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2008年3月31日 (月)

新しい出会いに期待しよう!

 Aさんからメール。
 
 Aさんは、近藤の前任校に異動する先生らしい。
 
 たまたま、近藤のブログの存在を知っていて、たまにチェックしてくれていたらしいが、近藤の教え子のコメントが気になったらしく、メールを送っていただいた。
 
 
 
 返信した。

「(前略)でも、近藤のところに自分からメールを打つと言うことは
子どもたちが自ら問題をとらえ、何とか解決しようとしている証拠だと思います。

単級なのでクラス替えはありませんが、最上級生となり、心機一転がんばってくれることを期待しています。」
 
 
 
 これは、近藤の本心である。
 
 
 
 もし、今日のブログを、教え子が読んでいたら、こう伝えたい。
 
 「また、新しい先生との出会いがあります。春は、チャレンジし、チェンジする季節です。新しい、すばらしい生活を、新しい先生方と築いてください。そうです。浅間台小学校の最上級生なのですから…。」
 
 
 
 今日で、本年度も、終わる。
 
 この一年を謙虚に振り返り、近藤自身も、新しい出会いに期待したいと思っている。

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2008年3月30日 (日)

富士山と桜

【再放送予定】いよいよ明日です!!
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 本校の前の道は、「富士見通り」という。
 
 その名の通り、天気の良い日は、「ものすごい」富士山を見ることができる。
 
 荘厳、且つ優麗。
 
 まさに「ものすごい」という形容に値する富士である。
 
 
 
 そして、今、横浜近辺では、桜が見頃である。
 
 花見などに行かなくとも、通勤途中のあちこちで、美しい桜を見ることができる。
 
 また、どこの学校にも、何本かの桜の木はあるものだ。
 
 
 
 富士山、桜…。
 
 日本人は、これらに、特別な感情を抱いているような気がする。
 
 富士山を見たときの気持ちは、その他の山を見たときの気持ちとは、何か、違うような気がする。
 
 桜を見たときの気持ちは、その他の花を見たときの気持ちと、何か、違うような気がする。
 
 日本人のDNAに響くというか、何というか…。
 
 
 
 春休みの一時、しばし富士と桜を楽しむ時間をもちたいものである。 

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2008年3月29日 (土)

力不足の実感

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 昨日は、飲み会。
 
 飲み過ぎた。
 
 
 
 しかし、今日は、朝から一日学校で仕事。
 
 土曜日なのに…。
 
 
 
 平成18年度に実施した、教員勤務実態調査の結果について、平成19年5月23日付けで、文部科学省から公表されている。
 
 
 
 それによると、「教頭・副校長が各職種の中で最も残業時間が長い」とある。
 
 実態を見事に示す調査結果である。
 
 
 
 教育は、パートタイマーやアルバイトでは勤まらない、高度に専門的な知識と技量がいる仕事である(と、少なくとも、近藤は、思っている)
 
 当然、仕事の内容や時間帯は、弾力的にならざるを得ない。
 
 しかも、昨今は、仕事の内容自体も大きく変容している。(小学校の先生が英語を教えなければならない世の中なのだ)
 
 しかし、仕事の内容が弾力的だからといって、仕事の対価である給与が弾力的、いわゆる「ザル勘定」になっては、ならない。
 
 公務員なので、納税者に納得のいくような勤務システムが求められるのだ。
 
 
 
 ということで、「どこにもあてはまらない仕事」「誰もやらない仕事」をするセクションが必要になる。
 
 それは、誰?
 
 (現在のシステムでは、実質的に)副校長である。
 
 だから、休日に、勤務時間以上の仕事をすることになるのだ。
 
 
 
 無論、これは、初任副校長である近藤(あと2日は、一応「初任」である)の力量不足が一番の原因では、ある。
 
 
 
 教諭だった頃の夢は「良い先生になること」、当面の目標は「普通の先生になること」だった。
 
 今年の、当面の目標は「普通の副校長になること」だった。
 
 いまだ、「普通の副校長」にさえ、なれていない。
 
 
 
 早咲きの桜を見ながら、自分の力不足を実感しまう近藤である。

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2008年3月28日 (金)

副校長は、学校の第一印象

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 年度末である。
 
 転出や転入が、ある。
 
 
 
 今日、本校に転入手続きに来た子どもがいた。
 
 子どもも保護者も緊張している。
 
 
 
 安心して4月から登校できるよう、手続きをする。
 
 
 
 これも、副校長の仕事のひとつである。
 
 
 
 「副校長は、学校の第一印象である」
 
 まったく、その通りだと、思う。
 
 
 
 転入生に、安心して、学校に来てもらいたい。
 
 あまり語られることがないことだが、こういった対応は、とても大切であると、近藤は思っている。
 
 
 
 副校長としての、「やりがい」を一つ見つけることができて、ちょっと、うれしい近藤である。

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2008年3月27日 (木)

時間」とは、「百薬の長」である

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 いわゆる「春休み」である。
 
 しかし、「春休み」と呼べるほどの休みは取れないのが、学校現場である。
 
 教室の片づけ、年度末の諸帳簿の整理、新年度の準備…。
 
 ソフト面でも、ハード面でも、大忙しの「春休み」なのである。
 
 
 
 昨日、ある友人からこんなことを言われた。
 
 「あれ?何で、ネクタイ姿なの?今日は、春休みじゃないの?仕事してきたの??」
 
 その友人は、「春休み」=「Spuring Long Vvacation」と思っていたらしい。
 
 
 
 とんでもない!!
 
 春休みは、いつも以上に忙しいのである!
 
