び、春に喜ぶ…。
 
 
 
 自然というのは、懐の深い教師であると、思った。
 
 

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2008年2月 2日 (土)

「うるっ」

 これまで、7回、6年生を担任した。
 
 つまり、担任として、卒業式を6回、経験したことになる。
 
 卒業式で、泣いたことは、ない。
 
 「ほっとした」ことは、ある。
 
 「忸怩たる思い」をしたことは、ある。
 
 でも、泣いたことは、ない。
 
 近藤は、これまで、仕事で涙を流したことは、ない。(少なくとも、自分の記憶には、ない)
 
 
 
 しかし、この仕事(つまり、副校長という仕事)についてから、「うるっ」とくる経験を、何回かした。
 
 びっくりした。
 
 なぜだろう?
 
 
 
 ありがたいことに、子どものこと、保護者のこと、指導のことなどを、多くの先生方が話してくれる。
 
 ほとんどは、今、上手くいっていないこと、つまり、悩みの相談である。
 
 本音で、真摯に、誠実に語ってくれる。
 
 うれしいことだ。
 
 
 
 近藤が、「うるっ」ときたのは、そんな話の時だった。
 
 子どもも一生懸命、親も必死、先生も真剣…、でも、教室の営みがうまくいかない…。
 
 誰も悪くないのに、状況は望ましくない…。
 
 泥沼である。
 
 しかし。
 
 それが、教育なのだ。
 
 教育現場は、そんなに、綺麗で、美しいことばかりではない。
 
 もっと、どろどろしていて、混沌としていて、もやもやしているのである。
 
 
 
 そんな状況を感じた時、「うるっ」ときた。
 
 「悲しい」とも違う、「つらい」とも違う、「うれしい」とも違う、
しかし、それらの感情が入り交じった気持ちからくる「うるっ」である。
 
 あえて、言葉を選ぶなら「感動」したというところか…。
 
 
 
 先日、ある先生にアドバイスをした。
 
 「どんな問題行動が起こっても、最後には、ハッピーエンドにしたい。それが、近藤の教育観なのです」
 
 そのためには、腹を据える。
 
 今日ダメなら、明日、良くする。
 
 明日もダメなら、あさって、良くする。
 
 今週ダメなら、来週、良くする。
 
 今年がダメなら、来年、良くする。
 
 状況が良くなるまで、努力を続ける。
 
 ハッピーエンドになるまで、ストーリーを終わらせないようにする。
 
 最後に「勝つ」まで、子どもとの格闘をやめないのだ。
 
 教師の執念である。
 
 そうすれば、子どもの問題行動は、きっと「ハッピーエンド」になる。
 
 さらに書けば、現在の状況がダメなほど、ドラマは感動的になるのだ。
 
 これが、近藤の、子どもの問題行動に対する基本的なスタンスである。
 
 
 
 そうである。
 
 近藤が「うるっ」とくるのは、まさに、「教室のドラマ」に「感動」している証拠なのだ。
 
 そして、「教室のドラマ」に感動してしまうのは、そのドラマの出演者ではなく、視聴者だからだ。(だから、当事者だった昨年度までは、涙など微塵も出なかったのだ)
 
 しかし、もう、「うるっ」としている場合ではない。
 
 相談を受けたからには、近藤も、当事者である。
 
 子どもと、保護者と、先生方と、一緒に悩み、共に、一歩でも半歩でも、進んでいきたい。
 
 それが、今の、近藤の仕事でもある。
 
 そして、それが、今の、近藤のやりがいでもある。
 
 (またまた、わかりにくい文章になってしまった。不調だなあ…。でも、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました)
 

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2008年2月 1日 (金)

Aさんの日記

 先日、人権研修に参加した。
 
 この研修に出るたびに、悩む。
 
 何を言っても、何を書いても、自分の思いをどう表現しても、
「この言葉が、誰かを傷つけているのでは…」
と思ってしまうのである。
 
 ブログを書く気にならなくなってしまうのだ。
 
 
 
 今日、本校の若い先生に、
「副校長先生、けっこう、ブログも、ギリギリの表現してますよね…。」
などと、つっこまれた。
 
 うろたえた。
 
 
 
 職員にまで、読まれている!?
 
 保護者も見ている(可能性がある)!?
 
 子どもも見ている(可能性がある)!?
 
 もとの教え子も、過去の同僚も、上司も、教育委員会も、先輩も、後輩も、そして、見知らぬ誰かも、これを読んでいる(可能性がある)!? 
 
 こわいことである。
 
 
 
 さらに、近藤は、「できるだけ具体的なことを書きたい」という思いが強い。
 
 抽象論は、おもしろくない。
 
 「具体をもって、抽象を語る」
 
 それも、身近にあった事実を、語りたい。
 
 
 
 当然、固有名詞が多くなる。
 
 しかし、個人情報保護の観点から、守秘義務の観点から、すべて具体名、固有名詞というわけにはいかない。
 
 
 
 あーーー、だめだ。
 
 近藤が、これをかくモーチベーションを低めることばかりだ。
 
 
 
 以前、日記に書くことがないと悩んでいる子ども(Aさん)の指導をしたことがあった。
 
 Aさんに、アドバイスをした。
「『書くことがない』ということを、書いてみよう」
 
 むちゃくちゃな指導である。
 
 しかし、Aさんは、次の日、日記を書いてきた。
こんな感じの作文であったと記憶している。 
 「書くことがない。書くことがない。書くことがない。…」
 
 
 
 今日のブログは、それと同じである。
 
 「ブログを書くのは、つらい」ということを、ブログに書いてみた。
 
 うーーん。
 
 やっぱり、つまらないブログになった。
 
 Aさんの日記と同じである…。

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2008年1月31日 (木)

昔遊びと餅つき

 今日は、1年生の「昔遊び」、そして5年生の「餅つき」であった。
 
 1年生の「生活科」、5年生の「総合的な学習の時間」の授業である。
 
 
 
 地域の方々が、協力してくださった。
 
 保護者の方も、協力してくださった。
 
 「昔遊び」と「餅つき」を合わせて、50人以上の方が、学校の教育活動のために協力してくださったのだ。
 
 
 
 ありがたいことである。
 
 あたりまえだが、無償である。
 
 ボランティアである。
 
 地域や保護者が、このように学校の教育活動に協力してくださることに対して、本当に、本当に、感謝している。
 
 
 
 近藤は、見た。
 
 普段の授業では、45分間席につくことが難しい子どもが、今日は、きちんと順番を守って、遊んでいるのである。
 
 近藤は、聴いた。
 
 「副校長先生、いつもは仕事になかなか取り組むことができない○○さんが、今日は、自分から進んで仕事をしていました!」
 
 
 
 今日の、この、教育的成果を生み出したのは、地域の方、保護者の方である。
 
 すばらしいことである。
 
 
 
 もちろん、それをコーディネートしたのは、本校の先生方である。
 
 これも、すばらしいことである。
 
 
 
 さらに、それをバックアップしたのが、用務員さんや給食調理員さんである。
 
 「昔遊び」が終わった後に、図工室で、お茶を出した。(今日は、寒かったので、暖まっていただこうと思ったのである)
 
 その準備を、用務員さんが、全部やってくれた。
 
 
 
 「餅つき」が、やや予定よりも遅れて終わった。
 
 給食を取りに行くのが、5年生は、少し遅くなった。
 
 しかし、それに、しっかり対応してくださったのが、給食調理員さんである。
 
 
 
 ここに書いたことは、学校現場ではたらいたことのない方には、少し、わかりにくいかもしれない。
 
 しかし、学校というところも、チームワークで成り立っている。
 
 
 
 全体をコーディネートし、今日の、子どもにとっての価値ある体験を創ったのは、校長先生の裁量である。
 
 
 
 今日は、とてもよい体験をさせてもらった。
 
 
 
 え?
 
 副校長は、なにをしていたかって?
 
 もちろん、いろいろ、働いていた。
 
 具体的内容は、ここには、書けない。
 
 でも、近藤も、一生懸命、働いていたことだけは、書かせてもらおう。
 
 
 
 地域の方、保護者の方、先生方、職員の方、そして校長先生、今日はありがとうございました。
 
 
 
 子どもが価値ある体験をするところをみることができて、喜ぶ近藤である。

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2008年1月30日 (水)

学校現場の負担軽減への道

 昨日、「文部科学広報」が届いた。
 
 文部科学省発行の広報誌である。
 
 
 
 そこに、「学校現場の負担軽減について(中間まとめ)」という記事があった。
 
 冒頭に「文部科学省では、昨年十一月に『学校の現場負担軽減プロジェクトチーム』を立ち上げ、四回の会合を開き、十二月七日に『中間まとめ』のとりまとめを行いました」とある。
 
 そこには、平成二十年度政府予算案に、負担軽減のための予算が盛り込まれていることが書かれていた。
 
 
 
 すばらしい!
 
 この財政難の折、どこにお金を使えばいいか、よくわかっていらっしゃる!
 
 にくいね!このっ!文部科学省!!
 
 
 
 さらに、
「また、文部科学省の省内に『学校現場の負担軽減連絡会議』を設け、調査文書の見直しその他の学校現場の負担軽減方策を進めることとしています。」(下線・近藤)
 
 そうなのである。
 
 学校には、いろーんな調査文書が来る。
 
 その調査や処理のため、先生方の子どもと向き合う時間が削られることもある。
 
 文部科学省は、問題のとらえが、的確である。

 さすがである。
 
 学校現場のことを、よくわかっていらっしゃる。
 
 
 
 さらに、さらに、こう書いてある。
 
 「今後とも、文部科学省では、学校現場の負担軽減に積極的に取り組んでいきたいと考えておりますので、各教育委員会や各学校におかれても取組を進めていただきますようお願いいたします。」
 
 はい、はい、もちろんです。
 
 学校でも取組を進めていきたいと思ってます。
 
 いっしょにがんばりましょう!
 
 
 
 と、悦に入っていたところに、校長先生に電話が入る。
 
 「○年生と○年生を対象に、アンケート調査をしてほしいのですが…。子どものアンケートについては、学校で集計し、データをこちらに送ってほしいのですが…」
 
 あいたたたた…、こりゃ参った…。
 
 
 
 夢は大きく、道は険しい、学校現場である。 

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2008年1月29日 (火)

隠ぺい体質

 本日の神奈川新聞、地域版から。
 
 見出し。「『抜てき』副校長、文書訓戒 事務費支払い怠る 横浜市公表せず」
 
 その記事の最後の文章。
 
 「『市教委は抜てきしたのがみっともなくて処分を隠ぺいしたのではないか』などの声が出ている。」
 
 
 
 マスコミとの接触の多い方から(市役所勤務の方である)、聴いたことがある。
 
 マスコミの「教育委員会」への印象は、「『隠ぺい体質』である」そうだ。
 
 この記事の見出しの最後「横浜市公表せず」とあるところに、マスコミの
「教育界や学校は『隠ぺい体質』ですよ。ほらね。こんなことを、隠そうとしていたのですよ」
というメッセージを、近藤は、感じてしまう。
 
 さらに、最後の文章、「『市教委は抜てきしたのがみっともなくて処分を隠ぺいしたのではないか』などの声が出ている。」…
 
 

 
 近藤は、「教育界や学校は『隠ぺい体質』」という見方を、「全」否定はしない。
 
 悲しいかな、十分な「根拠」と「説得力」なしに、学校で起こっている出来事を公にしないようにしようとする場合がある。
 
 誠に、残念である。
 
 そういう印象をもたれていること自体が、残念である。
 
 
 
 しかし、横浜市に限れば、おおむね、情報を公にしている(と思っている)。
 
 公にできない時には、それなりに「根拠」がある。
 
 簡単に言えば、その「根拠」とは、「子どもと保護者を守るため」である。
 
 
 
 マスコミ関係の方は、
「まずは、情報を提供しろ。出すか出さないかはわれわれが判断することだ」
という理屈をおもちだそうである。(これも伝聞情報です。ごめんなさい)
 
 その情報が、どのように活用され、どうなるかの判断は難しい。
 
 マスコミの方は、情報を扱うプロなので、その判断を委ねたい気持ちも、近藤には、ある。
 
 しかし、実際には、委ねたために、子どもや家族が傷つく事例があると聞いたことがある。
 
 そうなると、こちら(教育関係者)としても、考えざるを得ない。
 
 情報がどう活用されるかを予想するのはマスコミの専門だが、活用された情報によって子どもがどう思うかを予測できるのは、マスコミよりも教師の方が専門である。
 
 
 
 だからこそ、「子どもへのリスク」「保護者へのリスク」を考えて、情報提供をしない場合があり得るし、それは、現場の教師として、当然の判断だと、近藤は思う。
 
 
 
 「人間」より重要な「情報」など、あり得ないのである。
(「情報」は、「人間」を幸せにするためにあると、近藤は思っている)
 
 
 
 もう一度書く。
 
 公教育に携わる人間が「隠ぺい体質」とよばれてもしょうがないような事例も、近藤は、知っている。
 
 しかし、それには「根拠」があるのである。
 
 それを、マスコミの方に、わかるように説明できていないのは、こちら(教育関係者)の責任かもしれない。
 
 それは、反省に値する。
 
 しかし、だからといって、現場の人間として、「子どものリスク」があることが(プロの教師から見て)わかっている状況で、情報提供はできないのである。
 
 
 
 これを、ぜひぜひ、マスコミとよばれる方々には、知ってほしい。
 
 
 
 「教育界や学校は『隠ぺい体質』」という印象への、小さな反論がある。
 
 それは、現役の小学校の副校長が、毎日の出来事を、自分の言葉で綴っていることが許されるということである。(当たり前であるが…)
 
 つまり、このブログの存在そのものが、反論である。
 
 このブログは、「教育界や学校は『隠ぺい体質』」という印象への、近藤の、小さな、小さな抵抗でもあるのだ。

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2008年1月28日 (月)

うまく、言葉にできなかったこと

 朝、登校する子どもたちを、校門でむかえる。
 
 校長先生も、毎朝、校門の前の交差点で、子どもたちが安全指導をしている。
 
 Aさん、登校する。
 
 朝からご機嫌斜めである。
 
 表情を見れば、すぐわかる。
 
 校長先生と、目配せをする。
 
 
 
 今日は、月曜日なので、朝会がある。
 
 校長先生は、一足先に、朝会に出る。
 
 近藤は、最後に登校してくる子どもを見届けて、校門を閉める。
 
 
 
 職員室に戻り、朝会に出ようとする。
 
 職員室から校庭を見ると、
「あ、Aさんが、いない…」
 
 すぐに、Aさんのクラスに行く。
 
 予想通りだった。
 
 たいへんな状態だったのである…。
 
 
 
 本校の児童数は、およそ350名である。
 
 一人ひとり、どの子も、大切な、大切な、子どもたちである。
 
 その学校の校長先生は、一人である。
 
 その学校の副校長も、一人である。
 
 350名の子ども一人ひとりに、管理職は対応しきれるはずもない。
 
 当然、一人ひとりへの教育は、直接的には、担任の先生が担っている。
 
 
 
 先生方は、本当に、真剣に、一人ひとりの教育にあたっている。
 
 しかし、一人の担任では、対処しきれない出来事も、多い。
 
 だから、チームで対応する。
 
 しかし、チームといったって、担任をもっていない先生など、小学校では、ほとんどいない。
 
 みんな、自分のクラスのことで、必死である。
 
 
 
 だから、担任の先生方が援助がほしいと感じる「今、その時」に手助けができるのは、とりあえず、授業をしていない管理職である(事が多い)。
 
 副校長の出番である。
 
 しかし、援助がほしい「今、その時」が、いろいろな教室で同時に起こることがある。(今日が、そうだった)
 
 副校長は一人しかいないのだから、援助がほしい「今、その時」が複数起こったら、パンクである。

同時多発テロ、である。


 副校長の体は、一つしかないのである。
 
 だから、近藤にも、優先順位がある。
 
 同時多発的に緊急事態が起こったら、緊急性が高い方を優先するのである。
 
 緊急性が高いとは、「生命の危険」「身体の危険」度の高さである。
 
 
 
 ひとしきり、落ち着いて、放課後、Aさんの担当の先生と、少し話をした。
 
 
 
 「Aさんも一生懸命。Aさんの保護者も一生懸命。でも、うまくいかない。だれも、悪くない。しかし、お互いが、必死になっている。もちろん、先生方も一生懸命。その営みが貴重である。みんながんばっていることに、近藤は、何ができるのか…」
 
 近藤の思いは、こうだった。
 
 しかし、うまく、言葉にできなかった。
 
 
 
 今日のブログは、まったく、意味不明である。
 
 近藤が、何を伝えたいのか、きっとわかってもらえないだろう。
 
 
 
 それで、よい。
 
 具体的に書けば、個人が特定されることが想定される。
 
 だから、これが、限界だ。
 
 
 
 本校の先生方と、管理職は、一人ひとりの子どものことで、毎日、必死だということだけ、伝わってほしいと思っている。
 
 

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2008年1月27日 (日)

眼から鱗の研究会

 昨日の「横浜教育フェスティバル」で、「『横浜版学習指導要領』で進めるこれからの学校づくり」の分科会に参加した。
 
 勉強になった。
 
 
 
 NHK報道局社会部副部長の方の話は、わかりやすかった。 
 
 「現場で、主体的に教育活動をしよう。」
 「先生方は、真面目すぎ。もう少し、手を抜いた方がいい。」
 「誇りをもって、仕事をしよう。」 
 
 どれも、同感だった。
 
 
 
 北村校長先生の話は、非常に、勉強になった。
 
 「横浜版学習指導要領の表紙だけ太尾小に直し、ここから出発して、PDCAサイクルで太尾小学校らしい教育課程を創っていってはどうかと考えたり…」
 
 現場の発想である。
 
 「我が意を得たり」という感じで、拝聴させていただいた。
 
 
 
