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2008年2月29日 (金)

具体的な方法の背景

 臨任の先生から、相談を受ける。
 
 けんかへの対処法である。
 
 子どものけんかは、大切な教育の場面である。
 
 当然、指導の仕方がある。
 
 近藤は、「自分だったらこうする」という方法を示し、その理由を簡単に話す。
 
 
 
 初任の先生から、相談を受ける。
 
 課題のある子どもへの指導についてである。
 
 これにも、「自分だったら、こう考える」ということを伝え、そのわけを話す。 
 
 
 
 放課後、若い先生から、問われる。
 
 「叱っているときに、笑う子どもって、どう指導すればいいんですかね?」
 
 甚だ難しい質問だったので、 
 「ごめん。俺の宿題にさせてもらっていい?」
と応えた。
 
 
 
 若い先生方は、「とりあえず、どうすればいいのか」を、求めている。
 
 具体的な方法を教えてもらいたいのだ。
 
 
 
 だから、まず、近藤は、「自分だったら」という方法を伝える。
 
 そして、その理由を話す。
 
 実は、具体的な教育方法には、それなりの「理由」「根拠」「理論」「考え方」「思想」が背景にある。
 
 「なぜ、けんかを指導するときに、事実確認をするのか。」
 
 「なぜ、水掛け論になったときに、そのことについては深入りしないで保留にするのか。」
 
 それぞれに「理由」があり、大げさに言えば「思想」がある。
 
 
 
 実は、「方法」は、はじめから存在するわけではなく、「思想」から生み出される智恵なのだ。
 
 だから、方法を思いつかない場合がある。
 
 そのときは、いろいろ、考える。
 
 うんと、考える。
 
 そして、「こうしてみたらよいのでは…」という「方法」を生み出す。

 「方法」は「思想」の表現なのだ。
 
 すぐれた「方法」は、すぐれた「思想」の生み出したものである。
 
 若い先生には「方法」を学ぶことで、背景にある「思想」「考え方」「理論」を学んでほしいと思っている。
 
 
 
 さて、近藤も、じっくり宿題を考えたい。
 
 そして、若い先生が納得できるような知恵を出し、方法を編み出したい。

(かなり難問ではあるが…)

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2008年2月28日 (木)

「わくわく」しない指導

近藤「一回だけいいます。口を閉じて、(課題を)やりましょう。」
 
A児「口を閉じてだぞ!」(A児は、みんなに注意を促しているらしい)
 
近藤「Aさん。ここに来なさい。」
 
B児「Aが、おこられるー。」
 
近藤「Bさんも、来なさい。」
 
C児「こえぇ。(「副校長は、こわい」といいたかったらしい)」
 
近藤「Cさん。来なさい。」
 
(その後、他の子どもは、「しーん」として課題に取り組んだ)
 
 
 
 近藤は、3人を前にして、言う。
 
近藤「さっき、副校長先生が言ったことわかる人いますか。」
 
A児「静かにやりなさいといいました。」
 
近藤「同じ(意味の)ことだけど、違う言い方をしました。」
 
B児「しゃべらないといいました。」
 
近藤「それも、違います。先生は、『口を閉じて』といいました。『口を閉じて』とは、唇と唇を離さないことです。」
 
(子どもたち、しゃべらなくなる)

近藤「そうです。じょうずだね。そのまま、机に戻って、(課題を)やりましょう。」
 
 
 
 今日、あるクラスに補欠に入った
。(「補欠に入る」とは、担当の先生が出張や病欠でいないとき、代わりに教室に行くことである)
 
 冒頭に書いたのは、そのときの、子どもとのやりとりである。
  
 時間にして、5分弱だと思う。
 
 近藤が、最初に教室に入ったときは、わいわい賑やかだった。
  
 静かに学習する雰囲気ではなかった。
 
 そこで、冒頭のようなやりとりをした。
 
 一気に静寂が戻った。 
 
 その後、静かに、学習していた。
 
 
 
 ここで、近藤が指導したのは、
「言葉を大切にすること」
である。
 
 「口を閉じて」という言葉の意味、状態を、教えた。
 
 そして、
「先生が『口を閉じて』と言ったら、『口を閉じ』なくてはならない。」
ということも、教えた。
 
 些細な、些細な指導だが、教室の空気は、一気に変わる。
 
 「緩んだ」空気から、「張った」空気になった。
 
 この、ほどよい緊張感というのは、学びの上で、非常に大切だと、近藤は思っている。(子どもだけでない。大人にとってもである。)
 