 
 
 しかし、緊張感は、緩む。
 
 なぜなら、子どもはいないからだ。
 
 
 
 雑務は多いが、子どもの教育に、直接かかわっている時間ではないので、「ゆるゆる仕事をしている」という感じが、近藤には、ある。
(他の先生方は、わからない。近藤の、「感じ」である)
 
 
 
 そして、春休みの仕事には、「わくわく感」が、ある。
 
 子どもとの出会い、職場での出会い、環境との出会い…。
 
 
 
 今日の近藤は、「ゆるゆる仕事」をしながら、「わくわく感」を楽しんでいた。
 
 1年経って、少しは、「副校長稼業」になれてきたのかもしれない。
 
 
 
 これを、「副校長としての成長」と考えるかどうかは難しい。
 
 しかし、少なくとも、昨年の今頃よりは、ゆとりをもって仕事を進めることができているような気がする。
 
 
 
 「時間」とは、「百薬の長」だと、いつも感心させられる近藤である。

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2008年3月26日 (水)

修了式

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 修了式。
 
 今日をもって、2007年度(平成19年度)の主な教育活動はすべて終了である。
 
 そして、2008年度(平成20年度)が4月からスタートする。
 
 
 
 打合せで、話した。
 
 「この一年間、子どもたちの確実な成長を目のあたりにし、先生方のすばらしさ、すごさを実感しました。短く、忙しい春休みではありますが、できるかぎりリフレッシュをしていただいて、次の新たな出会いに備えてください。本当に、一年間ありがとうございました。」(概要です)
 
 
 
 本心である。
 
 ありふれた言葉の羅列ではあるが、自分の本心を伝えるための適切な言葉を選んだら、ありふれた言葉の羅列になった。
 
 
 
 今日は、とにかく、大好きな本校の子どもたちと、尊敬すべき本校の職員の皆さんに感謝しながら、管理職としての「いっときの安堵感」に身をまかせたいと思っている。
 
 
 
 みなさん、一年間、ありがとうございました。

 
(これは、昨日、3月25日、ブロバイダのメンテナンスでアップできなかったブログの再掲です)

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修了式

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

----------------------------

 修了式。
 
 今日をもって、2007年度(平成19年度)の主な教育活動はすべて終了である。
 
 そして、2008年度(平成20年度)が4月からスタートする。
 
 
 
 打合せで、話した。
 
 「この一年間、子どもたちの確実な成長を目のあたりにし、先生方のすばらしさ、すごさを実感しました。短く、忙しい春休みではありますが、できるかぎりリフレッシュをしていただいて、次の新たな出会いに備えてください。本当に、一年間ありがとうございました。」(概要です)
 
 
 
 本心である。
 
 ありふれた言葉の羅列ではあるが、自分の本心を伝えるための適切な言葉を選んだら、ありふれた言葉の羅列になった。
 
 
 
 今日は、とにかく、大好きな本校の子どもたちと、尊敬すべき本校の職員の皆さんに感謝しながら、管理職としての「いっときの安堵感」に身をまかせたいと思っている。
 
 
 
 みなさん、一年間、ありがとうございました。
 

(これは、昨日、3月25日、ブロバイダのメンテナンスでアップできなかったブログの再掲です)

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2008年3月24日 (月)

引用をつないで…

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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ノーベル経済学賞のミルトン・フリードマン博士らは、以前から『政府は仕事をどんどん小さくすべきだ』と強く主張してきました。義務教育や国立病院などは公共財と位置づけるのではなく、マーケットを通じた競争原理を導入した方が効率的だと言っているのです。[中谷巌『痛快!経済学2』(集英社インターナショナル2004年)p113-114]

 こういった考え方の改革を、新自由主義的な教育改革という。
 
 新自由主義的な教育改革が、進んでいる。
 
 例えば、成績のよい学校に、予算を多く配分するとか…。
 
 アンビリーバボー!である。
 
 
 
 東京・足立区は、「成績の伸び率」を、各学校の予算配分の資料としていたらしい。
 
 すると、ズルをして成績をよくしようとする学校が現れたので、あわててそれをやめた。

予算算定から「成績伸び率」除外  東京・足立区の学力調査不正  区教委が再発防止策

 東京都足立区が実施した学力調査で、誤答している児童に対して問題文を「指さし」する小学校があるなど不正が起きた問題について、同区教委は1日、再発防止に向けた方針をまとめた。不正が起きた背景について同区教委は、正答率や伸び率を成績順に公表してきたことが、校長のプレッシャーになった可能性があると分析。「特色ある学校づくり予算」を査定する判断材料として伸び率を活用していたが、除外を決めた。
 (日本教育新聞2007年10月8日<2 面>)

 
 
 
 情けなくて、しょうがない。 
 
 「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。[藤原雅彦『国家の品格』(新潮新書2005年)p191]
 

 妙に、心を揺さぶられる文章である。
 
 教育を金で動かそうとするんじゃない!
 
 といいたいが、給料をもらえなくても困るし…。
 
 
 
 「たかが経済」と「孤高を保つ」ほど、品格が磨かれていない自分に気付く。
 
 
 
 まずは、自らの行動原理を顧みるとするか…。
 

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2008年3月23日 (日)

「横浜版学習指導要領」への期待

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 日本教育新聞(2008年3月24日付4面)に、「行政の支援策・横浜市」として、「横浜版学習指導要領」についての記事が掲載されていた。
 
 担当の主任指導主事の先生が、たいへんわかりやすく、その主旨や取組について書いている。
 
 同紙(2008年3月3日付1面)の「不易・流行」という欄でも、「横浜版学習指導要領」について、たいへん好意的なコラムが書かれていた。
 
 一年半ほど前、「横浜版学習指導要領」というネーミングについて、侃々諤々の議論をしたことを思い出す。
 
 結果として、「横浜版学習指導要領」という言葉は、内外にインパクトを与えるという目的を達成することができている。
 
 
 
 昨年、ある同業者から、こんな質問を受けた。
 
「『横浜版学習指導要領』の知・徳・体・公・開というのはわかりやすいけれど、『新よこはま教育プラン』に示されていた10の学習課題や23の観点別成長課題は、どこにいっちゃったのか」

(「10の学習課題」「23の観点別成長課題」とは、前回の学習指導要領改訂時に策定された「新よこはま教育プラン」で示された横浜の子どもの成長像や横浜の教育内容・方法の考え方。これらの言葉は横浜の学校教育全体計画や指導案に盛んに使われた)
 
 「それについては、いろいろな議論があった。ここでは、近藤の個人的な見解をお伝えしたい。」
と、前置きした上で、話した。
 
「『横浜版学習指導要領』策定にあたって、現場の管理職、教職員、教育委員、委員会事務局の方、一般市民、保護者の方々の、共通のニーズがあった。それは、『わかりやすいものにしてくれ』というニーズである。そして、教育課程研究員会の中で、これまでの取組の総括を含む『わかりやすい総則づくり』に努力してきた。しかし、結果としては、それが、『横浜版学習指導要領』の文面に表れることは、なかった。なぜなら、総括する上でふまえなければならない答申、構想、調査結果は多岐にわたり、それに言及すると、とても『わかりやすい総則』にはならないからである。」

(2007/01/12のブログ「さっきまで、ずっと、考えていたこと」に詳しい) 