 今回の改訂に伴う、各学校での教育課程の編成は、これまでのイメージをかえなければいけないと、感じた。
 
 これまでのイメージとは
「各学校の教育課程は、各学校で文書化し、製本する。」
というイメージである。
 
 教育課程はカリキュラムという言葉の訳語である。
 
 これからの教育課程は、カリキュラムという言葉の本来の意味に、とらえ直す必要がある。 
 
 一般に「カリキュラム」と言えば、学期や年度のはじめに立てる授業や学習の「計画」を意味していた。しかし、「カリキュラム」の本来の意味は「学びの経験」にあり、その経験の軌跡である「学びの履歴」にある。カリキュラムの本義は、学期や年度の始まる前の「計画」として立てられるものというよりも、むしろ学期や年度の過程において子どもの学びの軌跡として創造され、学期や年度の終わりに子どもの学びの履歴としてできあがるものとして理解されるべきであろう。教室を開発の場として、教師と子どもの手跡を残したカリキュラムの創造が求められている。
(佐藤学『教育改革をデザインする』(岩波書店1999年)p111 下線・近藤)
 
 
 
 これまでの教育課程の編成は、「計画づくり」に労力と時間と金を費やしすぎていたように思う。
 
 むしろ、「計画」よりも、実践の過程とその「履歴」が大切なのである。
 
 だから、横浜では、各学校が「横浜版学習指導要領」に少しだけその学校らしさを加えるところからスタートすればよい。
 
 先生方が時間や労力ををかけるべきは、日々の実践とその実践のなかで一人ひとりにどのような学びがあったのかということを把握することである。
 
 
 
 誤解をおそれず書けば、スタートは「横浜版学習指導要領」のパクリでいいのだ。(美しくない言葉を使ってしまった。反省…)
 
 実際には、「横浜版学習指導要領 指導資料」がその役割を担うことになろう。
 
 
 
 眼から鱗の研究会であった。

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2008年1月25日 (金)

「講師」という仕事

 研究会の講師という仕事は、難しい。
 
 授業の事実をもとに、聞いていただく方に価値のある情報を提供しなければならない。価値のある情報とは、聞いていただいた方の教育実践が、よくなる情報である。
 
 
 
 昨日、横浜国立大学人間教育学部附属横浜小学校の研究発表会があった。
 
 体育の授業を見て、話をする仕事を与えられた。
 
 聞いていただく方がわかりやすく、そして有益な情報を提供しよう思っていた。
 
 しかし、ダメだった。
 
 昨日も書いたが、100点満点の30点くらいである。
 
 話の入りで、「つかみ」が甘かった。
 
 あれも、これも話そうとして、早口になり、聞きづらくなった。
 
 話の構成も乱れた。
 
 よかったのは、与えられた時間内に話し終えたことぐらいである。
 
 
 
 授業を見させていただいた先生から、お礼のメールが届いた。
 
 そこに、今日の研究会に参加した、他地区から来た初任の先生の感想も書いてあった。
 
 「…また、講師の先生のお話もとてもわかりやすく、明日から実践しようと思いました。…」
 
 
 
 ありがたい感想である。
 
 いくらダメな仕事でも、それを認めてくれる他者がいると意欲が高まる。
 
 なんてことはない。
 
 「研究会の講師」と「授業」というのは、とても似ている仕事だということに、終わってから気がついた。
 
 
 
 今回、貴重な機会を与えていただいた国大附属小学校の先生と、研究会に参加していただいた先生方に、感謝したい。

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2008年1月24日 (木)

がんばる教師、がんばる保護者を、応援したい

 午前中、附属小学校の研究発表会の講師の仕事。
 
 
 
 これは、これで、とても貴重な経験であった。
 
 自分の仕事的には、(「仕事的」ってなんだ?ひどい言葉だね)30点くらいの仕事だった。
 
 
 
 だが、今日、書きたいのは、そのことでは、ない。
 
 
 
 研究発表会の仕事を終え、たいへん失礼ながら、午後は学校に戻らせていただいた。
(本当は、一日、研究発表会に参加し、いっしょに勉強したかったし、校長先生にもそう言っていただいていたのだが…。近藤の力不足である)
 
 
 
 放課後、ある先生が、子どものことを報告してくださった。
 
 「報告」というと堅苦しいが、「職員室で、何気なく、子どものことを話す…」っていう感じである。
 
 すると、若い先生方も、話を聴きながら、話に参加する。
 
 近藤は、「自分が担任だったら…」という視点で、熱く、語る。(これが近藤の悪い癖である。)
 
 
 
 ひとしきり話し終わった後で、その先生方は、学年の話し合いをはじめる。
 
 勤務時間をはるかにオーバーした時間である。
 
 「副校長先生、私たちにつきあうと長くなるので、お気遣いなくお帰りください。」
 
 その先生が、言う。
 
 
 
 近藤は、反省する。
 
 熱く語り過ぎた…。先生方の時間をもっと大切にしなくては…。
 
 しかし、近藤の判断として、「これだけは伝えたい」ということを熱く語ったので、失敗だとは思わない。
 
 しかし、反省はしている。
 
 もっと、効率的な伝え方はなかったのかと…。
 
 未熟者の自己評価である。

 勤務時間をはるかにオーバーしてまでも、子どものために、がんばる先生方には、頭が下がる。
 
 別に、「だらだら仕事をして、勤務時間外まで仕事をしている」のではない。
 
 必要な情報交換をしていたら、必然的に、勤務時間外になってしまったのである。
 
 これが、教師の日常である。
 
 
 
 こんな先生方を、近藤は、自分のできる範囲の仕事において、精一杯応援したい。
 
 なぜなら、それが、「子どもたちをよりよく育てること」に直結しているからだ。
 
 
 
 教師が、がんばる。
 
 子どもは、教師の背中を見て、学ぶ。 
 
 保護者が、がんばる。
 
 子どもは、保護者の背中を見て、学ぶ。 
 
 がんばる教師、がんばる保護者を、応援したい。
 
 
 
 それが、今の、自分の仕事の一つだと思っている。
 
 それが、今の、自分の仕事のやりがいだと思っている。
 

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2008年1月23日 (水)

自慢話の続き

 今日は、先生方が、他校の授業研究に参加し、研修をする「一斉授業研」の日だ。
 
 午後の授業をカットし、他校に出張する。
 
 昨年までなら、近藤も、子どもを帰し、あわただしく他校へ出向いていた。
 
 しかし、本日の「副校長・近藤」は「留守番」である。
 
 
 
 職員室が、一気に、閑散とする。
 
 低学年サポートの先生だけ、職員室に残った。
 
 そこで、校長先生も交えて、いろいろ情報交換をする。
 
 
 
 この先生は、本校で、定年退職された。
 
 今回、低学年サポートを、学校でお願いすることになり、この先生を知る本校の職員から「ぜひ、○○先生を」ということになった。
 
 
 
 なるほど、すばらしい先生である。
 
 「低学年サポート」という、これまで経験のなかった職務に対して、みごとに対応している。
 
 さらに、たった1ヶ月あまり子どもと接しただけなのに、見事に子どもとの関係を築き、そして子どもの課題を適切にとらえていた。
 
 お話しをしていて、近藤も、たいへん勉強になった。
 
 
 
 さらに、さらに、すばらしいことがある。
 
 他の学年の指導のサポートに入ったところ、その指導を見た若い先生が「○○先生、すごい!」と感動していた。
 
 あまり、「すごい!すごい!」というので、「具体的に何がすごいと思ったの?」と、その若い先生に訊いたら、本当にすごかった。
(ちなみに、授業の「すごさ」を感じることができる教員はセンスのある教員である。ブログにも、何回も書いているが、本校の若手の教員は、その意味で、本当にセンスがあるのである)
 
 
 
 「すごい教育活動」は、実は、身近にあるのだ。
 
 これを、「公立学校不信」をもつ世の中の方に伝えたい。
 
 
 
 最近、若手の先生の自慢ばかりしていたが、今日は、本校の経験豊富な先生の自慢話でした。

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2008年1月22日 (火)

電話

 
 職員室で、電話をとる。
 
 「もしもし。校長か、副校長いますか!」
 
 「はい。副校長の、近藤でございますが…。」
 
 「あなたの学校では、いったいどんな教育をしているのですか!!」
 
 おしかりのお電話である。
 
 
 
 事情をお聞きし、謝り、これまでの指導とこれからの対応を、丁寧にお伝えする。
 
 電話をしてくださった方が、落ち着いてくるのがわかる。
 
 より適切な指導とこれからの対応の是非を知るために、お電話をいただいた方のお名前をお聞きしたが、それには及ばないということだった。
 
 お礼を述べ、電話をおいた。
 
 
 
 学校には、いろいろな方から電話がくる。
 
 「電話番」は、副校長の、大切な仕事である。
 
 前述のようなお電話は、ありがたいお電話である。
 
 地域での子どもの様子が、よくわかる。目に浮かぶようである。
 
 これから、学校で、どのような指導をすればよいかというわれわれの仕事の貴重なヒントを与えてくれる情報を提供してくれているのである。
 
 ありがたい。
 
 
 
 そのやりとりを聴いていた先生方が、心配して、声をかけてくださった。
 
 「どんな内容ですか。」
 
 「○○方面で、そんなことがあったと、お電話があったのですか。明日、子どもに訊いてみます」…
 
 
 
 ありがたいことである。
 
 校長先生に簡単に報告し、打合せで、各先生方に情報収集と指導をお願いする。
 
 
 
 しかし、こういった情報が学校に入る地域は、健全である。
 
 さらに、そういった情報に対し、対応しようとする職員のいる学校は、健全である。
 
 ご指摘のような子どもの行動は、おそらく、すぐには改善しないだろう。
 
 しかし、そういった指摘があれば、謙虚に耳を傾け、即座にできるかぎりの対応をし、理解を求める。
 
 それが、学校のできることであり、学校のすべき事である。
 
 
 
 子どもの粗相なら、いくらでも謝ろうと思う。
 
 それで、地域の方が安心をし、子どもがよくなるための情報を得ることができるなら…。
 
 
 
 ちょっと、かっこつけて、黒子である副校長のことを書いてしまいました…。
 
 でも、本心である。
 

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2008年1月21日 (月)

助言

 附属小学校の先生が、放課後、来校した。
 
 
 
 今週の木曜日、近藤は、横浜国立大学付属横浜小学校の研究発表会に参加する。
 
 授業を見て、コメントをする仕事を仰せつかっている。
 
 その授業をする先生が、やってきて、いろいろと話をした。
 
 
 
 ビデオを見ながら、話をする。
 
 楽しい。
 
 子どもの姿を見ながら、子どものことを語ることができる。
 
 
 
 それだけでは、ない。
 
 当日は、かなり、質の高い授業が展開されると、予想できる。
 
 ビデオを見る限り、近藤の予想を越えた、子どもの成長である。
 
 近藤は、この先生に、事前に、具体的な助言をした。
 
 それを、この先生は、見事に実践している。
 
 これは、この先生の力量である。
 
 近藤のせいではない。
 
 他者からの助言を、自分の中で消化して、実践に結びつけることができるというのは、すごいことなのである。
 
 当日、参加される方は、きっと、「超ラッキー」である。
 
 「これからの体育授業」の一例を、実際に目の当たりにできるからである。
 
 
 
 その先生が来校する前、初任の先生の体育授業について、相談にのっていた。
 
 センスのある若手の先生である。
 
 近藤なりに、一生懸命、助言をしたつもりである。
 
 その若い先生は、近藤のいうことを「きょとん」として、聞いていた。
 
 
 
 当たり前である。
 
 経験がないのである。近藤が、いくら話しても、実感が伴わない。
 
 だから、最後に言った。
 
 「最後は、○○先生が、『やってみたい』『やれそうだ』と思ったことを、全力でやった方がいいよ。成功しても、失敗しても、それが、一番、勉強になるから。」
 
 
 
 人に、ものを教えるということは、やはり、難しい。
 
 いや、「教えよう」と思っている近藤の心根が不遜である。
 
 
 
 人は、いくら「教えよう」としても「学ぶ」とはかぎらない。
 
 学ぼうとしている人と、タイムリーな情報が出会って、はじめて「学び」成立するのだ。
 
 この仕事(教師)をして、22年目が終わろうとしている。
 
 なのに、まだ、こんなレベルで失敗している自分が、情けない。
 
 
 
 初任の先生に、タイムリーな助言ができなかったことを悔いる、今日の近藤である。

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2008年1月20日 (日)

ご恩返し

 団塊の世代の先生方の退職が始まっている。
 
 それに伴い、若い先生が大量に採用されている。
 
 横浜市だと、小学校の職員の3分の1が5年未満の先生になっているという。
 
 
 
 企業では、若い社員への「専門的技能の伝承」が急務であるといわれている。
 
 教員の世界も、まったく同じ問題を抱えている。
 
 若い先生の力量が未熟なのは、当たり前である。
(近藤の若い頃を思い出すと鳥肌が立つ。未熟なんてもんじゃなかった。ひどかった。めちゃめちゃだった。それを書き始めると、一冊の本になってしまうのでここでやめるが…。)
 
 横浜市では、3年間でおおむね一人前に仕事ができることをめざして現職教員への研修を進めていると聞いた。
 
 結構である。
 
 近藤も、自分のできる範囲で、若手教員の成長を支援したいと思っている。
 
 
 
 平成20年1月12日(土)午後7時頃、ぼーーっとしながら、こんな事を考えていた。
 
 「若い先生は、教師としての力量が未熟である。授業も、下手である。ゆえに、クラスが崩壊する。若い先生が多いということは、崩壊するクラスが多いということになる。そこで学ぶ子どもたちが10年後、20年後、大人になる。大人になった頃、『私のクラスはこんなにひどかった』というクレームが次々に現れる。社会現象となる。そういった大人は学校に対して、不信感をもっている。学校不信が社会的に広がる…」
 
 ここまで考えて、あまりの恐ろしさに、「はっ」とした。

(思わず、メモをとった。近藤はこういったひらめきや驚きがあると、よくメモをとる)
 
 杞憂であることを願う。
 
 
 
 しかし、こういう展開も、考えることができる。
 
 「若い先生は、活力があり、元気であり、子どもとの年齢差が少ない。ゆえに、クラスに活気が出る。若い先生が多いということは、活気のあるクラスが多いということになる。そこで学ぶ子どもたちが10年後、20年後、大人になる。大人になった頃、『私のクラスはこんなにすばらしかった』という、若い先生が多い現在の状況の『よさ』が取り上げられる。社会現象となり、学校への信頼感が増す…」
 
 こうなれば、将来、バラ色である。 
 
 近藤は、本校の若い先生方を見て、将来に、非常に期待をもっている。
 
 本校の若い先生方は、未熟だが、素直で、前向きである。
 
 子どものことで悩み、子どもの成長を喜び、よりよい方法を求めて、進んで学ぼうとしている。
 
 子どもの目線で考えているので、近藤が、教えられることも多い。
 
 
 
 考えてみれば、若い頃、あれほどひどかった近藤が、クビにならないでなんとか今まで勤めているのである。
 
 近藤に比べれば、本校の若い先生方などは、「花丸」「二重丸」である。
 
 
 
 近藤が、曲がりなりにも、現在勤めることができているのは、これまで教えてきたすばらしい子どもたちや、保護者の皆さん、そして、よき諸先輩や同僚に恵まれたからである。
 
 今度は、自分の番である。
 
 ご恩返しのつもりで、若い先生方と、「今」「目の前の子どもに一番必要なこと」を模索しながら、いっしょに成長していきたい。 

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2008年1月19日 (土)

ジョギング出勤

 先日、極寒の早朝、ジョギングで出勤した。
 
 町はまだ暗い。
 
 自宅から学校までの約6kmを、ゆっくり1時間くらいかけて走る。
 
 体は走っているうちに暖まるが、手先や耳は冷たい。
 
 走っていると、風向きや風の強さに敏感になる。

 はじめの5分くらいは、体が走ることになれていないのがわかる。
 
 5分を過ぎると、少し慣れてきて、楽になる。
 
 出勤の6kmよりも、帰宅の6kmの方が楽だった。
 なぜだろう?
 自宅への道のりは、下り坂が多いのかもしれない。
 
 
 
 「体を使う」ことは、自分の体と対話をすることである。
 
 「体を使う」ことは、周囲の環境と対話をすることである。
 
 
 
 自分の汗、鼓動、呼吸、筋肉の疲労、頬の紅潮、耳の痛み…。
自分の体の微妙な変化を感じる。
 
 肌にあたる寒風、路面の固さ、周囲の暗さ、町の喧噪…。
周囲の状況が変化していく様子を感じる。
 
 
 
 バーチャルリアリティ全盛の中、「体を使う」体験を大切にしたい。
 
 近藤は、子どもの「体力不足」も問題だが、子どもの「体験不足」も大きな問題であると思っている。
 
 
 
 そんなことをぼんやり考えながら、その日は、冷たい路面を走って出勤したのである。

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2008年1月18日 (金)

書くことの難しさ


 「学校だより」という印刷物がある。
 
 保護者や地域の方に配る。
 
 学校の行事予定や、行事の様子などが掲載されている。
 
 
 
 その巻頭言を、校長先生が書く。
 
 修行の一貫として、年二回くらい、副校長が書く。(学校によっては、毎回、校長と副校長が書くこともある。)
 
 今日、その原稿を書いていた。
 
 
 
 気がついた。
 
 このブログを書くように、できないのである。
 
 言葉を選び、形式に配慮し、保護者を意識して、書く。
 
 
 
 このブログは、思ったことを、率直に、受け手にとって有益だと思うことを、書いている。
 
 ブログのように書こうとしたが、あきらめた。
 
 時間の無駄である。
 
 やらなければならない仕事は、山積している。
 
 
 
 というわけで、「学校だより」には、残念ながら、自分の納得のいく文章を書くことができなかった。
 
 いや、まだ、時間がある。
 
 もう少し、がんばってみよう。
 
 
 
 書くことの難しさを、あらためて感じた出来事であった。

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2008年1月17日 (木)

相談

 
 「副校長先生、ちょっと、いいですか…」
 
 臨時任用の先生である。
 
 この先生は、「学校の先生」という仕事を選び、今の仕事をしながら、日々、悩んでいる。
 
 真面目である。
 
 実直である。
 
 それだけで、この先生に、「教師としての資質がある」と、近藤は思うことができる。
 
 この先生の悩みに、「今、すべきことはこれ」「さらに、すべきことはこれ」という近藤の考えを伝える。
 
 
 