 
 
 こういった指導は、授業参観や研究授業で、あまり見る機会がない。
 
 しかし、日常的で、大切な指導場面である。
 
 若い先生にとっては、参考になることもあるかもしれないと思い、敢えてここに書いた

(近藤は、担任をもっているときけんかの指導や問題行動をした児童への指導を、わざわざ若い先生に来てもらって、見てもらったこともある。教育実習生にも、同じように見てもらったこともある)
 
 自分が担任をしていた子どもには、冗談半分で、こう言っていた。
 
 「いつもいつも『わくわく授業』してるわけじゃないだぞ。『わくわくしない授業』だって、大切な授業がいくらでもあるんだ!」
 
 この思いは、今も、変わっていない。
 
 
 
 今日は、近藤の「わくわくしない指導」の記録でした。

(ちょっと、夢のない話かな?しかし、教育の現場を知っている方には理解していただけると思うのだが…)
 

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2008年2月27日 (水)

授業時間

 小学校の場合、一時間は45分である。
 
 今、「30年ぶり授業時間数増」(2008年2月16日神奈川新聞1面)などと報道されているが、「授業時間」とは、60分でなく45分である。 
 
 一時間の授業は、45分のはずである。
 
 しかし、45分授業をできない場合が、ある。
 
 
 
 今日、本校では、航空写真撮影があった。
 
 本校の中休みは、10:15~10:35である。
 
 授業時間を確保するために、撮影時間を10:27と設定した。
 
 (これは、撮影していただく業者の配慮であると、思っていた)
 
 
 
 今日は、強風が吹いた。
 
 「航空写真の撮影は、できないかな」と思った。
 
 早朝、電話がある。
 
 撮影業者からである。
 
 「予定通り進めるつもりだが、撮影時間などを、現在調整中である。8:30頃、再度電話をする」
とのことだった。
 
 「え?」と、思った。
 
 近藤の選択肢には、「やる」か「やらない」かしか、ない。
 
 「撮影時間などを調整」することなど、あり得ないのである。
 
 しかし、こういう写真をたくさん撮っている業者なので、そんなに心配しないでいた。
 
 
 
 8:30、電話がある。
 
 「風の影響で、10:10の撮影となります。」
 
 平気な顔で、言うのである。(すみません。間違えました。電話でのやりとりなので、「平気な声で」と書くのが正しいです)
 
 当然、近藤は、言う。
 
 「10:10は、まだ、授業中です。10:10は、難しいです。10:15分から休み時間となりますので、そこから、できるだけ早く、校庭で準備します」
 
 「できるだけ、早く、お願いします。」
 
 
 
 10:05頃、職員室の電話が鳴る。
 
 「もう、飛行機は上空にいます。どうしたのですか!!」
 
 
 
 10:27が10:10になる。
 
 たった、17分の違いである。
 
 たいしたことはないと考えるのが、一般的な感覚である。
 
 だから、業者の感覚は、理解できる。
 
 
 
 しかし、近藤は、「授業時間を使うことの重大さ」を、常々、感じている。
 
 だから、できるだけ、先生方の授業時間は、大切に使ってほしいと思っている。
 
 「休み時間である10:27分撮影」が、「授業時間である10:10撮影」になるということは、近藤にとっては(そして真剣に授業をしている先生方には)、たいへんなことなのだ。
 
 貴重な授業時間を削らなくてはならない。
 
 朝、天候を見て、「17分くらい、撮影時間をずらそうか」という感覚でずらしてもらっては、困るのだ。

 
 
 しかし、近藤は、身を切る思いで、授業中に放送をかけた。
 
 「授業中、申し訳ありません。準備ができた学級から、移動をお願いします。…」
 
 
 
 あぁ、何という、すばらしき先生方と子どもたちであろう。
 
 10:20には、すべての学級が並んで撮影を終了した。
(10:15分に授業が終わり、10:20に整列完了することは、あり得ない。なぜならば、避難訓練の時でさえ、全員を校庭で確認するのに5分30秒はかかるのだ。つまり、多くの先生が、授業を削って、近藤の放送に応えてくれたのである…)
 
 
 
 学力低下への対応として、授業時間増が語られることが多い。
 
 しかし、語られるべきは、その時間の使われ方ではないか。
 
 
 