そして、こう私見を結論づけた。
「これまでの取組の総括を明文化しなかったことこそ、
これまでの取組の反省をふまえた結果なのです。」
 
 質問した同業者は
「よーく、わかった。」
と言ってくれた。
 
 
 
 くどいようだが、再度、書く。
 
 これは、近藤の、個人的な見解である。
 
 
 
 しかし、当然であるが、「横浜版学習指導要領」は、これまでの横浜の教育の延長線上にある。
 
 
 
 「横浜版学習指導要領」には、
これまでの横浜の教育をさらにグレードアップする役割を、
大いに期待している。

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2008年3月22日 (土)

「直接」子どもと接すること

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 昨日のブログを、読み返す。
 
 
 
 自分の、力の無さを、痛感する。
 
 
 
 子どもと「直接」接している「教師」という仕事の大切さと、重さを、感じる。
 
 
 
 一年前、近藤は、子どもと「直接」接していた。(昨日コメントを書いてくれた子どもはその時の教え子である)
 
 たった、一年前、である。
 
 しんどかったが、楽しかった。
 
 毎日が、複雑な応用問題を解くような仕事であったが、それだけに、子どもの笑顔、成長を感じたときの喜びは、大きかった。 
 
 
 
 もちろん、今の、副校長という仕事も、やりがいがある。
 
 しかし、そのやりがいは、「直接」子どもと接している「教師」の仕事に依存する部分が大きい。
 
 校長、副校長のやりがいは、「教師」を中心とする「直接」子どもに接している職員の方々への信頼感によって成立しているのである。
 
 だからこそ、今「直接」子どもに問われている近藤は、

その問いに満足に応えることができない自分に腹が立つのである。
 
 
 
 できれば、直接、応えたい。
 
 昨日のブログにあるアドレスに連絡がほしい。
 
 近藤は、待っている。
 
 ずっと、待っている。
 
 何年でも、待っているつもりである。

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2008年3月21日 (金)

3月末日までの公開

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)

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 久しぶりに、コメントをもらった。
 
 引用する。

こんにちわ!私は近藤先生に勉強を教えてもらいました。今年からは、六年生になります。

私達のクラスに授業をうけない子がいます。
どうしたら、仲良くできるか
ぜひ!!おしえてくだしい(^v^)!
 
 
 
 前任校の教え子からだ(と、思う)。
 
 端的で、無駄のない、よい文である。
 
 しかし、書いてあることは、重い。(そのわりに、「軽い」感じがする。それを、どう判断したらよいか…)
 
 
 
 近藤は、この「問い」に応えなければならない。
 
 しかし、あまりに、情報が少なすぎる。
 
 
 
 もし、よかったら、「コメント」という形式ではなく、以下のアドレスにメールしてほしい
。(ブログにコメントを書くことができるなら、メールを送ることができると判断した。難しいようだったら、おうちの人に電話してもらってください)
 
 このメールアドレスは、期間限定で、公開する。
 
 3月末日までの公開である。
 
 
 
 *****@*****(公開期間は終了しました)

 
 
 
 ただひとつ。
 
 近藤は、このコメントを送ってくれた教え子に、伝えておかなければならないことがある。
 
 「近藤は、もう、あなたの『担任』ではないのです。だから、あなたが期待していることの100分の1も、力になれる自信はないのです…」
 
 
 
 それでも、コメントをしてくれた、誰かわからない「あなた」に、応えたい。
 
 
 
 それは、仕事としてではなく、「教師」としての、「性」(さが)である。

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2008年3月20日 (木)

副校長としての、子どもへのかかわり方

【番組紹介】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送)
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 昨日、無事、卒業式終了。
 
 本年度も、授業日は、あと3日を残すのみとなる。
 
 
 
 昨日、ぼーーっとしながら思ったことがある。
 
 副校長として、この一年、いろいろな子どもとかかわらせてもらった。
 
 それが、「副校長としての、子どもへのかかわり方」として適切であったのか、どうか?
 
 甚だ自信がない。
 
 「副校長としての、子どもへのかかわり方」が、一年経とうとしている現在でも、まったく、わからない。
 
 
 
 「担任をしていた近藤」の目線で子どもを見る。
 
 しかし、「担任ではない」から、子どもとの関係性は薄い。
 
 関係性を築きあげるほどの時間もない。
 
 だから、子どもへの接し方が、中途半端になる。
 
 当然、子どもとの関係も、中途半端である。
 
 「これでいいのかなぁ…。」
と、思いつつも、煩雑なデスクワークに追われ、じっくり振り返ることがなかった。
 
 
 
 その点、校長先生の子どもとのやりとりは、見事である。絶妙である。
 
 だから、子どもは、「校長先生大好き」であり、たくさんの子どもが校長先生に寄り添ってくる。
 
 すごいことだと、思う。
 
 そして、よきモデルが身近な上司にいる幸せを感じる。
 
 もっと、校長先生の姿に学ばなければならない。 
 
 
 
 一年経って、やっと、「副校長としての、子どもへのかかわり方」に課題があることに、気付いたのは、忸怩たる思いである。
 
 しかし、問題は、発見されれば解決は近いといわれる。

 
「主体的に問題を把握できなければ問題解決はできない。逆に言えば、主体的に問題を把握した時点で解決の8割がたは成功したようなものだ」と聞かされました。
(横浜の教育を創造する会『横浜発信!生きる力を育てる総合学習』(てらいんく1999年)p37)
 
 
 
 地道に問題解決の努力をしていこうと思う。
 

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2008年3月19日 (水)

卒業式を、終えて

 卒業式だった。
 
 よい式だった。
 
 卒業生も、在校生も、(そして、僭越ながら、保護者の皆様も)すばらしかった。
 
 
 
 卒業生のすばらしさは、昨日、書いたとおりである。
 
 みんな、「にこにこ」している。
 
 こういうお子様に育てた保護者や地域の方々と、先生方のすばらしさを、感じる。
 
 
 
 在校生も、すばらしかった。
 
 いわゆる「腕白坊主」の「呼びかけ」(卒業生と在校生の声の「かけあい」。横浜では、この「呼びかけ」というのが一般的である)が、一番、すばらしかった。
 
 教育の、可能性を、感じた。
 
 
 
 そして、今回、本校の卒業式を始めて経験する近藤の感想。
 
 保護者の皆様の、すばらしさ、である。
 
 節度ある、しかも、心温まるまなざしである。
 
 これにも、すごく、感動した。
 
 
 