 「副校長先生…。」
 
 別の先生が、話しかけてくれる。
 
 勤務についての悩みである。
 
 これも、近藤の考えを伝える。
 
 その先生の思いが、痛いほど、わかる。
 
 真摯に、誠実に、応えたつもりだが、どう感じられたかは、わからない。
 
 
 
 成長の過程に課題がある子どもについての指導を、頼まれる。
 
 その先生には、「この子どもは大丈夫。クラスの子どもの指導に戻ってください。」と伝えて、その子どもを預かる。
 
 直接、子どもと、話す。
 
 なるほど、と思う。
 
 
 
 「事件は、現場で起こっているのである」
 
 昨日の、ブログに書いたとおりである。
 
 
 
 いろいろな相談をしてくれる職員に、近藤は、感謝をしている。
 
 先生方の思いや悩みもわかるし、子どものための支援もできる。
 
 なによりも、先生方と、「生の会話」ができるのが、うれしい。
 
 
 
 若い先生の「副校長先生、お忙しそうですけどいいですか…」
 
 という言葉に、近藤は、自分の無力さを感じてしまう。
 
 自分が忙しそうにしていたら、先生方は、話しかけずらいはずだ。
 
 だから、「いつでも相談してください」という感じで職員室にいなければならないのに、どうやら近藤は、仕事に追われている印象をもたれてしまっているらしい。
 
 むむ…。今後の課題である。
 
 
 
 そんな近藤なのに、多くの先生が、自分に話しかけたり、相談したりしてくれる。
 
 一生懸命、それらの先生の問いかけに、ベストな答えを返そうとしている、無力な副校長である。
 
 

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2008年1月16日 (水)

あたりまえ

 
 学校にインターフォンがある。
 
 「非常時には、インターフォンを鳴らすので、すぐ来てください」
 
 ある先生との約束である。
 
 
 
 今日、インターフォンが、鳴った。
 
 来客中であったが、すぐに、現場に向かった。(1分以内に現場に行くことを目標にしている。おそらく、今日は、1分以内には行くことができたはずだ)
 
 「○○さんが、上の階に…」
 
 すぐに急行、○○さんは、すぐに見つかった。
 
 
 
 おそらく、これだけの表現では、イメージできないだろう。
 
 しかし、これが、(近藤が、表現できる)限界である。
 
 伝えたいのは、「事件は、現場で起きている」ということである。
 
 
 
 「何かあった時」、とりあえず戦力になるのは、職員室にいる、「今、その瞬間、授業をしていない人」である。その、代表格が、副校長である。
 
 何かあったら、すぐに対応できること。
 
 これは、この仕事(つまり副校長)の、大切な資質であると、思う。
 
 考えている時間はないのだ。
 
 瞬間的な判断である。
 
 これは、担任の先生や実際に子どもと接している先生方と共通していることである。
 
 副校長の仕事の一つは、「必要に応じ児童の教育をつかさどる」のである。
 
 
 
 「教育は、スポーツだ」
 
 これは、ある先輩教師の言である。
 
 誠に、もっともであると思う。
 
 われわれの営み(つまり「教育」という営み)は、瞬時に状況を判断し、行動しなければならない。
 
 まさに、スポーツである。
 
 
 
 今日は、いつ、インターフォンが鳴るかわからなかったので、外回りの仕事(金融機関の仕事や地域への仕事)は、やめた。
 
 
 
 だが、多くの(ほとんどの)人々は、そんな「高度な一瞬の判断」のうえに平安な日々があることを、知らない。
 
 あたりまえである。
 
 それでよい。
 
 近代社会の「あたりまえ」は、「高度な一瞬の判断」に支えられているのだ。
 
 それができると認められているから、われわれ(つまり「教師」)は、血税から、いくばくかの報酬をいただいているのだ。
 
 
 
 今日も、「あたりまえの一日」が終わって、ほっとしている。 

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2008年1月15日 (火)

ずーーっと、気になっていたこと

 ずーーっと、気になっていたことがある。
 
 
 
 それは、このブログに貼ってあった写真のことである。
 
 昨日まで、「近藤が、プールでペットボトルをもった写真」を貼っていた。(2006年9月から15ヶ月くらい)
 
 ブログを開くと、「近藤が、プールでペットボトルをもった写真」がある。
 
 真冬でも、「近藤が、プールでペットボトルをもった写真」である。
 
 「近藤が、プールでペットボトルをもった写真」の横に、スキーをしたことなどが書いてある。
 
 不自然である。
 
 異様である。
 
 
 
 というわけで、写真を変更した。
 
 これは、昨年、本校のある学年で授業をさせてもらった時のスナップである。
 
 昨年度まで、年間数百時間、授業をしていた。
 
 しかし、本年度の授業は、おそらくこの1時間だけであろう。
 
 ある意味、貴重なスナップである。(授業をさせてもらった学年の若い先生が撮ってくれていた。感謝、感謝である)
 
 
 
 今日から、このブログを読む方は、「この人、きっと、先生なんだな」とわかってくれるであろう。
 
 しかし、この姿は「一年に一回の姿」である。
 
 ほとんどは、職員室で、書類かパソコンに向かって、格闘しているのである。
 
 このブログを読む人のためだけでなく、自分の原点を日々確認するために、授業をしている自分の写真を貼ることにした。
 
 
 
 長年の懸案事項が一つ解決できて、少し、ほっとしている。

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2008年1月14日 (月)

成人の日の思う

 
 成人の日である。
 
 今日は、8年前に担任した卒業生の成人式である。
 
 先日、その子たちは、同級会をした。
 
 教え子が成人、つまり大人になった今、学校生活をどう感じているか、知りたいものである。
 
 「覚えていない」かもしれない。
 
 「苦い思い出がある」かもしれない。
 
 「つらかった」かもしれない。
                                       
 どんな感想でもよい。
 
 「近藤級」という生活空間に、それぞれの子どもが、どんな情景、印象をもっているのかを、知ってみたい。
 
 もちろん、出会った時の近藤が、20代か、30代か、40代かで、かなり印象が違うであろう。
 
 それも、おもしろいと思う。
 
 
 
 今日の成人式で、教え子たちは、昔話に花を咲かせるのであろう。
 
 大いに結構だ。
 
 その話題の中に、少しでも、近藤の担任した時期の出来事があれば、近藤としては、無上の喜びである。
 
 
 
 がんばれ!新成人!! 

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2008年1月13日 (日)

ロードレース大会に参加して

 
 本校を使って、区のロードレース大会があった。
 
 早朝、6時過ぎに、学校を開ける。
 
 6時30分には、準備が始まる。
 
 もちろん、まだ、真っ暗である。
 
 
 
 この大会には、本校の子どもたちも、たくさん出場する。
 
 会場を提供するだけではつまらないので、若い先生と一緒に、近藤もエントリーした。(とはいっても、距離の一番短い「ファミリーコース」、3kmである)
 
 子どもたちと一緒に、楽しく走ることができた。
 
 
 
 先日の神奈川新聞に、「はまっ子の体力低下」という記事が大きく掲載されていた。
 
 横浜市の小・中学生の体力テストの結果が、ほとんどの種目で全国平均よりも劣っていたという記事である。
 
 1月下旬頃に告示される改訂学習指導要領では、体育の時間数が増える。
 
 これも、もちろん、全国的な子どもの体力低下傾向をふまえての改訂である。
 
 しかし、「体力低下傾向」を、学校の体育の時間だけで解決をしようとしても、無理である。
 
 これは、以前から、近藤が主張していることだ。
 
 では、どうするか。
 
 
 
 例えば、今日のような地域のロードレース大会。
 
 こういった地域スポーツや地域の体育的行事と連携するという方法も、解決方法の一つである。
 
 つまり、今日のような地域のスポーツ大会と、学校の教育活動を連動させるのである。
 
 この時期に合わせて、学校のマラソン大会を設定する。さらに、走るコースもロードレース大会と同じにする。冬休みに、希望者を募って、ロードレース大会用の学習を組む…。
 
 いろいろできそうである。
 
 特色ある学校づくりのため、こういった地域のイベントを学校教育に生かす発想も、これからは必要になってくるであろう。
 
 
 
 区役所はじめとする地域の体育協会、体育指導委員の方々、交通安全協会、交通安全母の会、青少年指導員の方々、子供会、そして警察署等々、今日は、早朝より、本当にありがとうございました。
 
 第19回の大会を、楽しみにしています。

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2008年1月12日 (土)

ささやかな道具

 今年の年賀状のやりとりも、そろそろ終了である。
 
 
 「ブログ、読んでいるよ」

 「ブログを見ているので、久しぶりのような気がしません」
 
 「ブログ、ひそかに、チェックしています」
 
 年賀状に、このような、ブログネタのコメントをいただくことが多い。
 
 
 
 先日、職員室で、電話をとった。
 
 「○○○教育委員会の○○課の○○ですが…、」
 
 役職的に、近藤より、ずっとえらい方だった。
 
 当然、近藤とは、面識のない方だ。
 
 電話の用件は、あることに関しての簡単な確認だった。
 
 普通に対応した。
 
 そこまでは、何の変哲もないやりとりだった。
 
 
 
 しかし…、
 
 「副校長先生、ブログ、たまに拝見してますよ。毎日、書かれるのはたいへんでしょう。現場の様子を知るのに役立ってます。…」 
 
 一気に、冷や汗が出た。(比喩ではなく、本当に、汗が出ていた…)
 
 「いや、個人情報にはですね、たいへん気を使っておりまして、いや、十分、守秘義務を守りつつですね、なかなか教育現場というのは…、いやいや、あの、その、そうじゃなくて、うぅ、まったく、お恥ずかしいかぎりで…」
 
 しどろ、もどろ、支離滅裂である。
 
 
 
 あらためて、不特定多数に発信できてしまうIT社会の恐ろしさを実感した。
 
 
 
 さらに、ブログというのは、こちらの情報を発信するだけでなく、受け手の情報がわかるのも、おもしろい。
 
 それが、「アクセス解析」という機能である。
 
 このブログは、毎日、約50人以上のアクセスをいただいている。(多い時は、100人を超えることもある。ありがたや、ありがたや…)
 
 しかし、30人台まで減った日が、この3ヶ月の間に、3日間だけあった。
 
 12月24日、1月1日、1月2日である。
 
 つまり、クリスマスイブと正月2日間は、アクセスが、激減したということだ。
 
 クリスマスや正月は、家族や恋人と大切な時間を過ごしたり、友達とパーティーしたり親戚と酒宴をするなど、非日常の過ごし方をしている方が、このブログの読者には、多いということなのだ。
 
 きわめて、健全だと思う。
 
 そして、その方々の生活が、通常のリズムに戻ると、
「近藤のブログでもチェックして、暇つぶしするか…」
となり、アクセス数が増えるというわけだ。
 
 ほらね。
 
 受信者のライフスタイルが、見えてくるでしょ。
 
 おもしろいことである。
 
 
 
 年賀状も、ブログも、メールも、電話も、あなたと近藤を結ぶささやかな道具である。
 
 このささやかな道具を上手に使って、あなたと近藤の人生が豊かになることを願って、近藤は、日々、駄文をアップしているのである。
 

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2008年1月11日 (金)

教頭会研究大会に参加して

 
 午後、出張。
 
 県の教頭会研究大会参加のため、茅ヶ崎市へ。
 
 参加した分科会のテーマは、
「支援教育の充実のために~関係機関の連携の在り方を探る~」
 
 おきまりの提案のあと、小グループでグループ討議。
 
 なぜか、名簿の右に「司会」と書いてあり、6名ほどのグループの司会をさせていただいた。
 
 神奈川県下のさまざまな地域からあつまっている教頭先生方が、それぞれの地域、学校の実情について語る。
 
 「箱根」「海老名」「鎌倉」「葉山」「川崎」そして「横浜」…。
 
 さまざまな地域で、さまざまな特別支援教育へのサポート制度がある。
 
 いろいろな情報交換ができて、楽しかった。
 
 
 
 本校の事例。
 
 家庭への支援が必要な子どもがいる。Aさんとしよう。
 
 学校が支援できるのは、あくまでも学校でのAさんである。
 
 家庭にまで、なかなか入っていけないのが、現状である。
 
 そこで、児童相談所というところが、家庭に必要な支援をする。
 
 しかし、そういう家庭が多くなったせいか、十分に支援できない状態が続いた。
 
 Aさんについても、児童相談所が、家庭に支援できないことが多かった。
 
 しかし、この秋ぐらいから、児童相談所の職員以外の方が、その仕事をサポートするシステムが稼働し始めた(らしい)。
 
 Aさん担当に、Bさんという女性がなった。
 
 すると、足繁く、Aさんの家へ家庭訪問したり、学校への情報提供をしたりしてくださるようになった。
 
 すると、Aさんの生活に、落ち着きが戻る。
 
 Aさんの表情が、やわらぐ。
 
 今後、また、落ち着かない時期が来るであろう。
 
 しかし、それをわかったうえで、それでも、現在の「前より改善された状況」を、すなおに喜びたい。
 
 
 
 話をもどそう。
 
 今日の研修のテーマは、「支援教育の充実のために~関係機関の連携の在り方を探る~」であった。
 
 「支援教育の充実のために」、さまざまな「関係機関」は尽力をしている。
 
 行政は、財政難である。
 
 厳しい財政の中でやりくりしたり、効率的なシステムを工夫したりしている。
 
 それを、本当に子どものために機能させる仕事、これがわれわれの仕事の一つなのであろう。
 
 どんなにお金をつぎ込んでも、よいシステムをつくっても、現場の学校でそれを本当に子どものために使いこなせなければ、意味がない。
 
 「関連機関」が、本当に「支援教育の充実のために」なるためには、管理職が重要な役割を担う。
 
 Aさんは、関連機関と学校が連携し、子どもがよくなった具体例なのである。
 
 こういった事実を、一つひとつ、積み重ねていくこと。
 
 これが、現場にいるわれわれの大きな仕事なのだと思う。
 
 
 
 今日の研修会に出て、ふと、Aさんの笑顔を思い出し、微かな充実感を感じた。
 
 
 
 あれ?
 
 これって、ちょっと、自慢ですかね?

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2008年1月10日 (木)

教師の日常

 今日、手紙を送った。
 
 それは、8年前、12歳だった子どもたちが「大人になった自分へ」というテーマで書いた手紙だ。
 
 
 
 平成11年度、近藤は、6年生の担任だった。
 
 卒業式の前日、最後の授業で、「大人になった自分へ」という手紙を書かせた。
 
 そして、
「みんなが、大人(20歳)になったら、この手紙お送ります」
と、話した。
 
 その手紙は、「平成20年1月送付」と書いた大きな封筒に入れた。
 
 それを、今日(平成20年1月10日の早朝)、送ったのだ。
 
 だれが、どんな内容を書いたのかは、まったく知らない。
 
 自分で住所を書かせ、自分で封をさせたからだ。
 
 近藤は、それを、8年間預かり、今日、ポストに入れただけだ。
 
 だれが、何を書いていようが、近藤が知らなくても、まったく問題ない。
 
 だって、(昔の)「自分」から(未来の)「自分」への手紙なのだから。
 
 
 
 その子どもたちは、すでに、昨年11月、クラス会をしている。
 
 大いに盛り上がったそうである。(近藤も、よばれていたが、恥ずかしながら体調不調で参加できなかった。残念無念である)
 
 幹事をしてくれた子ども(「子ども」などと書いては失礼である。現在は、20歳を過ぎた大人である。でも、近藤から見ると、いつまでも「子ども」である。)から、当日の写真が送られてきた。
 
 うれしいかぎりである。
 
 これが「教師冥利に尽きる」ということなのだろう。
 
 
 
 今日、職員会議で、子どものことで、涙を流した若い先生がいた。
 
 胸が熱くなった。
 
 こういった若い先生がいることを、近藤は、誇りに思う。
 
 誠心誠意子どもに尽くして、それでも「人を育てることの難しさ」を実感し、そして、わずかな子どもの成長に喜びを感じる。
 
 心の底から、そういった感覚をもっている人は、教師としての資質があると、近藤は、思う。
 
 
 
 敢えて、書く。
 
 教師のやりがいとは、100の挫折と1つの自己満足なのである。
 
 
 
 若い教師の涙は「100の挫折」の一つの具体例であり、卒業してから8年後に出した近藤の手紙は「1つの自己満足」の具体例である。
 
 こういった営みの繰り返しが、「教師の日常」なのだ。
 
 
 
 と、ここまで書いて、反省する。
 
 あぁ、書いてちゃったよ。
 
 また、抽象的な大言壮語で、意味不明の文章を書いてしまった。(これも100の挫折の一つ??)
 