 授業時間の使い方ということについて、改めて考えさせられる出来事だった。
 

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2008年2月26日 (火)

横浜版学習指導要領(総則)等の説明会に参加して

 横浜版学習指導要領(総則)等の説明会に参加した。
 
 限られた時間で多くの説明があったので、きびしかった。
 
 しかし、事務局の方のご苦労を思うと、「一生懸命聴かなければ…」という気持ちになった。
 
 
 
 考えることは、いろいろあるが、「いよいよ始まった」というのが、近藤の感想である。
 
 
 
 このブログにも、1年以上前から、「教育の地殻変動」(こんな表現じゃなかったかな?)が、いつかは教育現場に押し寄せてくることを、書いた。
 
 それが、いよいよやってくるのである。
 
 
 
 われわれ現場にいる者は、とにかく、子どもがよくなること(結果として、保護者の信頼を得ること)に、ありとあらゆる資源(人、物、金、情報…)を活用しなくてはならない。
 
 おかげさまで、横浜版学習指導要領は、サポートツールなのだそうである。
 
 おおいにサポートしてもらいたい。
 
 おおいにサポートしてもらって、よい教育活動を実現していきたい。
 
 ここがぶれると、事務局や学校現場の努力が徒労となる。
 
 
 
 なんのための、横浜版学習指導要領か。
 
 この根本を見失わないようにしたい。
 
 
(やっちった。悪い癖だ。大言壮語、抽象論理、意味不明な文章だ。いつまでたっても成長しない自分に嫌気がさす…。)

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2008年2月25日 (月)

新一年生の保護者説明会

 新一年生の保護者説明会があった。
 
 入学前の心構えや準備、入学式当日のことや、登下校のことなど、事細かに説明があった。
 
 
 
 それを聞いて、あらためて、「学校に入学させるって、たいへんなことだ」と思った。 
 
 
 「入学式には、この書類とこの書類とこの書類をもってきてください。」
 
 「書き損じのないように、注意してください。」
 
 「返事をできるようにしてください。」
 
 「体操服を準備してください。胸に名前を書いてください。」
 
 「持ち物には、すべて記名をしてください。鉛筆一本にいたるまで、すべて記名をお願いします。」
 
 「○○銀行から、学校徴収金の引き落としがあるので、口座をつくり、所定の用紙に必要事項を記入してください。印鑑は、口座をつくった時のものを押印してください。」
 
 「通学路の番号を名簿に記入してください。」
 
 「防災頭巾は、このように、椅子の背もたれに付けることができるようにしておいてください。」
 
 「4月は、できるだけむかえに来て、子どもたちと一緒に帰るようにしてください。一緒に帰ることができる日を、ここに書いてください」
 
 「あれしてください。」
 
 「これしてください。」…。
 
 さすがに、近藤は、話を聞いているだけで、「おなかいっぱい」という感じになった。
 
 
 
 しかし、これらは、どれも大切なことである。
 
 子どもを教育するというのは、「学校のサービス」では、ないのだ。
 
 教育は、教育に携わる者と、保護者との共同作業である。
 
 だから、当然、学校でできないことは、保護者の方にお願いする。
 
 教育基本法第十条に、「家庭教育」が新設された意図は、ここにある。
 
 とくに、スタートが大切である。
  
 だから、一年生の保護者には、細かいことまで、お願いすることになる。
 
 
 
 ありがたいことに、どの説明にも、保護者は真剣に耳を傾けていた。
 
 すばらしいと、思った。
 
 保護者の、「子どものために」という思いが、伝わってきた。
 
 
 
 この熱い思いに、学校は、応えなければならない。
 
 
 
 気持ちを新たにした、新一年生の保護者説明会であった。

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2008年2月24日 (日)

年度末の仕事をしながら考えたこと

 プロ野球の球団がキャンプをしている。
 
 優勝をめざして、個人やチームの力を高めている。
 
 
 
 プロの選手は、シーズンが終了すると、自分なりに仕事を振り返る。
 
 自分の今シーズンのプレーはどうであったか。
 
 次年度は、どんなことを目標にするのか。
 
 自分なりに、振り返る。
 
 そして、明確な目標を持って、キャンプインする。
 
 すべては、チームの「優勝」のためである。
 
 
 