 実は、アクシデントが、なかったわけでは、ない。
 
 近藤も、その中で、よい経験をさせてもらった。
 
 
 
 結果として、子どもたちも、地域の方も、保護者の方も、そして先生方も、「すばらしい卒業式だった」と感じるに値する、卒業式であった。
 
 
 
 放課後、いつものように、施錠のため、各教室を点検に回る。
 
 卒業生の教室の黒板に、「○○先生、ありがとう!」「○○先生が担任でよかったです!」
「楽しい1年でした!」などと、自由な筆致で書いてあった。
 
 それをみて、あらためて、今日の「すばらしさ」の影にある先生方のご尽力に、感謝した。
 
 
 
 子どものそばには、「しんどさ」が、ある。
 
 でも、子どものそばには、「幸せ」が、ある。
 
 
 
 子どものそばにいることの、「幸せ」を、感じることのできる、今日の卒業式であった。
 

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2008年3月18日 (火)

やわらかい卒業式

 卒業式の予行があった。
 
 情けない話だが、近藤は、今日、はじめて卒業式の学習に参加した。
 
 近藤の出番は、2回。
 
 「開式の言葉」と「閉式の言葉」である。
 
 
 
 今日の印象。
 
 「やわらかい卒業式」
 
 
 
 卒業生は、にこにこしている。
 
 過剰な緊張感も、別離の悲しさも、見られない。
 
 会場全体が、やわらかいのである。
 
 
 
 今年の卒業生のもつ雰囲気か、
 
 先生方のご指導か、
 
 学校の校風か、
 
 それは、わからない。
 
 とにかく、「やわらかい卒業式」という印象をもった。
 
 これは、素敵なことだ。
 
 
 
 明日は、卒業式。
 
 天気も穏やかになるようだ。
 
 
 
 自分の務めを果たしながら、やわらかい時間を楽しみたい、と思った。

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2008年3月17日 (月)

ドラマの連続

 ブログを書き始めて、2年半以上経つ。
 
 最近、気がついたことがある。
 
 
 
 身の回りに、毎日、いろいろな出来事が起こる。
 
 非常に、生々しい出来事も、多い。
 
 書きたいことは、山ほど、ある。
 
 
 
 しかし、そのほとんどは、書けないことである。
 
 今も、(まさに、3分前くらいの出来事)すごい場面に遭遇した。
 
 しかし、書けない。
 
 
 
 書けないのは、近藤の、筆力の無さが原因であろう。
 
 しかし、「書けないくらいすごいことが、身近に、たくさん、ある」ということに、気がつくことができたのは、ブログのおかげである。
 
 
 
 人生は、(まさに、書けになしで「人生」は)ドラマの連続なのである

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2008年3月16日 (日)

健康と体力

 健康な時は、気がつかない。
 
 病気になって、はじめて、健康のありがたさを感じる人は、多い。
 
 
 
 昨日で、歯の治療が終わった。
 
 御多分にもれず、近藤も、歯の治療が終わり、不自由なく、食事ができるありがたさを感じた。
 
 
 
 「健康」は、体育科、保健体育科の担う大きな教育課題である。
 
 しかし、その割に、小学校教育での「教科としての」扱いは、小さい。
 (中学年で4時間、高学年で8時間である。ただし、「学校における体育・健康に関する指導は」、体育科以外の時間にも「学校の教育活動全体を通じて適切に行う」ことになっている)
 
 少ない時間に、しかも、多くの子どもが健康に対して課題を感じていない状態で、「健康」の学習をすることに、小学校での「健康教育」の難しさがあると感じている。
 
 だからといって、子どもに、実験的に不健康な生活をさせ、健康のよさを実感させることはできない。
 
 
 
 「健康」と「体力」
 
 これは、新学習指導要領における体育科、保健体育科の大きな課題である。
 
 実効性のある、しかも、どの学校でも実践可能なモデルを考えたいと、個人的に思っている。
 

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2008年3月15日 (土)

卒業式まで、後3日

 今日は、学事報告の印刷をした。
 
 卒業式まで、3日。
 
 学事報告や卒業証書授与者名簿は、間違えることができないので、いろいろな方に、確認をしてもらってから、印刷をする。
 
 しかし、卒業式は、何と言っても、校長先生と卒業生の担任が、重責を担っている。
 
 
 
 校長先生は、証書を書いたり、式辞を考えたり、準備に追われている。
 
 卒業生の担任は、学習のまとめをしながら、式の指導をする。
 
 その他の先生方も、それぞれに、仕事が分担されている。
 
 卒業式は、一年で、一番大切な式だということが、先生方の仕事ぶりから伝わってくる。
 
 
 
 今日は、暖かかった。
 
 当日も、暖かくなるようだ。
 
 心に残る式になるよう、近藤も、自分の務めを精一杯果たしたい。
  

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2008年3月14日 (金)

「価値」について考えたら…

 いろーんなことがあり、いろーんなことを考えたら、
「価値」(その人がすごいと思ったり、偉いと思ったり、大切だと思ったりすること)について、考えざるを得なくなった。
 
 
 
 「価値」を測る、一番わかりやすい尺度は、「お金」である。
 
 「価値」のある物や、「価値」のあるサービスは、「高価」になる。
 
 
 
 おいしい料理は、「価値」があるので、「高価」になる。
 
 それを、まずいと感じる人が多ければ「価値」が下がるので、価格は下がる。
 
 サービスのよいホテルは、「価値」があるので、「高価」になる。
 
 そのサービスを、あたりまえと感じる人が多くなれば「価値」が下がるので、価格は下がる。
 
 とっても、わかりやすい。
 
 
 
 しかし、である。
 
 「お金」では測ることのできない「価値」も、ある。
 
 例えば、「信頼」である。
 
 いくら金を積んでも、「信頼」は、買えない。
 
 例えば、「名誉」である。
 
 いくら金を積んでも、「名誉」も、買えない。
 
 こう考えると、金で買えない「価値」の方が、尊いような気がしないでもない。
 
 
 
 「信頼」とか、「名誉」とか、「誇り」とか、「誠実」とか、そういった「価値」に、昔ほど、重きをおかなくなったような気がする。
 
 もともと、日本では、金で買えない「価値」の方が尊いという考え方があった。
 
 「清貧」という言葉があるくらいだ。
 
 こういった、日本人のもっていた「気高い心」に、近藤は、憧れる。
 
 
 