 しかし、ここに書いたことは、現在の、近藤の、実感なのである。
 

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2008年1月 9日 (水)

日々の実践こそが「研究」である

 「落ち着きのない子ども」への対応について、ある先生から、相談を受けた。
 
 
 
 「落ち着きのない子ども」は、どの学校にもいる。
 
 しかし、「落ち着きのなさ」の具体的な内容(席に着いていることができない、おしゃべりをする、友だちにちょっかいを出す…)は、千差万別、百人百様である。
 
 だからこそ、その状況を、的確に把握しなくてはならない。
 
 
 
 近藤が、話したことは、2点。
 
 まずは、「当面の対応」。
 
 その子どもは、現在の状況だと、友だちに危害を加える可能性があるので、それを未然に防ぐ対応をすること。(これについては、その先生も、具体的に対応策を考えていた)
 
 そして、「根本解決への対応」。
 
 「なぜ、その子どもは、そのような(望ましくない)状態なのか」の原因を特定するための情報を収集すること。
 
 具体的には、スクールカウンセラーの先生にその子どもの状態を見ていただき、専門的な見地から助言をいただくこと。
 さらに、「そのような(望ましくない)状態」が起こったときの事実を記録し、蓄積していくこと。
 
 それらによって、その子どもの望ましくない行動の原因を予測し、次の対応を検討し、実践することが必要だ。
 
 
 
 例えば、原因が本人のパーソナリティーに関わることなら、さらに専門機関(医療機関も含めた)と連携する必要があるかもしれない。
 
 家庭環境に課題があると考えることができるなら、家庭での子どもへの接し方等について、具体的に保護者に情報提供し、改善を図る努力をしてもらうことになる。
 
 学校の人間関係が原因と考えることができるならば、その子どもだけでなく、集団への指導が必要となろう。
 
 学習への不安が原因と判断できるなら、学習へのサポートの指導体制を組むことが必要かもしれない。
 
 さらには、複合的な要因である場合は、それぞれの要因とそのかかわりについて、総合的に検討する必要がある。
 
 
 
 これら、一連の取組は、「課題把握→目標(仮説)設定→実践(問題解決)→自己評価」というサイクルであり、問題解決の過程であり、マネジメントサイクルと呼ばれるサイクルである。
 
 
 
 「研究」というと、「授業研究」とか「研究発表会」という行為を思い浮かべる場合が多いかもしれない。
 
 マネジメントサイクルというと、Plan→Do→See(check・Action)という言葉が思い浮かぶ方も多いと思う。 
 
 しかし、このように、日常的な問題解決行動こそが、「研究」であり、教育的な「マネジメント」なのである。
 
 
 
 そう考えると、「研究」に値するテーマは、身の回りにたくさんあることが、わかる。
 
 「どうして、○○さんは繰り下がりの引き算ができないのだろう」
 「なぜ、□□さんは言うことをきいてくれないのだろう」
 「△△さんに学習の習慣を付けるには、どうすればよいのだろう」…
 
 これら、きわめて身近で具体的で、現実的な問題こそが、「研究」に値することであり、解決すべき「問題」なのである。
 
 
 
 日々の実践こそが、「研究」活動である。
 
 これは、以前から、近藤の考えていることである。 
 
 だからこそ、近藤は、「研究」が好きなのである

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2008年1月 8日 (火)

教えてほしいこと

 昨日のブログに、コメントがついた。
 
 「千葉県の大学に通う、教師志望の三年の学生」さんからだ。
 
 
 
 昨日、大学の授業で、近藤のテレビ放映を見たそうである。
 
 テレビが放映されて、すでに1年以上経つ。
 
 そのおかげで、こうやって、いまだに、さまざまな方々とつながりをもてることは、幸せである。
 
 
 
 しかし、映像というのは、こわい。
 
 番組だけ見ると、「よい先生」のように見えてしまう。
 
 とんでもない。
 
 近藤は、「『よい先生』をめざしている、力のない一教師」にすぎない。(副校長になった現在でも、そう思っている)
 
 だから、つながりをもつことのできた先生方から、近藤も学びたいと思っている。
 
 いっしょに手を取り合って、一人でも多くの子どもの笑顔をつくりたいと、思っている。
 
 
 
 もし、コメントをいただいた「千葉県の大学に通う、教師志望の三年の学生」さんが、このブログを読んでいたら、ぜひとも、教えてほしい。
 
 どの大学の、何という先生が、何という講義の中で、どのように、近藤の番組を使っていたのかを…。
 
 近藤の番組を通じて、何を学生さんに伝えようとしていたのかを…。
 
 そして、もしよかったら、その先生に、「近藤にコメントしたらブログにリアクションが返ってきた」と伝えてみてほしい。
 
 そこから、新たな学びが始まるかもしれない。
 
 
 
 「学び」とは「かかわり」なのだと、あらためて感じる、近藤である。
 
 

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2008年1月 7日 (月)

ハイタッチ

 学校が始まった。
 
 子どもたちが、登校してくる。 
 
 新年を迎えたせいか、子どもたちの顔が、新たな希望に満ちあふれて見える。
 
 
 
 今日は、4時間授業で、給食はない。
 
 12時過ぎに下校である。
 
 近藤は、出張で、12時過ぎに学校に戻る。
 
 下校途中の子どもに、出会う。
 
 
 
 「副校長先生、さようなら!!」
 
 バスを降りると、名前のわからない子どもから、いきなりハイタッチされる。
 
 悪い気分では、ない。
 
 しかし、名前がわからなかったので、職員室で、調べる。
 
 
 
 副校長冥利に尽きる瞬間である。
 
 着任してから、9ヶ月、やっと「あの人は副校長先生だ」と認識してくれる子どもが増えてきたということである。
 
 近藤は、その子どもに対して、具体的に、何をしたわけではない。
 
 でも、その子どもは、「うちの学校の副校長先生だ」と認識した上で、安心して、ハイタッチをしてくるのだ。
 
 このうれしさ。
 
 
 
 新年、最高の、近藤にとってのお年玉となった。
 
 
 
 今年も、微力ながら、本校の子どもたち、そして先生方のために、できることを精一杯やっていこう。
 
 素直に、そう思える出来事であった。 

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2008年1月 6日 (日)

OB会

 大学のOB会があった。
 
 上越教育大学卒業で、横浜市に勤めているOG・OBが集まったのだ。
 
 同じ市内に勤めていても、こういう機会がなければ、なかなか会う機会がない。
 
 企画をしてくれたTさんに感謝したい。
 
 
 
 さらに、Tさんは、スペシャルゲストを招待していた。
 
 開校当時から大学近辺で飲食店を経営しているNさんをよんだのだ。
 
 Nさんは、この会のために、わざわざ上越から来浜してくれたのである。
 
 超サプライズであった。
 
 
 
 会は、大いに盛り上がった。
 
 近藤は、2期生なので、一番、古株である。(他に、同期が2名いる)
 
 Nさんがもってきてくれた「雪中梅」を飲みながら、昔話に花が咲く。
 
 しかし、同じ昔話でも、近藤たちの昔話は「昭和時代」の昔話である。
 
 一番若い卒業生は、「平成15年度卒」である。
 
 昔話のレベルが違うのである。
 
 というわけで、おじさんにありがちな「昔は、あーだった、こーだった」話になる。(とても、反省している…。K夫妻、ごめんなさい…。)
 
 
 
 近藤は、大学を卒業してから、ほとんど大学に行っていない。
 
 だから、近藤の記憶にある「大学の風景」は、「昭和時代」で止まっているのだ。
 
 変わってしまった「大学の風景」を見たい気持ちもあるが、見たくない気持ちもある。
 
 
 
 野球部だった後輩が、こんな話をしてくれた。
 
 「自分がバッティング練習の時、すごく調子がよい時があった。その時、自分は『近藤さん、見てくれているかな』と思って、先輩の方を見たら、電話がかかってきて、校舎の方に戻っていってしまった。(携帯電話などなかった時代である)その時の悔しさ、今でも、覚えています。」
 
 その後輩は、きっと近藤に、調子のよかった自分を見てもらい、認めてもらいたかったのだ。
 
 その思いを、20年以上も、持ち続けていたのである。
 
 近藤にしてみれば、まったく、記憶にないことなのである。
 
 ここでは、先輩と後輩の出来事であるが、こういったことは、教師と子どもの間で、ありがちなことである。
 
 この仕事の怖さが、ここにある。
 
 
 
 近藤は、近くに勤めている仲間たちと出会い、いろいろなことを感じた。
 
 そして、幸せな気持ちになった。
 
 こういった仲間を大切にしたいと思った。
 
 「かかわりあうことの喜び」は、近藤にとって、エネルギー源の一つなのだということを、再確認できた、楽しいひとときであった。

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2008年1月 5日 (土)

子どもの悪徳

 子どもが、うそをつく。
 
 親や教師が、詰問する。
 
 本人は、「うそをついていない」と言う。
 
 親や教師は、子どもの言葉を信じる。
 
 子どもの言葉を信じた上で、必要な指導をする。
 
 このようなことは、教育現場に、多くある。
 
 
 
 「学校は警察ではない」

 「学校は裁判所ではない」
 
 よく言われる言葉である。
 
 
 
 しかし…、と思うこともある。
 
 もし、うそをつきとおして、それですんでしまったら、その子どもは
「うそは、つきとおしてしまえばよいのだ」ということを、学ぶ。
「うそをついても、『うそをついていない』と言い続ければよい」ということを、学ぶ。
 
 実際、そういう学習をしてきたと思われる大人を見たこともある。
 
 
 
 そんな思いをもってきたので、近藤は、多くの場面で、「子どもに本当のことを言わせる裏技」を、いろいろ工夫してきた。
 
 そして、多くの子どもは、「正直でいたい」という素直な心をもっているのだと言うことも、実感してきた。
 
 
 
 だからこそ、思うのである。
 
 子どもの悪徳を、簡単に、見過ごすべきではないと。
 
 石川達三作「人間の壁」から、引用する。
 
「子供は純真なものだと、普通には思われているらしい。しかし子供を教えている先生の眼から見ると、なかなかそれだけのものではない。案外子供はうそつきで、悪知恵があり、競争心、嫉妬心、貪欲、欺瞞、阿諛、威嚇、大人のもっている悪徳は、ことごとくその萌芽をもっているのだ。」(石川達三『人間の壁(上)』(新潮文庫 昭和36年)p6)
 
 
 
 子どもは信頼すべきであって、信用すべきではないのだ。
 
 夢のないような話で申し訳ない。
 
 だが、これは、教育最前線の現場で仕事をする者の、実感である。 

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2008年1月 4日 (金)

情報の「鮮度」

 
 毎日、ブログを更新する。
 
 結構、エネルギーがいる。
 
 だから、余裕のある時に、書きためておいて、書けない日は、それを更新しようとしたこともある。
 
 
 
 しかし、ダメだった。
 
 「鮮度」が、落ちているのである。
 
 どんなにくだらないことであっても、その時、書いたものは「新鮮」である。
 
 文章に勢いがあり、「鮮度」がよい。
 
 やはり、情報は、「ナマ」に限る。
 
 ブログも情報の一つなので、「鮮度」のよいものの方が、より、読む方々に価値のある情報となる。
 
 
 
 なので、今日のような、くだらないテーマでうだうだ書いていても、「新鮮」ということで、許してもらいたい。
 
 
 
 あー、初出勤で、俺、疲れてんなぁー…。
 

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2008年1月 3日 (木)

教育における「画期的方法」

 「○○式学習法」
 「○○型国語」
 「○○小メソッド」…
 
 こういうネーミングの書物が目につく。
 
 魅力的である。
 
 日々の授業に悩む教師にとって、非常に、魅力的なネーミングである。
 
 最新の方法が、自分の悩みを一気に解決してくれるような気持ちになる。
 
 近藤も、こういった本を多く購入した。
 
 それなりに勉強になるものが多い。
 
 しかし、どうも、最近、食傷気味である。

 引用する。

 「本にも書いたが、教育上の真理はわかってみれば当たり前のものである。今この時点に教師という職で生活している人は200万人弱もいる。(中略)現在の公教育制度が成立してから約100年経っており、その間の教師の人数は膨大である。それらの方々が、毎日、毎日、よい教育とは何かと考えている。当然、その中の多くの教師が『正しい』事に気づいているはずである。筆者は教育に関して正しいことは、誰かがすでに気づいているはずだと確信している。逆に言えば、今まで誰も気づいていないことは、『正しくない』と確信している。」(西川純『「勉強をしなさい!」を言わない授業』(2006年東洋館出版)p34-35 脚注省略・近藤)
 
 
 
 近藤にも、同じような気持ちがある。(まったく同じではないが…)
 
 多くの先人たちが、知恵を絞ってやってきたこと。
 
 教育条件が激変しない限り、よい方法の多くは、今まで誰かがやってきたことだと思った方がよい。
 
 それを、刺激的なネーミングをすることでまだ知らない人に広めようとする意図は、理解できる。
 
 理解できるが、あまり好きなことではない。(好きなことではないが、近藤も、同じようなことをしたことがあったし、これからも必要であれば、するだろう)
 
 
 
 とにかく、教育における「画期的方法」というものは、眉唾である。
 
 
 
 現状を改善するのは、「画期的方法」ではなく、地道で実直で丁寧な教育への取組であると、近藤は、思っている。

(「じゃあ、『地道で実直で丁寧な教育への取組』って、具体的に、どういうことだ?」という問いには、実践を通して、応えていきたいと思っている。ズバッと言葉にできなくて、ごめんなさい…)
 

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2007年12月28日 (金)

御用納め

 
 御用納めである。
 
 教師になって、あまり、「御用納め」などという言葉を意識することはなかった。
 
 冬休みにはいると、さっさと、年休(有給休暇のこと)をとって、旅行に行ったり、スキーに行ったりしていた。

 
 
 だが、今年は、仕事が違う。
 
 副校長の仕事は、門番、電話番、金庫番、留守番である。
 
 学校の番人であり、番頭さんなのである。(これは、以前にブログに書いた)
 
 今年の冬休みは、しっかり、番頭を努めさせてもらった。 
 (ちなみに、教務主任の先生は、今日、出勤をして仕事をしていた。記録上は、「年休」をとっているのに、である。「日直」の先生は、誰もいない職員室で、せっせと仕事をしていた。感謝、感謝である)
 
 
 
 そして、本日終了。
 
 鍵をかけて、学校を出る。
 
 「9ヶ月間、ありがとうございました」という気持ちになる。
 
 今年の、「ご用」(公務員の仕事)を「納め」(終わっ)たという、感じである。
 
 
 
 節目というのは、大切である。
 
 今年の反省をふまえて、今年よりは、ましな副校長として、来年も努力したい。
 
 
 
 まずは、今年を無事に終えたことに感謝したい。
 

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2007年12月27日 (木)

日本の教師

 冬休みに入った子どもの家に、電話をする。
 
 その子どもの体育袋(体操着を入れる袋)を、家庭科室で、つくる。
 
 
 
 これは、本校の、ある教師の「仕事」である。
 
 考えようによっては、これは、教師の「仕事」の範疇ではない。
 
 しかし、その教師は、あたりまえのように、それをしている。
 
 
 
 本当は、もっと、すごいことも、している。
 
 しかし、ここでは、書けない。
 
 なぜなら、個人が特定されてしまうからだ。
 
 
 
 近藤が、ここで、ものすごく伝えたいこと。
 
 それは、「これが、日本の教師だ」ということだ。
 
 
 
 勤務時間外に、その子どものことを心配して、家庭訪問したり、電話をしたりすること。
 
 勤務時間外に、その子どもの持ち物を気にしたり、生活を気にしたりすること。
 
 こんなこと、(先進国では)日本の教師しかしない。(と思う。確かめていないからわからないが…)
 
 それが、よいことかどうかは、わからない。
 
 しかし、こういった教師が、これまで、間違いなく、日本の子どもを育ててきたのだ。
 
 それは、ぜひとも、多くの人に、伝えたい。
 
 これが、「日本の教師」の、すごさなのである。
 
 
 
 だからこそ、「日本の教師のすごさ」を伝えたい。
 
 だからこそ、「日本の教師のたいへんさ」を伝えたい。
 
 
 
 その先生は、あたりまえのように、その「仕事」をしている。
 
 ありがたいことである。
 
 「日本的教師」の鏡であると、思う。
 
 勤務条件やその他の面で対応しなければならない面は、ある。
 
 しかし、その教師の「仕事」そのものは、条件整備を待っていられないのである。
 
 そして、そういった面もわかったうえで、その教師は「目の前の子どものために」、がんばっている。
 
 
 
 ありがたいことである。
 
 
 
 若い先生に、そういった「仕事」の意味や価値を伝えたい。
 
 「教師」という仕事は、そういうものなのである。
 
 銭金(ぜにかね)で、教師になろうと思うやつがもしいるとすれば、絶対、やめてほしい。(そんな人いねえよな)
 
 
 
 近藤の意見は、時代遅れなのだろうか???

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2007年12月26日 (水)

身体感覚

 
 昨日の帰り、ジョギングしながら自宅まで帰った。
 
 およそ6Km、だらだら走って50分弱である。
 
 
 
 今日の朝も、ジョギングしながら学校まで行った。
 
 およそ6Km、だらだら走って50分弱である。
 
 
 
 冬であるが、どんなに「だらだら」走っても、汗は出る。熱くなる。
 
 歩いても、体は温かくなる。(ちなみに、昨日の朝と今日の帰宅は歩きだったが、やはり、体は温かくなった)
 
 
 
 人間の体って、不思議である。
 
 
 
 自分の体と対峙するということは、こういうことなのだろう。
 
 「汗が出る」
 「心臓がバクバクする」
 「速い動きが、見えた!」
 「気がついたら、体が勝手に動いていた!」
 「体がいうことをきかなくなった…」
 
 
 
 こういった体験を、実感することは、大切であると思っている。
 
 いわゆる「体育」では、重視しない「身体感覚」である。
 
 
 
 しかし、経験は、身体感覚から生まれるのである。
 
 
 
 さて、明日も、だらだら歩いて通勤しようか…。

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2007年12月25日 (火)

年の瀬に思ったこと

 銀行が、混雑していた。
 
 郵便局も、混雑していた。
 
 この仕事をするようになって、銀行や郵便局に行くことが多い。 
 
 そこで、ヒューマンウォッチングをする。
 
 おもしろい。
 
 それぞれの人間模様が、垣間見える。
 
 
 
 近藤は、82歳になる親と住んでいる。
 
 学校に行くと、6歳の1年生と話をすることがある。
 
 いろいろな世代の方と日常的に交流できることは、貴重なことである。
 
 
 
 「教師は、世間知らず」という。
 
 ある部分では、そう思う。
 
 なぜなら、(とくに小学校の教師は)勤務時間中は、ほとんどすべて、子どもとの時間なのである。
 
 自分も、それが、あたりまえだと思っていた。
 
 勤務時間中に、「世間」とふれあう時間が、他の職種に比べて、すごく少ないのである。(以前にも、同じようなことを書いた。)
 
 
 
  しかし、ある時期、そういった「子どもどっぷりの時期」を経なければ、(とくに小学校の教師は)できないのだろうと、思う。
 
 教師は、「smile \0」というマニュアル的な仕事ではないのである。
 
 どっぷりと、腰を据えて、この仕事につかり、自己と対峙し、もがきながら、自分の最善をつかもうとする営みが、教師を成長させるのだと、思う。
 
 
 
 家族の健康を心配し、同僚のことを気にかけ、保護者の状況を配慮し、子どものことを考える…。
 
 人間としての、こういった営みが、教師としての、力量を高めていく基礎となるのだと、つくずく思う。

 年の瀬の「世間」を見ながら感じた、近藤の独り言である。

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2007年12月22日 (土)

価値を実感させること

 
 「正直」を教えるには、どうすればいいのだろう。
 
 「卑怯」ということを教えるには、どうすればいいのだろう。
 
 「誇り」を教えるには、どうすればいいのだろう。
 
 「感謝」を教えるには、どうすればいいのだろう。
 
 
 
 意味を教えるのではない。
 
 価値を実感させたいのである。
 
 
 
 担任をしていた時代に、ずっとくすぶり続けてきた思いが、最近、自覚できるようになってきた。
 
 
 
 こういった価値を実感させるには、非常に難しい時代になったと、痛感する。
 
 社会が、こういった言葉に価値をおかなくなっているからだろうか?
 