 学校も、同じである。
 
 授業研究や校内の研修などを通して、個人やチームの力を高めている。
 
 そして、シーズン終了の頃(つまり年度末)、振り返る。
 
 自分の今シーズン(今年度)のプレー(教育活動や学校運営などの仕事ぶり)はどうであったか。
 
 次年度は、どんなことを目標にするのか。
 
 自分なりに、振り返る。
 
 すべては、「優勝」(子どものよりよい成長)のためである。
 
 
 
 しっかりと、自分の仕事のまとめをし、次に生かしていきたい。
 
 それが、自分のためでもあり、チーム(学校)のためでもある。
 
 
 
 学校で、年度末の仕事をしながら、ふと、そんなことを、考えていた。

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2008年2月23日 (土)

春風

 朝、春のにおいがした。
 
 
 
 午前、学校開放運営委員会があった。
 
 図書室に、おだやかな陽射しがさしこんでいた。
 
 
 
 午後、職員室のエアコンの交換工事のため、校長室で仕事をしていた。
 
 猛烈な風が吹いた。
 
 でも、ぬるい風だった。
 
 
 
 少しずつ、季節は、春に向かっている。
 
 
 
 この学校に、はじめてきたのも、春だった。
 
 もうすぐ、次の春がやってくる…。
 
 
 
 不思議な感覚だ。
 
 
 
 時の流れの不思議さを、春風に感じた。

(その後のニュースで、「春一番」だったことを、知った。
 「やっぱり…」と思った)
 

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2008年2月22日 (金)

だれか近藤に指導してくれませんか?

 年度末である。
 
 先生方は、つねに、多忙である。
 
 なんとか、先生方の負担を軽くしたいと思う。
 
 それは、「楽をさせる」という意味ではない。
 
 「子どもの指導に専念してほしい」ということである。
 
 
 
 この一週間、ほとんど毎日、先生方は、学力調査の処理をしていた。
 
 時間にして、10時間以上である。
 
 その間、教材研究はできない。
 
 ノートも見ることができない。
 
 学年の相談もできない。
 
 ただただ、テストの結果をパソコンに入力したり、入力に間違いがないか確認したりする作業に追われていた。
 
 
 
 近藤は、その作業を無駄と思っているわけではない。
 
 学力調査の結果を出すことは、有益だ。
 
 子どもを指導するうえで、客観的なデータになる。
 
 自分の指導の振り返りの資料にもなる。
 
 学校の傾向も把握できる。
 
 いいことだらけである。
 
 
 
 しかし、と思うのである。
 
 「教育」という仕事は、「大切だから…」という理由で、無限大に仕事が膨張する性格をもっている(というのが近藤の実感である)。
 
 だが、われわれのもっている時間は有限である。
 
 「費用対効果」を考え、優先順位を付けて仕事をすることが、とても大切であると、以前から考えてきた。
 
 さて、そういう視点から見て、「学力調査の処理」という仕事は、優先順位が高いのか?
 
 職員の貴重な勤務時間を10時間以上費やすコストというのは、横浜市全体で、いったいどれくらいになるのだろう。
 
 つまり、その間にできるはずの「教材研究」等の時間が減るわけだから、その分、横浜の教育の質が低下しているはずである。
 
 つまり、学力調査の処理という仕事の代償として、直接子どもの指導にかかわる時間を削っているのである。
 
 これって、大きな損失ではないのか?
 
 それだったら、全国学力・学習状況調査のように、民間の会社に外注した方が、「横浜の子どもの教育のため」には、いいのではないか?
 
 
 
 こんなことを考える近藤は、管理職として、失格なのだろうか?
 
 だれか、近藤に、
「お前の考えは、ダメだ!なぜなら…」
と、指導してほしい。
 
 本当に指導してほしい。
 
 
 
 だれか、近藤をすっきりさせてくれ!
 