 「気高い日本人」でありたいものだ。
 
 
 
 それには、雑音が多すぎる、今の日本である。
 
(やっちった。また、精神論だ。成長しねえなぁ、俺って…。しかし、最後は精神論になるのは必然ではないかと、最近、開き直りつつある近藤である)

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2008年3月13日 (木)

公僕

 クローズアップ現代という番組で、自衛官の現状を放送していた。
 
 
 
 これまでの自衛官としての仕事以外の仕事が多くなり、過労働になっているようである。
(近藤は、番組を見て、そう感じた)
 
 そして、「自衛官は、それ(過労働と感じていること)を言えない」雰囲気も、番組から伝わってきた。
 
 しかし、結果として、それが、大きな事故を招く原因となっているのかもしれないのである。
 
 「これは、教員と同じだ」と、感じた。
 
 
 
 「どこが、どう同じなんだ!」という声が聞こえてきそうである。
 
 多くのことを、考えすぎて、今、近藤の頭は、パンク状態である。
 
 なので、いつか、整理して書きたい。
 
 
 
 少なくとも、真面目に、誠実に、しかも適切に「がんばっている」公僕(あえて公僕という言葉を使わせていただいた)に、エールを贈りたい。
 
 
 
 公僕に、人生をかけてきた先輩方、そして人生をかけようとする若者にエールを贈りたい。
 
 そして、近藤も、その仕事のはじっこにいることに、誇りをもちたいと願っている。
(このブログだけ読んだ方がいたら、俺って右翼かと思われるかもなぁ…、ま、いっか。)
 
 

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2008年3月12日 (水)

番組終了のお知らせ

 NHK教育で放送されていた「わくわく授業」が終了したと、担当のディレクターの方からメールをいただいた。
 
 そのメールはメーリングリストで、過去の出演者や関係者に配信されているらしい。
 
 その後、次々と、メーリングリストのメンバーからお礼のメールや感謝のメールや番組終了を惜しむメールなどが送られてきた。
 
 もちろん、近藤も、お礼のメールを送らせていただいた。
 
 
 
 この番組のおかげで、自分の身近にも、たくさんのドラマがあることに、あらためて気づくことができた。
 
 この仕事の醍醐味も、再確認できた。
 
 なによりも、この番組のおかげで人的ネットワークが広がった。
 
 あらためて、テレビというメディアのすごさを実感した。
 
 
 
 最後に、再放送があるそうだ。
 
 近藤の実践も、放送される。(昨年、10月に放送された番組である)
 
 よかったら、見てください。
(年度末のどん詰まりの午前中、そんな時間はありませんよね…)

【再放送予定】
3月31日(月) 9:55~10:53
「わくわく授業スペシャル わたしの すきな がっこう」(再放送) 

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2008年3月11日 (火)

年度末の風景

 中学校の卒業式があった。
  
 校長先生が参加した。
 
 すばらしい卒業式だったそうだ。
 
 
 
 国際理解教室の先生とのお別れ会があった。
 
 給食時には、6年生が、校長室に来て、給食を食べていた。
 
 放課後、卒業式の立て看板を、職員が運んでいた。
 
 明日は、卒業をお祝いする会のリハーサルがある。
 
 年度末の風景である。
 
 
 
 そんな中、副校長は、来客・電話の対応や荷物の受け取り、成績処理の確認、けが人や病人の手当、文書事務などなどに追われる、ふつうの一日だった。
 
 先生方も、学習のまとめや成績処理に忙しい。
 
 教師の年度末は、あわただしいのだ。
 
 じっくり名残を惜しむといった感覚ではないのが、ふつうである。
 
 
 
 しかし…。
 
 
 
 今日は、暖かかった。
 
 春の陽気となった。
 
 放課後、施錠のため校舎を巡回していると、ふっと、春のぬくもりを感じた。
 
 
 
 この仕事について、「我に返る」のは、こういった一瞬である。
 
 「あ、俺、春の中にいる…」
 
 
 
 忙しいのが常の学校であるが、ふと、季節を感じる時間があっていい。
 
 
 
 子どもたちにも、何気なく、季節を感じてほしい。
 
 
 
 その後、サッカーを楽しんだ。
 
 久しぶりに、いい汗をかいた。
 
 
 
 いよいよ、春、本番である。  

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2008年3月10日 (月)

今日の朝会での話(2008年3月10日)

 全体、休め。
 
 これから、簡単なゲームをします。
 
 まずは、練習です。このマイクを見てください。これから、副校長先生が「はじめ!」「やめ!」という合図をします。「はじめ!」といったら、このマイクをじっと見つめてください。だまーって「やめ!」と言われるまでじーっと、見続けます。よそ見をした人は、負けです。黙って、じーっとこのマイクを見続けることができた人は、勝ちです。では、始めます。
 
 ようい、始め!(マイクを見るような声をかける)やめ!
 (子どもたち、ざわつく。ざわつきがおさまるのを待って、簡単にほめる)
 
 では、本番のゲームをします。ルールは、今のと同じです。ただし、見つめるのは、マイクではなく、この紙です。(「集中」と書いた紙を出す)
 今度は、本番だからね。この紙に、穴が開くくらい、ジーーっと、見つめるんだよ。では、いきます。
 
 ようい、始め!(しーーんという空気になる)やめ!
 (子どもたち、さらに、ざわつく)
 
 すばらしい。このゲームは、みなさんの勝ちですね。
 
 今のように、目と顔と体と心を一点に向けることを「集中する」と言います。今、みんなは「集中」したのです。すばらしい「集中」でした。
 「集中」して学習をすると、勉強がわかるようになります。かしこくなります。
 「集中」して運動をすると、体が丈夫になります。
 
 ぜひ、授業中、「集中」して先生の話を聴いてください。今、集中できたみなさんなら、きっと、できます。
 
 もうすぐ卒業式があります。
 4・5年生は、「集中」して、卒業式に参加してください。
 6年生は、さらに「集中して」りっぱに卒業証書をもらってください。
 副校長先生は、楽しみにしています。
 
 では、最後に、もう一回「集中する」練習をします。今度は、副校長先生の目を見てください。みんなが「集中」していれば、副校長先生がだれをみても、目が合うはずです。いくよ。がんばれよ。

 ようい、始め!(全体を見回す・最後にちょっと変な顔をして笑いをとる)やめ!
 