 いや、そんなことはないと思うが…。
 
 
 
 翻って、考える。
 
 近藤は「正直」か。
 
 「卑怯」なことをしていないか。
 
 「誇り」をもっているか。
 
 「感謝」の念をもっているか。
 
 甚だ、自信が、ない。
 
 
 
 子どもの前に、まず、自分の心と向き合っていかなければならないのであろう。
 
 
 
 教師とは、難しい仕事である。

 

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2007年12月21日 (金)

明日から、冬休み

 
 本日で授業は終了。
 
 明日から、冬休み。
 
 
 
 しかし、だからといって、油断はできない。
 
 今日も、あった。
 
 家庭的に課題のある子どもが登校していなかったり、行動面で課題のある子どもが友達と諍いをしたり…。
 
 それぞれに対して、いつものように、その瞬間にベストと判断できる決断を、自分の立場で、下す。
 
 
 
 あたりまえの、一日である。
 
 
 
 しかし、「その瞬間にベストと判断できる決断を、自分の立場で、下す。」というのは、結構難しいことである。
 
 近藤が、あたりまえのように、これが(何とか)できているのは、21年間、同じように「その瞬間にベストと判断できる決断を、自分の立場で、下す」という経験を、教員時代にしていたからである。
 
 さらに、これは、自分のスポーツ体験とも、つながるのである。
 
 
 
 近藤の先輩で、「教育は、スポーツだ」と言った方がいた。
 
 まさしく、「その瞬間にベストと判断できる決断を、自分の立場で、下す。」というのは、スポーツの世界では、あたりまえのことである。

 
 
 
 とにかく、9ヶ月を無事に終えたことを、心の底から、感謝したい。
 
 
 
 ありがとう、子どもたち。
 
 ありがとう、保護者の皆様。
 
 そして、本当に、本当に、ありがとう、先生方…。
 
 
 
 稚拙ではあるが、感謝の気持ちを、伝えたい

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2007年12月20日 (木)

あと一日

 
 給食終了。
 
 今年も、明日で終わりである。(子どもが登校するのは)
 
 なにやら、感慨深いものがある。
 
 
 
 だが、冬休みも、気を休めることはできない。
 
 なぜなら、冬休みは、子どもにとって、「魅惑のバケーション」なのである。(昭和時代の曲名のようなフレーズである。ちょっと、はずかしい…)
 
 まず、クリスマスがある。プレゼントをもらう子どもも多い。家をイルミネーションで飾る家庭も増えている。非日常である。
 
 そして、お正月である。お年玉をもらう子どもも多い。今や、子どものお年玉の総額が、○○万円という時代である。非日常である。
 
 大人、そして世の中全体も、非日常である。夜更かしをする、昼間から酒を飲む…。非日常である。
 
 
 
 非日常があるということは、良いことだ。
 
 文化水準が高い証明である。
 
 しかし、「はめをはずす」ことが多くなるのも事実である。
 
 冬休みに、金銭トラブル等が多くなるものうなずける。
 
 
 
 価値ある非日常体験をしてほしいと思う。(例えば、大掃除の手伝いとか…)
 
 そして、非日常体験を「うれしい」と思えるのは、誠実な日常があるからだということを、多くの大人が、この時期に伝えてほしいと思う。
 
 
 
 ま、とにかく、安全で、楽しい冬休みになるよう、あと一日の指導をがんばるようにしたい。

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2007年12月19日 (水)

コメントの返信

12月17日のブログにコメントをいただいた。

メールアドレスがわからないので、ブログ上で返信をする。

(コメント)

「来月の研究発表会に参加されるのですね。
近藤先生の授業の模様は、教諭ではなく、一般の者でも
拝見することはできるのでしょうか?」

申し訳ありません。近藤が授業するのではなく、付属小の先生の授業を

近藤が見て、コメントをするだけです。

参加できるかどうかは、横浜国大附属小学校に連絡をしてみてください。

ちなみに、参加OKであれば、ぜひぜひ、近藤にご連絡ください。

 

 

 

 知り合いのNHKのディレクターから、メールをいただいた。

「番組を見てほしい」というメールである。

わざわざ、ピンポイントでメールをくれた。

もちろん、見るつもりである。

もし、お時間がある方は、以下の番組を見てください。

みんな生きている 
教育テレビ 1/8(火)9:30~9:45
(再放送 1/10(木)、1/15(火)、1/17(木)の同じ時間帯です。)
番組HP 
http://www.nhk.or.jp/ikiteiru/ja/frame.html
番組のコンセプトもぜひご参考にください(イメージがわきづらいと思いますので…)

(以上は、ディレクターのメールから引用)

 

 

 

 以上、IT社会的、つながり、2例でした。

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2007年12月18日 (火)

PTA運営委員会に参加して

 
 月一回、「PTA運営委員会」という会がある。
 
 PTA役員の方々との会合である。
 
 本校では、学校から、校長と副校長が参加する。
 
 
 
 「メール配信を、もっと有効に活用してほしい。(本校では、緊急連絡の方法の一つとして、E-mailを発信している。それを、「メール配信」と呼ぶ)」
 
 「次年度の、会長が、なかなか決まらなくて苦労している…」
 
 
 
 どこのPTAでも、ありそうな話題が、話し合われる。
 
 
 
 しかし、本校のPTAは、ひと味違う。
 
 みんな、「本音」で語り合いながら、「和気藹々」としているのである。
 
 
 
 例えば、「メール配信を、もっと有効に活用してほしい。」という要望など、学校とPTA役員の方の良い関係がなければ、出ない要望である。(面と向かって、相手の嫌なことを言うのは、勇気がいる。それが言えるのは、相手を信頼しているからである)
 
 そういった直言をしていただけるPTAというのは、ありがたい存在である。
 
 
 
 さらに、「和気藹々」としている。
 
 一つ間違えば、険悪な雰囲気になりそうな話題でも、なぜか、途中に「笑い」が入るのである。
 
 「会長を決めるシステムに問題があると思うんですよね。私も去年、何回かお電話をいただき、『何で会長に立候補していない私に…』と思いましたよ。」(笑い)
 
 こんな感じである。
 
 文章では、うまく、伝えることができないが、「笑い」があるというのは、事実である。
 
 
 
 だから、近藤は、「うちの学校のPTAは、すごい」と、思う。
 
 
 
 もちろん、難問山積のPTAである。
 
 それは、どこのPTAも同じである。
 
 
 
 しかし、だからこそ、やりがいもある。
 
 PTAと距離の近い「副校長」という仕事をさせてもらっている限り、本校のPTAのために、できることを、精一杯、やりたいと思っている。
 
(ちなみに、PTAのPはParentであり、T はTeacherである。だから、先生もPTA会費を払う。「親も先生も、子どものために、知恵を出し合う」のがPTAなのである。このあたりまえのことを、再度、確認したい)

 

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2007年12月17日 (月)

研究会の[講師』」

 来年、1月24日、横浜国大附属横浜小学校の研究発表会がある。
 
 そこで、一つの授業の「講師」として、呼ばれている。
 
 
 
 今日、付属小の先生が、本校に来た。
 
 「指導」を受けるためである。
 
 
 
 近藤にとって、貴重で、うれしい時間である。
 
 授業のことを、存分に、語ることができる。
 
 しかし、その先生に、「指導」は、していない。
 
 勝手に、授業のことを、語ってるだけである。
 
 
 
 「講師」というのも、自分の中で、スッキリしない。
 
 「講師」:①講演などをする人 ②大学・高等学校などで嘱託を受けて講義する人。また大学などで、教授・助教授に準ずる職務を行う教員の職名。【広辞苑】
 
 たしかに、当日の「講師」は、自分以外、ほとんど大学の先生である。(他に、一人、川崎の校長先生がいたように記憶している)
 
 まったくの、場違いである。
 
 
 
 与えられた仕事には、真摯に取り組もうと思っている。
 
 だが、近藤は、「大学で講義をする人」ではない。
 
 「教師」である(と思っている)。
 
 
 
 当日は、「教師」であり、「副校長」である近藤の目から見た、「授業」を語ろうと思っている。
 
 よかったら、1月24日、横浜国立大学付属横浜小学校の研究発表会に、参加してください。
 

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2007年12月16日 (日)

教育は人なり

 
 給食室の前で、給食の食器を出すお手伝いをしている。
 
 給食委員会の子どもが、私の名札を改めて見て、
「副校長先生って、『近藤』っていうんだ。」
と言った。
 
 
 
 忘年会で、「子どもたちに聞きましたクイズ」という企画があった。
 
 子どもたちにアンケートをとって、そのランキングを当てるのである。
(アンケートといっても、休み時間に、何人かの子どもにインタビューをする程度のものだったらしいが…)
 
 「やさしい先生ランキング」 第一位○○先生、第二位□□先生…。
盛り上がった。
 
 「きびしい先生ランキング」 第一位△△先生、第二位▽▽先生…。
もっと、盛り上がった。
 
 どちらのランキングにも、近藤の名前はなかった。
 
 
 
 本校に来て、9ヶ月が経とうとしている。
 
 最近は、クラスに入って支援したり、子どもにかかわったりすることも増えている。
 
 それでも、一人ひとりの子どもにとって、副校長というのは、「かかわりのうすい先生」なのだということを、これらの事実は教えてくれる。
 
 担任や専科や少人数などの先生方が、いかに「かかわりの深い先生」であるのかということを、改めて感じている。
 
 
 
 やはり、教育の最前線は、直接子どもとかかわる教師なのである。
 
 「教育は、人なり」


けだし、名言である。 

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2007年12月15日 (土)

「先輩」という言葉

 
 大学から、卒業生の動向調査の葉書が来た。
 
 近藤は、2期生である。
 
 
 
 ついこの前卒業したと思っていたら、すでに20年以上の年月が経ってしまった。
 
 正月明けに、横浜に勤務している大学の卒業生で集まることになっている。
 
 当然、一番年上の卒業生である。
 
 その他に、数名、同じくらいのOBがいるが、それ以外は、ぐっと若返る。
 
 
 
 最近、ふっと、感じることがある。
 
 「俺って、未来にいるんだな。」
 
 気持ちの面では、新卒なのである。
 
 しかし、実際は、卒業して20年以上の、大先輩になってしまっている。
 
 つまり、「気持ち・新卒」の近藤としては、「未来にきてしまっている」という感じなのである。
 
 
 
 教職という道を歩んでいる後輩にとって、「先輩」とよばれるにふさわしい、能力、経験、実践をもちたいものである。
  

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2007年12月14日 (金)

絶景

 
 本校の前を通る道を「富士見通り」という。
 
 その名の通り、富士山がよく見える。
 
 今日の朝、天気がよく、空気も澄んでいた。
 
 美しい富士山を見た。
 
 なぜか、ため息が出た。
 
 すーっという、感じがした。
 
 
 
 夜、忘年会だった。
 
 MM21地区(横浜の中心地である)のホテルの24階だった。
 
 夜景が美しかった。
 
 うわぁー、という感じだった。
 
 
 
 同じ絶景なのに、感じ方が違う。
 
 なぜだろう?
 
 
 
 どちらの絶景も好きだが、
 
 やはり、富士山の方が、何か、いい感じかな。
 

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2007年12月13日 (木)

先生方との話

 
 個人面談をしている。
 
 個人面談が終わった後、ほっとした顔で、先生方が職員室に戻ってくる。
 
 いい顔だ。
 
 
 
 何となく、先生方が、個人面談の様子を話してくれる。
 
 
 
 「副校長先生、○○くんの様子、最近心配なんですよね。…」
 
 「副校長先生、明日、○○さんの個別指導、○時間目にお願いしたいのですけど…」
 
 「副校長先生、今、面談終わりました。○○さんのこと、ご家庭の方にお話ししたのですけれど…」
 
 
 
 ありがたいことである。
 
 一つひとつの問いに、真摯に応えたい。
 
 しかし、力不足を感じる。
 
 先生方の話に応える言葉を探すが、求められている「明確な」言葉が、ない。
 
 しかし、一緒に考えたい。
 
 先生方と一緒に、一つひとつの課題を考えたい。
 
 
 
 実は、一人の子どもに対して、どれだけの大人が、真剣に、真面目に、ゆとりをもって、考えることができるか。
 
 これが、「教育」には、大切なのだと思っている。
 
 
 
 「答え」を出すことが、大切なのではない。
 
 「応え」ることが、大切なのだ。(子どものメッセージに、そして、子どもと共にある先生方に)
 
 
 
 明日も、先生方と、子どものことを、一緒に考えたい。
 
 それが、副校長・近藤の、大切で、うれしい仕事の一つである

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2007年12月12日 (水)

マラソン練習

 
 中休み(10:15~10:35)に、マラソン大会の練習がある。
 
 校庭を、子どもたちが、走るのである。
 
 
 
 12月10日の朝会で話したように、子どもたちと一緒に、走っている。
 
 別に指導しているわけでもなく、誰かと一緒に走ろうとしているのではなく、ただ同じ時間帯に、走っているだけである。
 
 
 
 それでも、子どもたちは、いろいろ近藤にかかわってくれる。
 
 「副校長先生だ!」(そのとおりです)
 
 「副校長先生、がんばって!」(がんばってます)
 
 「副校長先生が、走ってる!!」(副校長先生だって、走ります)
 
 「副校長先生、(校庭を)何周目?」(数えてません)
 
 「副校長先生、いっしょに走ろ!」(うれしいね。では、ごいっしょに…)
 
 
 
 物理的な距離が近いというのは、かかわりのスタートなのだと、つくづく、思う。
 
 
 
 これまで話しかけてくれなかった子どもも、話しかけてくれることがある。
 
 うれしいことである。
 
 
 
 近藤の、一日の中で、幸せな時間の一つである。

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2007年12月11日 (火)

職員会議

 職員会議だった。
 
 本校の職員会議の時間の半分以上は、「個別の子どもの情報交換」と「子どもへの指導をどうするか」ということに費やされている。(自分が本校に着任してから、半数以上の職員会議がそうである)
  
 
 近藤としては、これは、とてもうれしいことである。
 
 個別の子どものことを語ると、教師は熱くなる。
 
 熱い教師をは、魅力的だ。
 
 
 
 子どもの指導をどうするか、ということを考えると、教師は悩む。
 
 悩める教師は、やはり、魅力的だと、近藤は思う。
 
 
 
 みんな、目の前の子どもに対して、一生懸命なのだ。
 
 無論、近藤も、がんばっているつもりである。
 
 
 
 しかし、授業をもっている先生方には、かなわない。
 
 だからこそ、「この仕事でしかできないこと」にエネルギーを注ぎ、子どもたちと先生方の後方支援に努めようと思う。
 
 その点、校長先生は、腹が据わっている。
 
 
 
 どの学校でも職員会議は、ある。
 
 子どものための職員会議であってほしい。

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2007年12月10日 (月)

朝会の話(概要)

 おはようございます。
 休め。(「休め」の姿勢では、体は「休め」なのでリラックス。ただし、足の裏は動かしません。「地面に根っこ」です。心は前の人に集中です。集中というのは、前に人の「黒目」を見ることです)

 今月の19日、「かつらっこマラソン」があります。もう、体育で学習していますね。
今日の中休みから、練習も始まります。

 マラソンは、競争ではありません。お友達と速さ比べをするのではないのです。では、だれと戦うのか。それは、自分自身の心と戦うのです。
 
 マラソンをすると、だれでも、「疲れた」「休みたい」「もうやめたい」と思います。そこでやめたら、「自分の心」に負けたことになってしまいます。しかし、その気持ちに負けないで、最後まで走り続けること。これが、とても大切です。

 どんなにゆっくりでもいいのです。いや、マラソンは「ゆっくり長く」走る方が、健康にはいいのです。はやいからえらいわけではありません。どんなにゆっくりでもいいから、最後まで、走り続けること。最後まで、走り続ける子ができた人は、みんな自分に勝ったことになります。つまり、最後まで、走り続けることができた人は、みんな一番です。

 不思議なことに、練習を続けると、走ることがつらくなくなることがあります。そうしたら、しめたものです。ますます練習が楽しくなります。神様は、がんばっている人に、パワーをくれるんですね。もし、練習しているうちに「あれ、いつもより楽に走れるぞ」とおもったら、副校長先生に教えてくださいね。
 
 もちろん、副校長先生も、走ります。みんなといっしょに走るのを楽しみにしています。
 
 全体、気をつけ。
 これで、副校長先生の話を終わります。
(礼をして終了)
(約4分)

<文責:近藤浩人>

(以上は、今日の朝会で、近藤が、子どもたちに話した内容です。朝会で話す時は、毎回、こんなレジメを作って先生方に配布しています。しかし、あくまでも「概要」です。実際の話は、若干、アドリブを加えています)

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2007年12月 9日 (日)

仕事の成果をアピールする

 
「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」が公表された。WEBページで要約を読んだ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04120101.htm
 
 
 
 テレビで、国会議員が、前回に比べ、国際的な順位が下がっていることを、問題視していた。
 
 だから、「人を増やすために予算を付けろ」と言っていた。
 
 また、「先生が子どもと向き合う時間を増やせるようにしろ」ともいっていた。
 
 PISAの結果を、他の国との順位で分析する方法は疑問だが、「人を増やすために予算を付けろ」「先生が子どもと向き合う時間を増やせるようにしろ」という主張には、賛同したい。
 
 
 
 もし、予算が付いて、人が増えれば、その成果が学校や教員に問われることになるであろう。
 
 これが、難しい。
 
 
 
 先週から、予算が付いて、低学年サポートの非常勤講師の先生がきてくださっている。(それまでは、近藤がクラスに入っていた)
 
 とても、効果が上がっている。
 
 何人かの個別に支援が必要な子どもに支援ができるので、その子どもたちの情緒が安定し、教室の雰囲気も落ち着いてくる。きめ細かな学習指導もできる。
 
 しかし、この効果を、数値やわかりやすい成果として表すことは、難しい。
 
 劇的にテストの平均点が上がるわけではないし、「クラスが落ち着いた」ことを客観的に表すことも、簡単ではない。
 
 
 
 しかし、できないわけではない。(例えば、Q-Uを実施するなどの方法もある)
 
 自分の仕事として、「こんなに、うちの学校やうちの先生方は、仕事の成果をあげていますよ」というアピールができる方法を、模索していきたい。
 
 

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2007年12月 8日 (土)

曖昧語

 
 授業研があった。
 
 協議会に参加した。
 
 協議会で使われる言葉を聞いて、思った。
 
 
 
 批判しようのない、美しい言葉がある。
 
 しかし、具体的に、何を示しているかわからない言葉がある。
 
 「言語明瞭、意味不明」な言葉である。
 
 例えば、「豊か」である。
 例えば、「充実」である。
 例えば、「健全」である。
(他にも、たくさん、たくさん、ある)
 
 
 
 近藤も、さんざん使ってきたし、今も、使っている。
 
 「楽」だからである。
 
 
 
 しかし、より具体的に、より真剣に、研究しようとしたら、これらの言葉に頼っていては、ダメである。
 
 つまり、こういった「曖昧語」を使わざるを得ないという研究は、研究の見通しや方向や成果が曖昧ということである。
 
 要するに、「ダメな研究」ということである。
 
 
 
 これからは、できるだけこういった言葉を使わないように努力しようと思う。
 
 「豊かな」表現で、「充実」したブログにするために…。
(ほらね、すごい楽ちんなんだよな、この言葉。まったく意味がないのに、何か、美しいことを書いたような気がしちゃうんだよなぁ)

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2007年12月 6日 (木)

あたりまえ

 
 市場経済の世の中では、ほんの少し前までは、「すごいサービス」だったことが、今では「あたりまえのサービス」になることが、よくある。
 
 
 
 自動車業界は、その典型だろう。
 
 自分が子どもの頃、エアコン(当時はクーラーといって、要するに夏に社内を冷やしてくれる装置のことを総称してそうよんでいた)がついている車、パワーウインドーの車など「すごいサービス」機能だったのに、今は、「あたりまえのサービス」となっている。
 
 
 
 では、教育界は?
 