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2008年2月21日 (木)

学校納入金を通じて、考えたこと

 先日、「PTA運営委員会」という会があった。
 
 PTAの役員さんたちとの会合である。
 
 そこで、学校納入金(学校に納めるお金)の徴収状況についての質問があった。
 
 
 
 「本校は、平成18年度は、全員徴収しています。」
と答えた。
 
 若干数、年度を越えて納めた方もいらっしゃるようである。
 
 しかし、平成18年度「払っていない」方は、いない。
 
 「給食費の未納問題」等の新聞報道を読んだり、学校だよりでのお願いを読んで、心配になったらしい。
 
 さもありなん、と思う。
 
 
 
 さて、本校では、学校に納めるお金(給食費とかPTA会費とか教材費とか…)は、「ゆうちょ銀行」(旧郵便貯金)の引き落としになっている。
 
 毎月、10日と20日が引き落とし日である。(会計の都合で、2月が年度の最終引き落とし月である。つまり、昨日が、平成19年度の最終引き落とし日であった)
 
 昨日までに、引き落とせなかった場合は、現金で集めることとなる。
 
 
 
 ここからが、近藤の、腕の見せ所である。
 
 本年度は、「年度内完全徴収」をめざして、努力するつもりである。(当たり前のことだ。しかし、当たり前のことを、当たり前にすることは、大切なことだ)
 
 
 
 ご家庭によって、いろいろな事情がある。
 
 さまざまな状況がある。
 
 それが、「公立学校」なのである。
 
 丁寧に、根気強く、理解を得ながら、しかし毅然と、努力していきたい。
 
 
 
 「生活保護」という制度がある。
 
 「就学援助」という制度がある。
 
 それぞれの制度は、非常に、すぐれた制度である。
 
 さらに、安全振興会では、無利子での「学校納入金」への貸付もしている。
 
 制度は、たくさん、ある。
 
 
 
 しかし、なのである。
 
 それらの制度ですくいきれない事情をおもちの方も、実際にいるのである。
 
 それを知り、対応できるのは、「身近にいる人」なのだ。
 
 
 
 個別具体的なことは書けないが、いろいろな方がいるという前提を、世の中の方々には知ってほしいと思い、今日のブログを書いた。
 
 これは、いろいろな子どもに直面して、それに対応している公立学校の宿命なのだと思う。
 
 制度ができるまで、待ってはいられないのだ。
 
 
 
 教育って、難しいね。
 

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2008年2月20日 (水)

話しかけずらい雰囲気

 今日も、いろいろな先生から、相談を受けた。
 
 その一つひとつは、書かない。(書けない…)
 
 今日、書きたいのは、それらの相談を受けたことではない。
 
 
 
 相談に来てくれる先生方は、みな、一様に
「副校長先生、(話しても)いいですか?」 
という感じで、近藤に話しかける。
 
 
 
 これを、近藤は、反省する。
 
 これは、いつも「話しかけずらい雰囲気」を醸し出してしまっている証拠である。
 
 振り返ると、近藤は、この一年、常に、職員室で「何やら忙しそうに」していた。
 
 先生方にとって見れば、なんで、そんなに忙しそうにしているかは、わからない。
 
 いろいろと相談したり、報告したりしたいことがあっても、忙しそうにしている副校長には、話ずらい。
 
 これでは、だめである。
 
 もっと、「いつでも、暇だよ。用事がある時は、いつでも話しかけて」という感じで、職員室にいなければならない。(ということに、最近、気づいた。これも、情けない…)
 
 これは、保護者の方や地域の方にとっても、同じである。
 
 「いつでも、職員室に行けば、話しやすい副校長先生がいる」…。
 
 理想である。
 
 そうありたい。
 
 しかし、今の近藤は、まったく、ダメである。
 
 後1ヶ月で、近藤の「初任副校長」も終わろうとしている。
 
 ぜひとも、「普通に副校長の仕事ができるようになったら」
「いつでも、職員室に行けば、話しやすい副校長先生がいる」ということを、めざしたい。
 
 
 
 未だ、「普通に副校長の仕事のできない」無力な近藤の、身近な目標である。

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2008年2月19日 (火)

一ヶ月後

 一ヶ月後は、卒業式である。
 
 
 
 横浜では、3月20日前後に卒業式をする学校が多い。
 
 本校は、3月19日に卒業式がある。
 
 つまり、一ヶ月後である。
 
 
 
 卒業式は、学校で、一番「大切な」行事だと、近藤は思っている。(一般的に、そう思っている教師は、多いと思う)
 
 費やす時間や労力を考えれば、一般的には「運動会」や「学習発表会(各学校での日頃の学習を地域や保護者に公開する行事。○○フェスティバルとか○○まつりなどと呼ぶこともある)」が一番「大きな」行事であろう。
 
 しかし、学校としては、やはり、卒業式である。
 
 
 