 今、笑った人は、「集中」できていた人です。副校長先生の顔を見ていた証拠です。教は、「集中」について、お話ししました。
 
 これで、副校長先生の話を終わります。全体、気をつけ。(黙礼)
 
(約7分)

 以上は、今日、近藤が、朝会で話した内容の概要である。
 
 およそ、7分弱の時間ではあるが、近藤にとっては、緊張し、しかも楽しい時間であった。
 
 この約7分弱の話の内容を考え、まとめるのに、近藤は、およそ45分ほど使っている。(じつは、きちんと測っているわけではないので、「勘」で45分と書いた)
 
 いろいろな思いがあるのだが、書き始めると、途方もなくなってしまうので、あえて「事実」の概要だけ示した。
 
 自己評価は、100点満点の50点くらいである。
 
 
 
 全校児童の前で話す機会を与えていただいた校長先生に、感謝したい。
 

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2008年3月 9日 (日)

職場について考えたこと

  「私は、『仕事』の上で、あなたの上司だ。だから、『仕事』について、指導もするし、評価もする。それが、自分の上司としての仕事だからだ。しかし、だからといって、あなたより『人間』的に偉いわけではない。『人間』としては、対等なのだ」
 
 このようなことを、ある上司がある人に言った。(と聞いたことがある)
 
 
 
 今、管理職になって、この言葉が、頭にこびりついている。
 
 近藤は、「仕事」として、職員が直面している問題に、助言することがある。
 
 近藤は、「仕事」として、職員の仕事を評価することもある。
 
 「本当に、近藤に、そのようなことをする資格があるのだろうか…」という思いがよぎる…。
 
 
 
 しかし、これは、近藤の「仕事」なのである。
 
 与えられた仕事に真摯に取り組むのは、近藤の、これまで貫いてきたスタンスだ。
 
 気が進まないことでも、真摯に、誠実に、取り組まなくてはならない。
 
 だから、職員に、指導・助言をすることもあるし、仕事ぶりを評価することもある。
 
 
 
 だからといって、近藤が、職員一人ひとりより「偉い」というわけでは、ない。
 
 いや、むしろ、本校の場合、近藤よりはるかに人格的にすばらしい先生方が、たくさんいる。
 
 「どうして、この先生は、こんなに真面目なのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、こんなに前向きなのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、こんなに周囲に配慮がいきとどくのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、いつも明朗で生き生きとしているのだろう…。」
 
 「どうして、この先生は、ここまで一生懸命なのだろう…。」
 
 枚挙にいとまがない。
 
 
 
 「仕事」は、「仕事」として、きっちり、したい。
 
 しかし、職員の「人間性」のすばらしさには、素直に敬意を表したい。
 
 そして、そのすばらしい人間性を、近藤も学ぶようにしたい。
 
 
 
 「人間」を相手にしている学校という職場は、「人間」を大事にする職場でありたい。

(何を書いているのかわからない文章になってしまった。ごめんなさい。)

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2008年3月 8日 (土)

学年末の仕事

  今日は、PTAの集まりがあり、学校に行った。(今日は、土曜日。学校は休みである)
 
 すると、次から次に、職員が学校に来る。
  
 学年末の仕事をするためだ。
 
 
 
 この時期の大きな仕事の一つに、通知票を作成する仕事がある
。(横浜では、この通知票のことを「あゆみ」と呼ぶ学校が多い)
 
 担任だった頃、通知票一枚に、何文字書くかを調べたことがある。そして、クラス全体で、およそ原稿用紙何枚分の文字を書くことになるのかを試算した。
 
 計算上、およそ原稿用紙50枚~70枚分の文字を書くことがわかり、愕然とした。
 
 
 
 先生方は、毎日授業をする。給食指導も清掃指導もする。
 
 放課後は、会議があることが多い。
 
 勤務時間の中で、クラスのことに使える時間は、一日(多くて)1時間くらいしかない。 
 それなのに、学期末のこの時期(およそ1ヶ月くらいの間)に、授業の準備をし、授業をし、子どもに真摯に向かい合いながら、原稿用紙50枚以上の文字を書くのである。

(字を書くだけではない。表現に気を付けながら、文章を考えるのである。その労力たるや莫大である)
 
 当然、勤務時間内にできるわけがない。
 
 その結果、休日に学校に来て、たまった仕事をすることになる。

(自宅で、この仕事をすることは、できない。なぜなら、通知票の仕事は個人情報なので、その基礎資料は学校で厳重に管理しているからだ)
 
 
 
 そこまで精魂込めて書く通知票である。
 
 それを見て、子どもも保護者も、次への意欲や将来への希望をもってほしいと思う。
 
 
 
 いわゆる成績の数値だけを見て、子どものすべてを価値づけるようなことは、しないようにしたい。
 
 休日にせっせと通知票を書く先生方を見て、つくづく、そう思った。

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2008年3月 7日 (金)

ふと、考えたこと

 初任の先生がいる。
 
 子どもは元気いっぱいである。
 
 先生は、必死である。
 
 先生は、すごく、がんばっている。
 
 
 
 ふと、自分の初任の頃を思い出す。
 
(本当は、思い出したくない)
 
 以前も書いたが、自分の初任時代の学級経営は、ひどかった。
 
 そのころ書いた文章を読むと、行間から、苦悩が読み取れる。
 
 
 
 20年後…。
 
 あんな未熟だった自分が(そして、今も未熟な自分が)、年下の教員を「エラソ」に教えるようになる。
 
 摩訶不思議である。
 
 
 
 ただひとつ、近藤には、実感がある。
 
 それは、「これまでかかわってきた子どもや保護者や管理職や同僚や地域の方々に支えられてきた」という実感である。
 
 だからこそ、まだ、辞めることもなく、クビになることもなく、教員の世界で生きているのである。
 
 そして、この仕事の醍醐味を味わわせてもらった。
 
 ありがたいことだ。
 
 
 
 恩返しをしなくてはならない。
 
 子どもに、保護者に、地域の方に、そしてなにより先生方に…。
 
 だから、こんな未熟な近藤でも、若い先生から問われれば応えたいし、困っていれば助けたい。
  
 
 
 がんばっている先生方を見て、ふと、そんなことを考えた。
 
 20年前の管理職も、もがいている近藤を見て、こんなことを考えていたのかもしれない…。
 

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2008年3月 6日 (木)

駆け込み寺

 どの学校にも、課題のある子どもは、いる。   
 
 当然、本校にも、いる。
 
 
 