 まったく、逆である。
 
 むかし「あたりまえのサービス」だったことが、今では「すごいサービス」になっていることが、あるのだ。
 
 
 
 その原因を、どこに求めるか。
 
 教育界に、市場原理がはたらかなかったからであろうか。
 
 教員が、怠惰だったからであろうか。
 
 日教組(日本教職員組合)が、悪かったからであろうか。
 
 文部科学省や教育委員会が、本来の機能をしなかったからであろうか。
 
 学校管理職が、無能だったからであろうか。
 
 
 
 近藤は、現在、(自分なりの)結論を模索中である。
 
 もちろん、簡単な答えにはなりずらい。
 
 しかし、できるだけ、原理的に考え、そして考えるだけでなく、「今の教育」にそれを生かしていきたい。
 
 
 
 「あたりまえのサービス」が、「あたりまえにできる学校」を標榜して…。

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2007年12月 4日 (火)

多様な子どもから、学ぶ

 
 最近、子どもにかかわる仕事が増えている。
 
 先日は、1時間目に1年生のサポートに入り、
2時間目に個別に支援が必要な子どもの指導を個別支援級でして、
給食時には高学年の出張の先生の代わりに給食指導をし、
下校時は低学年の下校指導をした。
 
 
 
 いろいろである。
 
 クラスも、子どもも、いろいろである。
 
 それぞれに、いろいろ感じることがある。
 
 しかし、副校長として、どう対応していけばよいかは、まだ、暗中模索、五里霧中である。
 
 「自分が担任だったら…」は、通用しないし、必要もない。
 
 なぜなら、自分は担任ではなく、副校長だからだ。
 
 過去の経験を生かしつつ、一人ひとりの子どもにとってよいと思われる「副校長のかかわり」を探したい。
 
 
 
 いろいろ、ありそうな予感はするのだが、まとまっていない。
 
 しかし、「問題は、発見されれば解決は近い」のである。(高橋誠『問題解決手法の知識』(日経文庫1984年)p14)

 いろいろである子どもから、いろいろであるクラスから、学んでいきたい。
 

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2007年12月 3日 (月)

ブログがおもしろくないことの簡単な分析

 
 最近、ブログが、おもしろくない。
 
 そう思いませんか?
 
 
 
 書きたいことは、たくさんある。
 
 しかし、その、ほとんどが、「書けないこと」である。(理由はいろいろある。個人情報のこともあるし、守秘義務として書けないこともあるし、勇気がなくて書けないこともあるし…)
 
 だから、一般的な表現が多くなる。
 
 そして、つまらなくなる。
 
 
 
 また、「わかりにくさ」も、ある。
 
 一文と一文の間の展開に飛躍が多い。
 
 近藤と同じような思考をする人にはわかるが、そうでない人には、甚だわかりにくい文章となる。
 
 そして、つまらなくなる。
 
 
 
 さらに、文章に「熱さ」が、ない。
 
 「ただ、書いているだけ」という駄文が多くなっている。
 
 「誰かに知ってほしい」「何かに感動した」「あることに憤っている」という、「熱い思い」が、ない。
 
 だから、つまらなくなる。
 
 
 
 壁である。
 
 プラトーである。
 (Plateau 英語。高原・大地を意味する言葉で、一時的な停滞状態のこと。何かを習得する際に進歩が一時的に止まって、横ばいの状態になること。停滞期)

 
 
 しかし、壁は、次の飛躍のためにあるものと信じて、書き続ける努力をしていきたい。
 
(今日のブログも、おもしろくない。壁である…)
 

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2007年12月 2日 (日)

心していきたいこと

 平成19年11月7日、中央教育審議会教育課程部会が「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」を公表した。

 
 
 「審議のまとめ」には、「『生きる力』という理念は変わらない」と書いてある。
 
 しかし、「学習指導要領」は、変わる。
 
 
 
 例えば、新しい「学習指導要領」(小学校)では、一週間に学習する時間数が、増える。
 
 これは、「生きる力」を子どもに育むための、改善である。
 
 時数を増やすことが、大切なのではない。
 
 「生きる力」を育むことが、大切なのである。
 
 これを見失うと、改善と思われたことが、改悪になる可能性だってありうる。
(例えば、時数を増やしたことで、子どもの負担が加重になり、子どもの学習意欲を低下させることだってありうる)
 
 
 
 直接子どもにかかわる「現場」では、とくに、心していきたいことである。

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2007年12月 1日 (土)

市球技大会に参加して

 
 横浜市小学校球技大会に、参加した。
 
 女子のバスケットボールの参加である。
 
 5,6年生の女子、13名が参加した。
 
 
 
 他校に出向き、他校とゲームをする体験は、参加した子どもたちにとって貴重な体験となるだろう。
 
 保護者も、大勢、応援にきた。
 
 
 
 この、大人も子どもも熱中する時間を共有できるということが、すばらしいのだ。
 
 学校の授業以外に、こういった行事がある必然性である。
 
 
 
 がんばった子どもたち、応援していただいた保護者、運営をしていただいた体育研究会の先生方、そして指導にあたった本校の先生方に感謝したい。
 
 
 
 とてもよい、土曜の一日だった。

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2007年11月30日 (金)

学力テストの結果分析

 全国学力テストの分析をしている。
 
 貴重なデータである。
 
 分析をすると、いろいろとおもしろい結果が出る。
 
 
 
 数字で表すと、わかりやすい。
 
 しかし、数字の解釈は、多様である。
 
 だから、分析が必要なのだ。
 
 
 
 加えて言うなら、世の中の、大切なことは、数字で「明確に」表すことが、難しいことが多い(ということに、最近気がついた)。
 
 
 
 しかし、新自由主義的な発想では、「数字で表す」「具体的な行動目標を明記する」「客観的なデータで成果を測る」ということは、大切なポイントである。
 
 
 
 だからこそ、「分析の能力」が問われるのだ。
 
 
 
 そして、もっと大切なのは、分析後の取組である。
 
 
 
 というわけで、学力テストの分析、乞うご期待である。

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2007年11月29日 (木)

すごい場面に遭遇した

 久しぶりに、すごい場面に遭遇することができた。
 
 
 
 最近は、さまざまなニーズがあって、子どもと接する機会が増えている。
 
 うれしい限りである。
 
 今日は、1時間目、ある学年の算数のサポートに入り、2時間目は個別支援のお手伝いをさせてもらい、お昼はお休みの先生のクラスの給食指導をさせてもらった。

 
 
 そこで、すごい場面に遭遇した。
 
 Aさんは、繰り上がりのあるたし算のプリントをしていた。
 
 18+24とか、39+4とか、そういった計算である。
 
 はじめは、一の位の数どうしを、指を折って数えて、答えを求めていた。
 
 すると、6+4というたし算(一桁どうしのたし算である)をしたとき、「これは、こっち(6)の1をこっち(4)に動かすと、5+5になるから、すぐ10ってわかる」とつぶやいた。
 
 近藤は、「おぉ!」っと思い、式に、小さく、それを書いた。
 
 すると、それからの問題を、次々に「8=5+3」のように、5と○に分けて、指を使わず、計算し始めたのである。
 
 
 
 具体思考から、抽象思考に、一歩踏み出した瞬間である。
 
 近藤は、思わずうなり、「すごい発見だ」と言った。
 
 すると、Aさんは、近くにいる人に次々そのやり方を説明し始めたのである。
 
 
 
 おそらく、ここまでの話は、わかりにくかったと思う。(わかりやすく説明しようとすると、かなり読みにくい文章になってしまうので、端折ったからね)
 
 
 
 近藤が、「すごい場面に遭遇した」と感じたのは、「学び」の瞬間を共有できた喜びなのである。
 
 みるみるできるようになる。
 わかったことに、感動を覚える。
 それも、それまで、算数が得意でないと思える子どもが、得意がっている子どもを遙かに超える「発見」をするのである。
 
 
 
 これを、感動といわずして、何と表現すればよいのか。
 
 
 
 「学び」の瞬間を共有できること。「成長の姿」に感動できること。
 
 それが、この仕事の醍醐味であり、難しさであり、やりがいであると、あらためて、感じさせてもらった。
 
 
 
 Aさん、どうもありがとう。

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2007年11月27日 (火)

先人のこだわりに学ぶ

 黒板の消し方、知っていますか。
 
 画鋲の止め方、知っていますか。
 
 教室に入る足は、右足ですか、左足ですか。知っていますか。
 
 
 
 近藤が、初任の時に、教えてもらったことである。
 
 
 
 枝葉末節なことである。
 
 
 
 黒板は、ぞうきんで消しても、立てに消しても、横に消しても、斜めに消しても、どうということは、ない。
 
 画鋲をどこの位置で止めようと、どの角度で止めようと、何カ所止めようと、どうということは、ない。
 
 教室に、右足で入ろうと、左足で入ろうと、どうということは、ない。
 
 
 
 しかし、今日の、研修の講師の資料には、その解答が、理由とともに、書いてあった。
 
 うれしかった。
 
 
 
 若い先生に学んでほしいのは、その「精神」である。(わっ!!また、やっちゃった。おれの大嫌いな「精神論」だ。あとは、読みたい人だけ読んでください。ごめんね)
 
 
 
 黒板の消し方に解答があるのは、「どうやって消した方が『子どものためになるのか』を真剣に考えていた先人がいた」ということの証なのである。
 
 画鋲の止め方に解答があるのは、「どうやって止めた方が『子どものためになるのか』を真剣に考えていた先人がいた」ということの証なのである。
 
 教室に入る足に解答があるのは、「どちらの足で入った方が『子どものためになるのか』を真剣に考えていた先人がいた」ということの証なのである。
 
 
 
 この「精神」を学びたい。(少なくとも、近藤は)
 
 
 
 God is in detail.(神は細部に宿りたもう)なのである。

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2007年11月26日 (月)

現在、修行中

 
 現在、修行中、である。
 
 
 
 おかげさまで、最近、子どもと直接かかわる機会が増えてきた。
 
 しかし、そこで、悩む。
 
 
 
 昨年までなら、「担任」もしくは「他の先生」という関係で、子どもたちと接していたし、そういった関係性でのかかわり方には、なれている。
 
 しかし、今は、「副校長先生」として(つまり担任でも、隣のクラスの先生でも、ないのだ)、子どもとかかわっている。
 
 
 
 そこで、悩む。
 
 
 
 例えば、子どもが、ある行為をした。
 
 「自分だったら、こう指導する」というイメージがある。
 
 しかし、それは、「近藤が担任」という文脈の中での、イメージである。
 
 担任は、別の先生なのである。
 
 と、すると、その子どもに「自分だったら、こう指導する」という、その方法は、果たして「よい指導」なのか。
 
 悩む。
 
 
 
 副校長として、現在修行中の、近藤である。

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2007年11月25日 (日)

ハンコ

 
 副校長になって、一日目のこと。
 
 印鑑を忘れた。
 
 仕事にならなかった。
 
 
 
 この仕事、ハンコを押すことが多い。
 
 さまざまな文書に目を通し、確認や承認のハンコを押す。
 
   
 
 外国には、「ハンコを押す」という文化はないと、聴いたことがある。
 
 ハンコの代わりに、サインをする。
 
 たしかに、その方が、合理的であると思う。
 
 
 
 しかし、文化というのは、「合理的かどうか」ではない。
 
 ハンコも、その一つである。
 
 
 
 名刺交換、お辞儀、ハンコ…。
 
 管理職というのは、日本的な社交文化を学べる楽しい仕事なのです…。

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2007年11月24日 (土)

貴重なコメント

 
 「近藤先生、これからもぶれない教育の見本を見せください。」

 こんなコメントをいただいた。
 
 身に余るお言葉であるが、この方は、誤解をしている。
 
 
 
 近藤は、「ぶれない教育」など、まったくできていなかったし、今も、できていない。(最近、子どもと直接かかわる場面が増えて、とくに、それを実感する)
 
 だから、「見本」など、見せることができるはずも、ない。
 
 未熟で、非力な教師なのである。
 
 
 
 ただし、「よい教師とは」「よい学校とは」「よい教育とは」どのようなものかについて、考え続けてはいる。 
 
 真摯に、考え続け、悩み続け、そして現場で決断して、行動して、また、考え続け、悩み続ける。
 
 その営みの一端を、このブログで発信している。
 
 近藤ができることは、そういうことである。
 
 
 
 だから、「よい教師をめざして」「よい学校をめざして」「よい教育をめざして」真剣に考えている方と、いっしょに考えたい。悩みたい。
 
 それこそ、このブログを書いている(近藤にとっての)大きな意味の一つである。
 
 
 
 貴重なコメントを、ありがとうございました。
 

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2007年11月22日 (木)

どんなに眠くても、書こうと思ったこと

 
 「これは、許せないことだ。」と、思った時、あなたなら、どうするだろうか。
 
 
 
 法律にふれなくても、「これは、許せないことだ。」と思う事柄は、いくらでもあるはずだ。
 
 
 
 法律そのものだって、変わることがありえるのだから、「これは、許せないことだ。」というのは、その人、その人の、感覚の問題なのである。
 
 
 
 一昔前まで、それは、ある程度、同じ社会に生活していれば、共有できていた(ように思う)。
 
 いや、「共有できていたように(思う)。」という感覚も、自分の生きていた時代によりけりなので、「一昔前まで」などと、限定はできない。
 
 
 
 「これは、許せないことだ。」と、判断する難しさ。
 
 判断した後、どのような行動に出ればよいのかという難しさ。
 
 
 
 現場の先生は、常に、この文化的、自己的問題と向き合っているのである。(わけわからん言葉を使ってしまった。申し訳ない) 
 
 
 
 具体例を挙げようとすれば、いくらでも、挙がる。
 
 でも、今日は、やめておく。
 
 
 
 なぜなら、近藤は、眠いからである。
 
 どんなに、眠くても、これだけは、イメージが鮮烈なうちに、書こうと思ったので、書きました。
 
 では、おやすみなさい。
 

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2007年11月21日 (水)

研修を終えて

 
 研修だった。
 
 開始時間は、18:00。
 
 
 
 教員の世界では、よくあることだ。
 
 ちなみに、近藤は、18:00以降の研修は、ここ10年で、今年が一番少ないかもしれない。
 
 教員の時は、帰宅が、12:00を過ぎることも、よくあったが、副校長になって、若干、少なくなったような気がする。
 
 
 
 今日の、研修内容。
 
 新任副校長研修。
 
 
 
 とても、勉強になった。
 
 「副校長」という仕事に対して、みなさん、それぞれの立場で、配慮しているのを感じた。
 
 なにせ、文部科学省の調査(「勤務実態調査」(平成18年度実施)平成19年5月23日付)でも、「教頭・副校長が各職種の中でもっとも残業時間が長い」と客観的に示されてしまったり、最近の新聞によると(近藤は確認していないが)、降格人事(つまり、副校長が嫌で教員に戻った人)の数が過去最高になったり、とにかく、「副校長先生って、たいへんな仕事」というイメージがあるのは、事実である。(しかも、今日だって、勤務時間外の研修だし…)
 
 
 
 しかし、それが、副校長という仕事なのだと思う。
 
 
                
 だれかが、「黒子」しなくては、事は進まない。
 
 だれかが、「嫌われ」なくてはならない時もある。
 
 だれかが、「汚れ」なくてはならない時もある。  
 
 学校では、それが「副校長」という仕事なのである。(こんな職務は、法律に明記しているわけではない。しかし、「校務を整理」するということは、こういう仕事も含まれていると、近藤は、解釈している)
 
 

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2007年11月20日 (火)

教師冥利に尽きる

 
 1年生の授業サポートにいくことがある。
 
 今日は、「くり下がりのある引き算」の授業だった。
 
 支援の必要な子どもに、マンツーマンで、指導する。
 
 はじめは、「わからない」といっていたAさんが、授業の最後には、プリントを全問正解する。
 
 
 
 心から、「子どもって、すげぇ」と思う。
 
 
 
 これは、「Aさんにとって、サポートが必要だ」という、担任の適切な判断の成果なのだ。 

 もし、担任が、自分だけで何とかしようと、抱え込んでしまったら、Aさんは「くり下がりのある引き算」を理解することができなかったであろう。
 
 これが、チームの力なのである。
 
 
 
 教師は、神様ではない。
 
 すべてを、担任だけで、何とかしようと考えること自体が、不遜なのである。
 
 
 
 その点、若い先生は、そんなことにこだわらないので、よい。
 
 
 
 近藤は、担任をしていた時、「担任だけで、何とかしようと考え」ていたことが、多かったように思う。
 
 
 
 Aさんが、今日、「くり下がりのある引き算」のプリントを全問正解したこと…。
 
 その背景には、若い先生のしなやかな判断と学校としてのチーム力があったのである。
 
 
 
 そんな現場にいる自分を、やはり、「教師冥利に尽きる」と、思うのである。
 

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2007年11月19日 (月)

マスコミへの、率直な感想

 
 先日、TVを見て、改めて、感じた。
 
 07/11/04 16:30前後に放映されたNHKのニュースである。
 
 民主党の小沢代表の辞任会見である。
 
 
 
 小沢氏は、マスコミの報道に対し、憤っていた。
 
 近藤は、小沢氏を政治的に支持しているわけではないが、マスコミの報道に対する憤りは、もっともだと思った。
 
 
 
 「新聞倫理綱領」から、抜粋する。
 
 「品格と節度」
 公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。
 
 
 
 「表現には品格を保つ」が、行動には品格を保たない。
 
 たいへん申し訳ないが、近藤の、マスコミへの率直な感想である。
 
 
 
 マスコミの品格や節度は、その社会のそれに比例するのかもしれない。
 
 このブログだって、ある意味では、「マスコミ」(=大衆への大量的な情報伝達【広辞苑】)なのだろう。
 
 
 
 まず、自らを、律しよう。

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2007年11月18日 (日)

豊かなスポーツライフを実現すること

 
 ジョギングをした。
 
 天気がよく、気持ちよく走ることができた。
 
 
 
 平成19年11月7日、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会は、「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(案)を発表した。
 
 そこに、以下の記述がある。

「⑩ 体育、保健体育
(ⅰ)改善の基本方針
○ 体育科、保健体育科については、その課題を踏まえ、生涯にわたって健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現することを重視し改善を図る。」
 
 
 
 近藤は、運動が好きである。
 
 草野球もするし、教職員のサッカーチームにも参加している。
 
 時間があれば、今日のように、ジョギングを楽しむ。
 
 近藤が、運動をするのは、楽しいからである。気持ちよいからである。運動をすることに、価値を見いだしているからである。
 
 それが、「生涯にわたって健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現することを重視」するということであろう。
 
 
 
 多くの子どもたちに、運動することの楽しさを、感じてほしいものである。

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2007年11月17日 (土)

教室は、ドラマの舞台である

 
 教室は、ドラマの舞台である。
 
 
 
 今日は、午前中、教室にいた。(本校は、今日はオープンスクール。土曜参観である)
 
 1年生のサポートなどをしていた。
 
 この仕事を始めてから、職員室にいることが多い。(あたり前である)
 
 久しぶりに、教室にいると、かなり(近藤の)テンションは、あがる。
 
 子どもの一挙手一投足、教師の言動が、自分のアンテナにビビっとひっかかってくるのである。
 
 密度の濃い、時間である。
 
 
 
 あらためて、思う。
 
 教室は、ドラマの舞台である。
 
 
  
 授業が終わってから、保護者と面談している先生がいた。
 
 その先生から、話を聴く。
 
 保護者は、一生懸命である。
 
 教師も、一生懸命である。
 
 もちろん、管理職も一生懸命である。
 
 だから、教室は、学校は、ドラマの舞台に、なる。
 
 
 
 教室は、ドラマの舞台である。
 
 よきドラマの演出者になりたいと思う。
 
 よきドラマの主役は、もちろん、子どもであり、保護者であり、先生である。

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2007年11月16日 (金)

年齢差75歳

 
 今日の5時間目は、1年生の教室にいた。
 
 いろいろな1年生と話をして、とても、楽しかった。
 
 1年生は、6歳か7歳である。
 
 
  
 今、父親と話をした。
 
 父は、82歳になる。
 
 
 
 近藤は、生まれた年が80年違う人間と、ほぼ毎日、時間を共有している。
 
 
       
 毎日、父(82歳)と朝食をともにし、1年生(6歳か7歳)と挨拶を交わす。
 
 
 
 高齢化社会、核家族化が進む現在の日本において、これは、実は、貴重なライフスタイルかもしれない。
 
 
 
 高齢者なら、高齢者だけになりやすい。
 
 核家族は、家族で孤立しやすい。
 
 
 
 そんな世の中で、近藤は、毎日、1年生と挨拶を交わし、82歳の父と顔を合わす。
 
 幸せである。
 
 
 
 不思議なことに、82歳の父と1年生の言動は、似ている。
 
 
 
 人間って、おもしろいと、思う。
 
 この感覚を、大切にしたい。
 

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2007年11月15日 (木)

オープンスクール

 
 横浜では、オープンスクール週間を設けている。

 保護者や地域の方々に、学校での活動を見ていただく週間である。
 
 基本的に、学校は、いつでも参観可能であるのだが、現在では、安全管理上、校門に施錠してあったり、昇降口がしまっていたりしているのが現状だ。
 
 そこで、オープンスクール週間を設け、地域や保護者の方が来校しやすいようにしているのである。
 
 本校は、本日から3日間、オープンスクールである。
 
 
 
 普段の学校の様子を見ていただくことは、学校にとって、非常によいことだ。
 
 子どもも張り切るし、先生方も張り切る。
 
 
 
 学校の様子を見て、さまざまな感想をもつ地域の方や保護者の方がいらっしゃるであろう。
 
 そこで、オープンスクールに合わせて、本校の教育活動について、アンケートをとっている。
 
 地域や保護者からご意見をいただき、それを学校経営に生かすことは、これからの学校に、とくに求められていることだ。
 
 いただいたご意見を謙虚に受けとめ、子どもにとってよりよい学校にすべく、みんなで智恵を出し合いたいと思う。
 
 
 
 学校だけでなく、家庭、地域といっしょに子どもを育てたい。(あたりまえの話だが…)
 
 オープンスクールは、その第一歩なのである。
  

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2007年11月14日 (水)

落ち着いた一日

 
 職員室で、11月7日付けで発表された「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会)を読んでいた。
 
 ある先生が、
「副校長先生、今日は、余裕ですね。いつも、バタバタしている感じなのに…。」
と言う。
 
 
 
 おっしゃるとおりである。
 
 職員室で、落ち着いて、資料や書籍に目を通すことなど、これまでの教員生活で、ほとんど、なかったことだ。
 
 自分自身のその状態(職員室で落ち着いて資料に目を通すとうこと)に、違和感をもっていたので、その職員の言葉が、妙に頭に残った。
 
 担任をしていた時には、考えられない。
 
 学校にいる時は、常に、「右往左往」だった。
 
 落ち着いて、職員室で、本を読むなど、あり得なかった。
 
 だからこそ、休日や夜間に、むさぼるように、読んでいたのかもしれない。
 
 
 
 その後、子どもの対応について、学年の先生と話し合いをする。
 
 先ほど読んだ「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会 2007/11/07付)の言葉と現場の感覚がつながってくる。
 
 
 
 この感覚を、大切にしたい。
 
 近藤は、鼻持ちならないほど鈍感な人間なので、目の前の、具体性のある子どもとのかかわりがなくなった瞬間、「理想論を振りかざす評論家」や「不十分な理論にしがみつく研究者」や「経験論にしがみつくおじさん」に成り下がってしまうのである。
  
 だからこそ、この現場感覚を、自分の宝としたいのだ。
 
 
 
 本を読み、議論をし、ものを書くことは、教師としての力量を高めるために、非常に有益である。
 
 しかし、その大前提は、現場にいること(子どもと直接かかわる場にいること)である。
 
 だからこそ、本や話し合いの言葉が自分の中に入って、血肉になるのである。
 
 
 
 評論家ではなく、プレーヤーを(この期に及んでしつこく)求め続ける、近藤である。

(これは、昨日書いたものです。システム上の問題でアップできなかったので、本日アップしました)

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2007年11月12日 (月)

教師を続けることの難しい時代

 
 前々任校で、同じ学年を組んだ先生と会った。
 
 その先生は、この秋、教師を辞めて、地元に帰る。
 
 
 
 話を聴くと、教師が嫌になったわけではないという。
 
 さまざまな要因が重なった結果、教師を続けることを断念したらしい。
 
 
 
 改めて、「教師を続けることの難しい時代」になったのだと、感じる。
 
 
 
 教師だけが、人生の選択肢ではない。
 
 
 実際、その先生は、教師になって非常に成長したと、近藤は思う。
 
 「たくましく」なったのだ。
 
 それは、財産である。
 
 ぜひ、その財産を生かして、さらに輝いてほしい。
 
 近藤は、応援している。
 
 
 
 教師とは、応援団に徹することなのかもしれない…。

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2007年11月10日 (土)

望ましくない行動への対応

 
 子どもたちは、学校生活の中で、いろいろな行動をする。
 
 教師から見て、望ましくない行動をすることもある。
 
 それへの指導が、とても大切である。
 
 これは、昨日書いたとおりだ。
 
 
 
 あまりに頻繁に、望ましくない行動が起こる場合は、何が本当の原因なのかを分析し、対策を立てなくてはならない。
 
 対処療法には、限界がある。
 
 
 
 望ましくない行動が頻発する集団への、効果的な対応を見つけることは、難しい。
 
 難しいが、効果的な対応の原則はある。
 
 
 
 近藤の経験から、一番効果的だと思う原則は、「授業を楽しくすること」である。
 
 これに尽きる。
 
 
 
 「望ましい人間関係を築くこと」「保護者の理解を得ること」等々、さまざまな原則は考えられるが、どれも一朝一夕にできることではない。
 
 しかし、「授業を楽しくすること」は、前述したような原則に比べ、はるかに即効性があり、努力次第で目に見える改善が図られる可能性が高い。
 
 
 
 しかし、実際は、逆になることが多い。
 
 対処療法(教師にとって望ましくない行動への対応)に労力をとられ、肝心の授業の準備や教材研究がおろそかになるのである。
 
 すると、さらに教師にとって望ましくない行動が増える。
 
 つまり、悪循環である。
 
 これは、気をつけていないと、どこの学校にも起こりうる現象である。

 「授業を楽しくすること」だって、簡単なことではない。
 
 しかし、限りある教師の労力をどこに集中させるかという観点で考えた時、現在の近藤は、「授業を楽しくすること」が一番よい対策方法だと考えている。
 
 
 
 日々の授業を楽しくする。
 
 これは、学習指導の充実のみならず、児童指導上からみても、とても重要なことなのである。
 

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2007年11月 9日 (金)

けんか、火遊び、ピンポンダッシュ

 
 「けんか」「火遊び」「ピンポンダッシュ」「万引き」などなど…。
 
 子どもが、よくする行動である。
 
 
 
「ピンポンダッシュ(これって、業界用語??意味わかりますか?)をしたという子どもがいました」
「他の学校の子どもとけんかをした子どもがいました」
「けんかの指導をしたのに、なかなか○○さんは、謝りません。どうしたら、いいのでしょう。」
などなどなどなど……。
 
 今日も、たくさんの、楽しい報告をいただいた。
 
 
 
 健全である。
 
 こういうことが、起こることは、「健全」である。
 
 したことが、よいと言っているわけではない。
 
 しかし、こういうことは、どの学校でもある。
 
 どの時代でもある。
 
 こういうことが、あたりまえに起こり、それに対して、あたりまえの指導をして、子どもは成長する。
 
 あたりまえに起こっていることはが、わかる本校は、「健全」であると、思う。
 
 
 
 大切なのは、「あたりまえの指導」をすることである。
 
 今日の職員打合せで、
「指導のチャンスととらえましょう。『笑顔で対応、けんか、火遊び、ピンポンダッシュ』と言った。(意味がわからず、ちょっと、職員にはひかれてしまった。しかし、当事者意識のある職員は、苦笑いをしていた)
 
 こういう行動は、指導のチャンスである。
 
 子どもが成長する、チャンスでもある。
 
 そして、教師が成長するチャンスでもある。
 
 
  
 教師は、いっぱいいっぱいで、子どもと、日々格闘している。
 
 若い教師なら、なおさらだ。
 
 子どもの困った行動に直面して、一番悩んでいるのは、その先生方なのである。
 
 
 
 「問題は、発見されれば解決は近い」(高橋誠『問題解決の手法』(日経文庫1984年)p14)
 
 悩んでいる教師は、すでに問題をつかんでいる。
 
 つまり、「解決は近い」のだ。
 
 
 
 日々、現場の具体的で実名性のある問題に対して、がんばっている先生を、サポートしたい。
 
 これが、自分の考える「管理職像」である。
 
 
 

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2007年11月 8日 (木)

コメントをもらって、考えたこと

 
 匿名の方から、コメントをいただいた。
 
 悩める先生からである。
 
 「これだけがんばっても、保護者の理解が得られないのは、やっぱり自分が悪いのでしょうか」
 
 安易な感想を書くことのできない、切実な、叫びである。
 
 
 
 保護者から、コメントをいただくことがある。
 
 教師に対する不満が語られることもある。
 
 胸が痛む。しかし、もっともだと思うことも、多い。

 母となった教え子から、コメントをもらうこともある。
 
 やはり、子育てに悩んでいる。
 
 保護者同士の関係に、悩んでいる。
 
 
 
 子どものことを、真剣に考えるから、悩むこともある。
 
 子どものことを、真剣に考えるから、対立することもある。
 
 悩める教師は、よい教師だと、近藤は思う。
 
 悩める保護者は、よい保護者だと、近藤は思う。
 
 
 
 どんなに悩み、苦しんでも、
「子どもの笑顔」がそれを癒してくれる。
 
 だからこそ、子育ては楽しく、教育はやりがいある仕事なのであろう。
 
 
 
 抜け出ることができないトンネルはない。
 
 大きな課題は、自分を成長させてくれる。

 悩める教師、悩める保護者の皆さん、
「子どもの笑顔」のため、知恵を出し合いましょう。
 
 

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2007年11月 7日 (水)

今の自分の仕事

 
 副校長として、子どもを指導したり、授業をしたり、補欠に入ったり(休みや出張の先生の代わりをすることを、業界用語で「補欠に入る」という)することがある。
 
 そこで、感じることがある。
 
 「俺が、担任だったら…」
という思いである。
 
 
 
 「自分が担任だったら、こんなに、この子どもたちを育てることはできなかっただろうなぁ…」
 
 こんな思いをもつことが、ある。
 
 例えば、今日、3年生が、音楽会に参加するので、全校児童の前でリコーダーや歌声を披露した。
 
 すばらしかった。
 
 近藤が、指導したら、「絶対に(ここだけは、確信をもって書く)」、あのように子どもを育てることは、できなかっただろう。
 
 音楽専科の先生、担任の先生方に、感謝の気持ちでいっぱいである。
 
 
 
 逆の場合もある。
 
 「自分が担任だったら、こうやって、子どもを育てるのに…」
 
 しかし、ここが、難しい。
 
 担任ならば、指導の手だてと望ましい子どもに育てるまでの時間が、おおよそ、見通すことができる。
 
 しかし、今の近藤は、「担任」では、ない。
 
 今の近藤は、学校の「副校長」として、どうすれば、「子どもが育つ、力をつける」ことができるのかを、日々、考えている。
 
 
 
 以前にも書いた。
 
 副校長は、担任ではないし、担任の仕事はできないのである。
 
 逆に、担任は、副校長ではないし、副校長の仕事はできない。  
 
 
 
 今の、自分の役割を、まっとうしようと、思う。
 
 謙虚に、そして誠実に…。 

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2007年11月 6日 (火)

校門に立つ

 ほぼ毎日、校門に立って、子どもを迎える。
 
 
 
 顔を見ると、ほっとする子どもが、何人かいる。
 
 休みがちの子ども、前日友だちと大げんかをした子ども、生活リズムが不規則な子ども…。
 
 そういった子どもが元気に登校してくると、ほっとする。
 
 逆に、そういった子どもの姿を、登校時に見ることができないと、心配だ。
 
 今日はお休みだろうか、遅刻してくるのだろうか、担任に連絡はきているのだろうか、どこかで事件や事故に巻き込まれていないか…などなど、いろいろ考える。
 
 
 
 だからこそ、あたりまえに、元気に登校してくる子どもたちを見ると、うれしいし、自分も元気が出る。
 
 
 
 毎日、学校に、元気に登校する。
 
 このことのすばらしさとありがたさと難しさを、この仕事に就いて、つくづく感じている。
 
 
 
 そして、明日も、元気な子どもの姿を楽しみに、校門に立つのである。

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2007年11月 5日 (月)

人は、変わる

 
 人は、変わる。
 
 「近藤浩人」という名前(情報)は、変わらない。
 
 しかし、中身の「自分」は、変わっていく。
(詳しくは、養老猛司『バカの壁』参照)
 
 現在、44歳の近藤は、本校の子どもと、毎日、出会っている。
 
 これは、すごい出会いである。
 
 現在の子どもたちと、44歳の自分が出会っている、この偶然!
 