 教師ののパーソナリティ、経験、ノウハウ、人生観と、子どものパーソナリティ、経験、学校・大人への印象が、現在の日本の価値観の中でせめぎ合うのが、教室という空間である

(うわっ!超わかりにくい言葉の羅列である。しかし、現在の近藤としては、「正しい」言葉を使って書いた文章では、ある)
 
 
 
 今日も、ある学年の3人の子どもが、職員室にやってきた。
 
 授業中に、ふざけて、どうにもならないのである。

(この「ふざける」というのは、近藤の初任からのテーマである。しかし、ここでは、深く書くことはさける)
 
 たしかに、「ふざけ」ている。
 
 様子を見ながら、対応した。そして、信念をもって、対応をした。
 
 
 
 放課後、若い先生から、相談を受けた。
 
 いつものように、「自分だったら」という視点で、話しをした。
(ちょっと、話しが長くなり、反省をした)
 
 その若い先生は、真剣に聴いてくれた。
 
 
 
 近藤は、これまでも書いてきたが、先生方から、いろいろな相談を受ける。
 
 どれも、近藤にとって、勉強になることばかりである。
 
 ただ一点、はがゆいのは、それが「伝聞情報」であることだ。
 
 いろいろなことの相談を受けても、所詮、「伝聞情報」でしかない。
 
 生の現場を見れば、もっと、もっと多くの情報を得ることができる。
 
 
 
 だから、今日、3人の子どもが、「直接」やってきたことは、ありがたかった。
 
 だから、近藤なりに、反応を見ながら、対応することができた。
 
 
 
 やはり、「伝聞情報」より、直接体験の方が、より多くのことを理解できる。
 
 「なるほど、この子どもは、きっとこういう経験をしてきたのだろう」
 
 「そうか、この子どもたちには、当面、こうすればいいのだな」…。
 
 こんなことを考えながら、対応することができた。
 
 
 
 おかげさまで、職員室(及び校長室)には、毎日、いろいろな学年の子どもが押し寄せてくる。
 
 これは、よいことである。
 
 
 
 「あなたの学校は、そんなにたいへんな子どもばかりなのか!」と、思われては、困る。
 
 教育現場とは、いつも、そういった「教師と子ども」の「人間対人間」としての、せめぎ合いの場なのである。
  
 そして、「人間対人間」なるがゆえ、当事者だけでは、どうにもならないこともある。
 
 そういった時に必要なのが、「落ち着いた自分に戻る『時間』と『空間』」なのである。  

 だから、子どもにとっても(教師のとっても)、「駆け込み寺」は、必要なのだ。
 
  
 
 学校に「駆け込み寺」があるということは、必死にがんばっている子どもたちと先生方を、全校体制で、支えていこうという風土が、ある証拠だと思う。
 
 そして、本校の場合、懐の深い校長先生のおかげで、「校長室」「職員室」が、「駆け込み寺」になっている。
 
 
 
 近藤は、駆け込んできた子どもにの状態を、しっかりと見極め、適切に応じたいと思っている。
 
 それが、近藤が、直接子どもと接する際にできることなのだ。
 
 そして、近藤に、相談してくれる職員には、できるだけ具体的に応じたいと思っている
。(これが、なかなか、難しいのだが)
 
 
 
 そして、自分がいっぱいいっぱいになったら、校長室に「駆け込もう」と思っている。

(いまだ、そういったことはない。子どもたちと、職員の方々と、そして校長先生に、感謝、感謝である…)
  
 

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2008年3月 5日 (水)

少しは、成長(?)

 名前を覚えるのが、苦手である。
 
 担任をしていた時、しょっちゅう間違えては、顰蹙(ひんしゅく)をかっていた。(しかも、担任をしていた子どもの名前を間違えるのである。教師としての資質の欠如である。わかっちゃいるが、直らない)
 
 担任の時でさえ、この有様である。
 
 副校長になった現在、「推して知るべし」である。
 
 
 
 しかし、しっかりと名前を覚えている子どももいる。
 
 多くは、指導上の課題がある子どもである。
 
 先生方が、近藤に、相談をしてくれるので、「自分が指導するならば…」という視点で一生懸命考えるうちに、覚えているのである。
 
 その子どもは、多くの場合、近藤の名前を、知らない。
 
 知っているのは、「副校長先生だ」ということだけである。
 
 
 
 11ヶ月前、これは、非常に、寂しいことであった。
 
 今は、少し、違う。
 
 近藤は、○○さんを、知っている。名前も、覚えている。
 
 ○○さんは、近藤を知らない。
 
 しかし、「○○さんが、元気に登校できる手助けを、近藤はしている」という実感がある。
 
 これだけで、近藤は、うれしいと思える(ようになってきた)。
 
 「裏方のやりがい」とでも、表現したらよいのであろうか。
 
 
 
 やはり、子どもにとってのヒーローは、先生方であってほしい。
 
 管理職は、そのバックアップに徹するべきだ。
 
 そして、管理職の資質として、「バックアップに喜びを感じることができる」ことがあるのだろう。
 
 その点、近藤は、まったくダメだった。
 
 自らヒーローになりたがる気持ちを捨てきれないでいた。 
 
 そんな近藤でも、バックアップのやりがいを感じることができるようになってきた。
 
 
 
 少しは、成長したのかもしれない。

(管理職としては成長かもしれない。しかし、教師としてはどうなのだろうか。さらに、蛇足ながら書いておく。プレーヤーになれば、ヒーローになれる実力をもつもののみが、裏方としての仕事も適切にできると、近藤は思っている。端的に表現すると、力のない先生がぶっこわしたクラスに入って1~2ヶ月くらいで立て直すことができるくらいの力量をもっていなければ、裏方の仕事はできないと思う。授業実践レベルで説得力のある方法を職員に示すことができなければ、(学校)管理職としてはダメである(と、近藤は思っている)言い過ぎかもしれないが、これは、近藤の実感である。だから、近藤の夢は、プレーイングマネージャーであることに、かわりはない)
 

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2008年3月 4日 (火)

「研究」という言葉に思う

 重点研究があった。 
 
 小学校では、学校全体で、年間を通して、研究活動に取り組むことが多い。
 
 校内研究、重点研究などと呼ばれている。
 
 
 
 今日は、次年度の取組について話し合った。
 
 話し合いを聴いて、うれしく思った。 
 
 「本校の子どもをこう育てたいから、次年度はこれに取り組みたい」というスタンスが貫かれていたからである。
 
 これは、たいへん重要な視点である。
 
 
 
 近藤は、学校の研究活動を推進していた頃、研究活動のまとめとして、先生方に、以下のような設問のアンケートをとっていた。
 
 「本校の研究活動は、本校の『子ども』にとって、よかったと思いますか」
 「本校の研究活動は、本校の『教師』にとって、よかったと思いますか」
 
 「子ども」にとってよい研究だったと評価される研究活動は、「教師」にとってもよい研究だったと評価された。
 
 つまり、「子どもの成長を感じることができる研究」は「教師にとって価値のある研究」なのである。
 
 
 
 近藤は、「小学校の研究活動など、何もならない。時間の無駄だ」という趣旨の発言を聞いたこともある。
 
 こう考える教師が存在することを、近藤は、理解できる。
 
 「子どもの成長を感じることができない研究活動」
 
 「やらされる研究活動」
 
 「いたずらに忙しくなる研究活動」…
 
 こういった研究活動の経験を積み重ねれば、どんな教師でも、「こんな研究活動は、いらない」と思うはずだ。
 
 やり方を間違えると、校内の研究活動は、このような「労多くして功少なし」の活動となってしまう。
 
 だからこそ、「本校の子どもをこう育てたいから、次年度はこれに取り組みたい」というスタンスは大切なのだ。
 
 
 
 近藤の教員時代は、いろいろな「研究」をさせてもらった。
 
 しかし、この一年は、「研究」に接する時間が、激減した。
 
 だからこそ、感じるのである。
 
 「研究」の大切さと楽しさを…。
 
 
 
 「教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」(教育公務員特例法 第二十一条)
 
 今、あらためて、この法律にある言葉をかみしめている…。 

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2008年3月 3日 (月)

教えてください

 ブログの「アクセス解析」を見た。  
 
 このブログの一日平均訪問者は、50人前後である。
(あなたは、その中の一人ですよ!)
 
 まぁ、こんな、毒にも薬にもならない副校長の戯言を、毎日50人近くの方が読んでくれると思うと、心から、ありがたいと思う。
 
 
 
 あれ?と思った。
 
 2月28日である。
 
 なぜか、100人以上の訪問者があった。
 
 こういう日は、「何かがあった」日である可能性が高い。
 
 事実、翌日は50人前後の訪問者に戻っている。
 
 
 
 気になる。
 
 2月28日に、なぜ、訪問者が増えたのか。
 
 なぜ、アクセス数が増えたのか。
 
 どこかで、このブログが話題になったとか、誰かがこのブログを紹介してくれたとか、そういうことがあったに違いない。
 
 
 
 2月28日に訪問者が増えた理由を知っている方(または、理由を予想できる方)は、ぜひ、教えてください。
 
 よろしくお願いします!
(こういうことを書けるのも、ブログのおもしろさである)
 

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2008年3月 2日 (日)

「覚悟」と「品格」

 「『品格』とは何か。『品格』とは、『覚悟』のことである。」
 
 今日、テレビを見ていたら、コメンテーターが、こんなことを言っていた。
 
 
 
 なるほど、と思った。
 
 管理職になって、自分が「クビ」になる可能性を、いつも感じている。
(このブログも、その対象になるかもしれない…)
 
 これは、教諭の時には、あまり感じなかったことだ。
 
 
 
 自分が教諭になった時、
「これは、たいへんな仕事についてしまった」
と思った。
 
 自分の行為が、人の一生を左右しかねない仕事なのである。
 
 実際に、あるまじーめな保護者から
「私には、『先生』という仕事はできません。こんなたいへんな仕事、絶対できません」
と言われ、「はっ」としたことがある。
 
 しかし、ある時期から、その感覚は、少なくなった。
 
 開き直ってしまったのだ。
 
 「一生懸命やって、だめなら、それまでだ。それが自分の力なのだ」
 
 「覚悟」を決めたということか。
 
 
 
 今の近藤も、少しずつ、そうなりつつある。
 
 「副校長の仕事を、一生懸命やる。それでだめなら、それまでだ。それが自分の力なのだ」
 
 こう思うことが、よいことかどうかは、わからない。
 
 これは、初心を忘れ、緊張感がなくなったということなのかもしれない。
 
 しかし、適度な緊張感と、適度な開き直り(言葉が悪ければ、「覚悟」)がないと、この仕事は続けることが難しいというのは、近藤の実感である。
 
 
 
 「覚悟」とは、「人のせい、運のせいにしない」ということだ。
 
 今の自分を振り返る。
 
 「○○が、△△だったらなあ」と思うことがある。
 
 だめである。
 
 運のせいにしている。
 
 人のせいにしている。
 
 教師の力量を高めるには、自分の力のなさを「子どものせいにしない」「保護者のせいにしない」「学校のせいにしない」「教科書のせいにしない」…、つまり「他のせいにしない」ことが大切であるといわれてきた。
 
 管理職も、同じである。
 
 いや、どの職業でも、力量を高めようとしたら、同じ事かもしれない。
 
 
 
 「運のせい、人のせいにしない」人は、「覚悟」のある人だ。
 
 「覚悟」のある人は、「品格」のある人だろう。
 
 
 
 「品格」をもちたいと願うが…、道の険しさを、実感する…。

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2008年3月 1日 (土)

春の光

 本日、従兄弟の結婚式があった。
 
 母と兄が参加した。
 
 近藤は、父と留守番である。
(正しく書くと、父の介護って感じかな)
 
 学校には仕事が山ほどあるが、今日と明日は、お休みである
。(土・日に休むのは当たり前だが…)
 
 今日は、一日中、こたつで横になっている父の隣にいた。
(目を離すと、外に出ることもあるので、離れないようにしていた)
 
 普段は、母と兄が父と一緒にいてくれている。
 
 
 
 夕刻、母と兄が帰宅した。
 
 よい結婚式だったそうだ。
 
 ほとんど会うこともなくなった従兄弟だが、幸せになってほしいと思う。
 
 今日は、まさに、「お日柄もよく」という気候であった。 
 
 春の光も、祝福してくれたのだろう。
 
 
 
 そういえば、もう三月である。
 
 近藤の新米副校長一年目も、終わろうとしている。
 
 あと一ヶ月だが、もう一度初心に返って、がんばろうと思う。
 
 春の光を浴びてはじめて副校長として着任した、一年前を思い出しながら…。
 

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