 
 
 20代前半の近藤と出会った教え子もいるし、40歳を超えた近藤と出会った教え子もいる。
 
 どの子どもたちも、『近藤浩人先生に受けもたれた』ということ(情報)は変わらないが、実際の中身は、大違いだ。
 
 どちらがよかったのかは、一概に評価できない(これが、この仕事の難しいところである)。
 
 しかし、「同じではない」ということは、間違いない。
 
 逆に、小学生時代の○○さん(これまで担任してきた子どもたちや、今の学校の子どもたち)に「出会うことができた」ということは、近藤にとって、非常に、幸せな出会いである。
 
 
 
 これを、「一期一会」というのだろう。
 
 近藤が、子どもにできることは限られている。
 
 できる範囲で、できることを、いっしょうけんめい、やりたい。
 
 「今」の近藤(それが、20代であっても、40代であっても)が、できることは、その時々で違うが、「『今』の近藤なりに、いっしょうけんめい、子どものことを考えて、行動する」ということについては、普遍でありたい
。(あくまでも、「ありたい」のであって、そうなるとは、限らない。だから、「人は、変わる」のであり、だから、人生は楽しいのかもしれない)
 
 
 
 担任と違う、子どもとの距離を感じる副校長の、戯れ言である。

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2007年11月 4日 (日)

監査の月

 この仕事について、気がついた。
 
 11月は、「監査の月」である。
 
 
 
 10月で、上半期が終わる。
 
 そこで、中間の監査があることが多い。
 
 11月に監査が多い理由である。
 
 
 
 1日(木)には、PTAからお預かりをしている「PTA教育活動協力費」の諸帳簿を、PTAの会計監査の方々に、監査していただいた。
 
 今日は、「はまっこ運営委員会
」(横浜には、「はまっこスクール」という事業がある。学校の敷地内に設置され、放課後遊びを推進する活動である)の諸帳簿の監査をした。(副校長とPTA会計監査で監査をするのである)
 
 そして、明日は、ISOの内部監査がある
。(ISOについては、10/21ブログ「ISO14001」を参照)区役所から監査委員の方が来て、監査を受ける。
 
 
 
 監査というのは、実によくできたシステムだ。
 
 「監査がある」という事実を知っているだけで、仕事に集中力と緊張感が生まれる。
 
 
 
 「監査」という呼び方ではないが、「研究授業」や「学校評価」も、その意味で「監査」である。
 
 他の人に仕事ぶりを見られ、評価されるのである。
 
 監査というシステムと同様の効果がある。つまり、仕事に集中力と緊張感が生まれるのである。
 
 
 
 しかし、あえて、あえて、書きたい。
 
 教師は、外部からの圧力ではなく、自信の責任感、使命感により、仕事に集中力と緊張感を生み出すべきである。
 
 そして、それを、多くの先輩教師たちは実践してきた。

(だから、近藤は、シロートが一面的な見方で、大雑把に教育を批判することに対して、現場人として、不快感をもつのである)
 
 外部の声に謙虚に耳を傾けつつ、最終的には、自分の学校や自分自信の責任感と使命感において、毅然と教育活動を展開し、成果を積み重ねる。そして、その過程や結果を公表し、見てもらう。
 
 これこそ、「教育における、あるべき『内部監査』」の姿である。
 
 
 
 しかし、「あるべき理想論」だけでは、現実の問題は解決しない。
 
 「あるべき『内部監査』」だけにまかせてしまえば、集中力と緊張感に欠けた実践が生じる可能性は大きい。
 
 人間は、そんなに理想的ではないのだ。
 
 だから、「監査」という「システム」(現実の問題を解決するための方法)は、よくできていると、思う。
 
 
 
 しかし、「監査があるから、やる」ではなく、「自分の責任において、やる」というのが、本来の姿であることを自覚しないと、
この監査というシステムが、主体性を欠如させるという機能を果たすことになりかねない。
(これをさらに突き詰めて考えていくと、「評価論」になっていくので、深入りはやめる) 
 
 
 正々堂々と仕事をし、謙虚な姿勢で、仕事を見ていただく。
 
 近藤の「監査」のスタンスは、これでいきたい。

(しかし、実際は、間際になって、大あわてをしている近藤である。情けない…。)

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2007年11月 3日 (土)

校風を感じる

 
 横浜港に「大桟橋ホール」というのがある。
 
 今日、はじめて、行った。
 
 本校の子どもが、和太鼓で出演するのである。
 
 子どもたちは、拍手喝采を浴び、とても、よい表情だった。
 
 
 
 昨日、ある学校に行って、子どもを指導した。
 
 その子どもたちも、とても、素直で、よい表情が印象的だった。
 
 
 
 しかし、「子どもの感じ」は、違う。
 
 本校の子どもたちは、シャイな感じである。
 
 昨日、おじゃました学校の子どもたちは、オープンな感じである。
 
 どちらも、「よい表情」なのだが、違うのがおもしろい。
 
 
 
 これが、学校の特色、風土、校風なのだろう。
 
 先生がかわっても、子どもがかわっても、校風は、変わらない。
 
 考えてみれば、とても不思議なことだ。
 
 
 
 いろいろな学校に、いろいろな校風があり、伝統がある。
 
 しかし、子どもの「よい表情」というのは、共通している。
 
 これは、万国共通だと思う。
 
 
 
 近藤は、公立学校の先生なので、いろいろな校風の学校に勤めてきたし、これからも勤める可能性が高い。
 
 どんな学校でも、その学校らしい校風の中で、その子らしさを生かしていきたい。
 
 どんな学校でも、どの学校の中に、「よい表情」の子どもを増やしていきたい。
 
 
 
 また、話が抽象的な総論になってしまった。(悪い癖だなぁ…)
 
 まずは、本校の子どもの「よい表情」を引き出すべく、全力を尽くそうと思う。
 
 自分の学校の子どもの教育に真剣に立ち向かわない者に、エラソに教育を語る資格はないのだから…。
 

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2007年11月 2日 (金)

教育をめぐる「言葉」

 「子どものよさを認めましょう」
 「ダメなことは、ダメと言わなければならない」
 「少しの成長をほめましょう」
 「子どもを丸ごと受け入れよう」…
 
 教育をめぐる、よい「言葉」は、数多(あまた)、ある。
 
 どれも、理解できるし、その通りだとも思う。
 
 
 
 しかし、実際に、責任を持って、子どもを育てている者にとっては、それぞれの言葉をどのように、実践に応用するかは、簡単ではない。
 
 
 
 例えば、「子どものよさを認めましょう」ということで、子どものよさだけを徹底的に見とり、励ます。(実際に、近藤には、そういう時期もあった)しかし、それ「だけ」では、だめだった。
 
 例えば、「ダメなことは、ダメと言わなければならない」ということで、徹底的に自分がダメを思うことに対して、ダメと言ったこともあった。しかし、それ「だけ」では、だめだった。
 
 
 
 教育に、完全無敵のオンリーワンの方法はないのだ。
 
 では、どうするか。
 
 それぞれの大人が、責任をもって、子どもを認め、諫め、励まし、叱咤するしかない。 
 「教育に、完全無敵のオンリーワンの方法はない」という言葉も、数多(あまた)あるうちの、教育をめぐる、よい「言葉」の一つである。
 
 こんな「言葉」は、シロートだって(いや、シロートだからこそ、エラソーに)書く。
 
 そんな言葉を書く暇があったら、「○○さんに、こうしたら、こうなった」ということを書くべきだ。
 
 それが、現場人のたしなみなのだろう。
 
 
 
 残念ながら、担任ではないとはいえ、現場の最前線にいる管理職としては、具体名を挙げての事例は、書くことができない。
 
 
 
 しかし、ここに書こうが、書くまいが、「うちの学校の○○さんに、こんなよい変化があった」ということを、積み上げていきたい。
 
 その小さな積み上げが、命のある教育をめぐる抽象的な「言葉」に、唯一、命を吹き込むことになる。
 
 
 
 などと、書けば書くほど抽象的になる今日の文章は、パラドックスである。
 
 どつぼである。
 
 
 
 なので、とりあえず、「今日、近藤は、ほんの少し、自分の実践の成果を感じたことがありました」
とだけ、ご報告をしておく。
 
 個人情報を保護するって、なかなか、たいへんなのである。

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2007年11月 1日 (木)

子どもからのメッセージ

 
 多くの子どもは、自分の思いを、言葉で表現できない。
 
 表情や行動で表現する。
 
 
 
 泣く、けとばす、逃げる、隠れる…。
 
 その行動の示すメッセージを、どれだけしっかりと受け取ることができるか。
 
 かなり、高度な、「教師の専門的な力量」である。
 
 
 
 今日も、いくつか、そんなことがあった。
 
 どの子どもも、必死に、訴えている。
 
 
 
 手をさしのべることができるのは、第一に「親(保護者)」である。
 
 そして、小学生なら、やはり「担任の先生」である。
 
 副校長ではないのだ。
 
 
 
 担任の代わりとして、家に行って会っても、教室で話をしても、本当の意味で「担任の代わり」には、なれないのだ。
 
 そして、担任は、「親(保護者)の代わり」には、なれない。
 
 
 
 現在、親である教え子から、このブログにコメントをもらった。
 
 本当に、ありがたい。
 
 そして、「親」になった教え子が、悩みながら子育てをがんばってることが伝わり、非常に、うれしくなった。
 
 
 
 親(保護者)が悩み、担任が悩み、先生方みんなで悩み、副校長が悩み、校長が悩みながら、必死に、「その子どもにとってベストな取組」を考えて、一人ひとりの子どもを育てる…。
 
 だから、苦しい。
 
 だから、しんどい。
 
 でも、だから、ちょっとの成長が宝物のようにうれしいのである。
 
 やりがいがあるのである。
 
 楽しいのである。
 
 
 
 明日も、子どもの言葉にならないメッセージをしっかり受け止めようと思う。
 
 そして、明日も、子どもの少しの成長を楽しみに、学校に行こうと思う。

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2007年10月31日 (水)

ちょっといい話

 校長先生が不在の時、報告すべき事柄を、ノートにメモしている。
 
 「よくない事柄」がメモされることもある。
 
 
 
 今日のメモは、違った。
 
 「うれしい報告」を書いた。
 
 
 
 本校の子どもが、財布を広い、近くのスーパーに届けた。
 
 財布が、持ち主に届いた。
 
 持ち主が、いたく感謝をし、わざわざ学校までお礼を言いに来てくれた。
 
 担任は、大喜びで、子どもの家に電話連絡をした。
 
 
 
 いやーー、いい話である。
 
 多くの方は、「ふーん、そうなんだ」くらいの感じであろう。
 
 しかし、日々、子どもの「ほんの少しの成長」に、一喜一憂している、われわれ教師にとって、これは、大きな出来事なのだ。
 
 
 
 とても、幸せな出来事であった。 

 
(今日は、本日あった若手の授業研のことを書こうと思っていた。しかし、帰り際に、このニュースが飛び込んできたので、「若手の授業研」の話は後日にしたい。「若手の授業研」…、これは、これで、ドラマのある出来事だった…)
 

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2007年10月30日 (火)

「もがく」自分

 学校は、子どもを育てる仕事をしている。
 
 教師は、子どもを育てる仕事をしている。 
 
 しかし、われわれの力には、限界がある。
 
 
 
 詳細は、書くことができない。
 
 しかし、近藤は、今日、とぼとぼと、学区を歩きながら、限界を感じた。
 
 「くそ!これで、いいのか!」
 
 と、いう感情である。
 
 
 
 別に、学校に、大問題があったわけでは、ない。
 
 きわめて、平凡な、一日だった。
 
 
 
 教師は、子どもを育てる仕事をしている。
 
 学校は、子どもを育てる仕事をしている。
 
 しかし、親は、子どもを育てることは、「仕事」とは、していない。
 
 
 
 「親」になった、教え子から、メールをもらった。
 
 「今度は親の立場で学校とお付き合いをしていますが、親も色々・・・・なんだか変な世の中になってしまっている気がします。素敵な教育を広めてくださいね!頑張ってください(*ゝω・)ノ」
 
 
 
 まだ、20代の教え子である「親」のコメントである。
 
 
 
 「親子」とは何なのだろう?
 
 学校とは、教師とは、何ができるのだろう?
 
 
 
 自分の無力さと、それでも、何かを変えるべく「もがく」自分を実感している。
 
 自分の立場で、「知恵」を出していきたいと思っている…。
 

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2007年10月29日 (月)

教え子からメール

 
 教え子からメールをもらった。
 
 二人とも、一昨日のテレビを見たらしい。
 
 
 
 メールの書き出しが、
「覚えてますか?」である。
 
 確かに、メールをもらった教え子を教えていたのは、15年ほど前だ。
 
 彼女らも、20代後半になっている。
 
 しかし、忘れるわけが、ない。
 
 どんな教え子だろうと、(近藤の場合)少なくとも一年間は、同じ時間を、同じ教室で過ごしているのだ。
 
 忘れるわけが、ない。
 
 
 
 もちろん、中には、思い出すのに時間がかかる場合もあるかもしれない。
 
 でも、必ず、思い出す。
 
 
 
 考えてみれば、これは、すごいことである。
 
 近藤は、これまで、15のクラスを担任した。(たった、15クラスである)
 
 30人平均として、450人の担任になったわけである。
 
 450人のことを、いつまでも覚えていることができるのは、必死に「同じ時間を共有してきた」からであろう。
 
 
 
 必死に「同じ時間を共有してきた」人間がいるということは、幸せだ。
 
 この仕事は、必然的に、そうなる。
 
 だから、この仕事に就くことができるということは、幸せなのだ。
 
 
 
 それにしても、彼女らは、どうやって、このブログのことを知ったのか??
 
 教え子から、ブログへのコメントをもらう…。
 
 これって、新しい「再会」の形ですねぇ。
 

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2007年10月28日 (日)

実りの秋

 
 台風一過、好天となった。
 
 ジョギングをする。
 
 ほんの2,3kmを、ゆっくり、ゆっくり走る。
 
 秋の風が気持ちよい。
 
 
 
 秋は、何をするにも、よい季節である。
 
 「読書の秋」「スポーツの秋」「学問の秋」「芸術の秋」「食欲の秋」そして「実りの秋」…。
 
 子どもと共に、われわれにとっても、「実りの秋」「成長する秋」にしたいものである。
 
 
 
 子どもにとっての「実りの秋」、
 
 保護者にとっての「実りの秋」、
 
 地域にとっての「実りの秋」、
 
 先生方にとっての「実りの秋」、
 
 そして、副校長にとっての「実りの秋」…。
 
 
 
 立場や取組が違えども、みんなにとって、充実した秋であってほしい。
 
 
 
 さて、本でも読みますか…。 
 

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2007年10月27日 (土)

副校長の研修

<本日放映!>
 昨年度の近藤の授業が再構成されて、次の番組の一部になるそうです。よかったら、見てください。(くわしくは10月22日のブログ、もしくはNHKホームページで)

 2007年10月27日(土)午後9:00~9:58 NHK教育テレビ
「わたしの すきな がっこう」
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/071027.html

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 昨日、副校長会があった。
 
 「どうする!新指導要領!」というテーマで、ささやかな話題提供をさせていただいた。 
 
 
 副校長は、学校にいることが多い。
 
 研究会や研修に出ることが、一般の先生方に比べると、少ない。
 
 学校にいると、ついつい目の前の仕事に、追われる。
 
 加えて、最近の教育界の変化は、激しい。
 
 つまり、かなり意図的に情報を集めていないと、すぐに「浦島太郎」になってしまう。
 
 
 
 副校長会は、そういう意味で、貴重な時間である。
 
 同じ立場なので、問題意識も、共通することが多い。
 
 有益なナマの情報を得ることができる、貴重な機会である。
 
 今回も、近隣校の貴重な取組について知ることができた。
 
 
 
 幸い、近藤は、校長先生のご高配で、初任副校長研修や管理職研修、さらにはそれ以外の研修にも、比較的多く参加させていただいている。
 
 ありがたいことである。
 
 研修で得たことを、自分の学校の教育に生かしたい。
 
 
 
 「自ら学ぶものだけが、教える資格をもつ」
 
 副校長も、しかりである。
  

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2007年10月25日 (木)

体験学習引率

(番組宣伝)
 昨年度の近藤の授業が再構成されて、次の番組の一部になるそうです。よかったら、見てください。(くわしくは10月22日のブログ、もしくはNHKホームページで)

① 2007年10月27日(土)午後9:00~9:58 NHK教育テレビ
「わたしの すきな がっこう」
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/071027.html

② 2007年10月25日(木)午後10:45~10:55<総合テレビ>
「見どころNHK」

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 昨日、本日、4年生の体験学習の引率。
 
 好天に恵まれ、すばらしい体験学習ができた。
 
 
 
 担任の先生をはじめとする引率の先生方のきめ細かい準備と臨機応変な対応に感謝したい。
 
 
 
 体験学習の引率に7月10月と参加させてもらって、自分の仕事のやり方に、いまだに戸惑っている。
 
 この2回は、すごく子どもとかかわらせてもらったので、正直、これまでの経験を生かす場面が多く、それほど、違和感はなかった。
 
 しかし、場面場面で、「自分の立場で、どう判断すべきか」と、考えることもあった。
 
 例えば、子どもがちょっとした諍いになった時、その子どもがどのような個性を持った子どもか全くわからない場合がある。(担任もしくは同学年の先生なら、そういうことはない)
 そこで、迷うのである。自分が、どう接したらよいのか。
 戸惑いである。
 
 例えば、子どもが「副校長先生、○○していいですか」と尋ねてくる。おおかたは、「担任の先生に確かめてごらん」とか「しおりを見て、行動しよう」などと言うのだが、緊急性のあるものについては、そうも言っていられない。
 戸惑うことがある。
 
 例えば、同宿校に子どもが迷惑をかけたり、事前の調整に手違いがあったりした場合の、対応。
 これも、戸惑う。
 
 まだまだ、例を挙げたら、きりがない。
 
 
 
 一つひとつの体験が、「学び」であるのは、子どもも新米副校長も同じだなあと感じた2日間だった。

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2007年10月23日 (火)

教師であることの[幸せ」と「責任」

「(番組宣伝)
 昨年度の近藤の授業が再構成されて、次の番組の一部になるそうです。よかったら、見てください。(くわしくは10月22日のブログ、もしくはNHKホームページで)

① 2007年10月27日(土)午後9:00~9:58 NHK教育テレビ
「わたしの すきな がっこう」
http://www.nhk.or.jp/wakuwaku/jugyo/071027.html

② 2007年10月25日(木)午後10:45~1