 6年間、お預かりした子どもの節目である。
 
 人生において、節目は、大切だ。
 
 子どもの6年間とは、大人のそれとは、まったく違う6年間である。
 
 大きな節目である。
 
 それが、卒業式なのだ。
 
 
 
 6年間の教育の結果の善し悪しの判断は、保護者及び成長した子どもが、すればよい。
 
 われわれは、その判断に謙虚であらねばならない。
 
 しかし、節目をむかえたことそのものに、われわれは、祝意を示さなければならない
。(わかりにくい文章だなぁ。おじさんくさくもあるし…。でも、他の表現ができないので、あえて、そのまま、ブログに書く)
 
 
 
 「保護者や先生はもちろんのこと、友達や後輩、そして地域の方々に見つめられて、節目をむかえることができる体験」を感じることができる行事。
 
 それが、卒業証書授与式であり、それが、卒業式の大きな意義であると、近藤は思っている。
 
 卒業式に向けて、やらなければならないことは、山ほどある。
 
 よい節目をむかえることができるよう、自分のできることに、真摯に取り組みたい。

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2008年2月18日 (月)

恩返し

初任者の授業研があった。
 
 教科は、「体育」である。
 
 事務の先生に、職員室をお願いして、授業を見に行った。
 
 よい授業であった。
 
 
 
 先週も、もう一人の初任者の授業研があった。
 
 その授業は、来校者があり、見に行くことができなかった。
 
 誠に、申し訳ないと思った。
 
 協議会にも、出ることができなかった。
 
 情けない…。
 
 
 
 今日の協議会の最後に、初任研担当の先生が、次のようなことを言った。
 
 「二人とも、初任研でしっかり力をつけ、一年間クラスをまとめることができたのは、すばらしいことだ」
 
 まったく、同感である。
 
 
 
 あまり書きたくないが、書く。
 
 近藤の、初任の時の、学級経営など、「非道かった」。
 
 「非道かった」(ひどかった)と、読んでほしい。
 
 それくらい、ひどかった。
 
 個人的には、思い出したくないくらい、ひどかった。
 
 
 
 それに比べれば、本校の初任、および若手教員は、ずば抜けて、すばらしい。これは、近藤の、本心である。
 
 
 
 だが。
 
 この仕事に、「完全」は、ないのである。
 
 「完全」に「よい」も、「完全」に「悪い」も、ない。
 
 だから、若い先生方には、「よりよい教育」をめざしてほしい。
 
 
 
 今日、近藤は、協議会で、授業をした初任の先生に、
「初任研の授業としては、十分満足です。しかし、さらなるレベルアップのために、あえて、よいことは言いません。『こうしたらよい』ということだけ、言います」
と言い、いくつかのアドバイスをした。
 
 研究会が終わった後、体育主任の先生と、さらに意見交換をしていた。
 
 これである。
 
 頭から、アドレナリンが出ているのである。
 
 こういう体験を、多くの、若い先生にしてもらいたい。
 
 
 
 「授業研」というと、「苦痛」に感じる教師がいるようだ。
 
 それは、「本当の授業研」を体験していないからだ。
 
 「授業研」は、「つら楽しい」のである。
 
 非日常であるがために、「つらい」体験ではあるかもしれないが、だからこそ「楽しい」体験になる。
 
 
 
 日本の教師の優秀さの一因として、「授業研究」(lesson sutudy)がアメリカで注目されている。
 
 日本の教師は、子どもの成長への喜びを基盤とした「つら楽しい」体験を通じて、質の高い教育を保障してきたのだと、近藤は、思っている。
 
 このことは、他業種の方には、わかりにくいことかもしれない。
 
 「授業研究」をしても、「授業研究」をしなくても、給料に大きな変化はないからだ。
 
 がんばったからといって、金銭的な見返りは、ほとんどなかったのが、この業界であった。(今は、少しずつ、変わろうとしている。それが、よいことかどうかは、わからない)
 
 これまで、日本の教師は、一学級40人という、世界にまれに見る「悪条件」の中で、すばらしい成果をあげてきたのである。
 
 
 
 若い先生方に、そんな、「日本の教師よさ」を学んでほしいと思っている。
 
 それが、これまで「日本の教師として育ててもらってきたこと」の恩返しだと、近藤は、思っている。
  

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2008年2月17日 (日)

小さな積み重ね

 本を読む。
 
 「これ!」と思う文章があると、付箋を貼る。
 
 だから、近藤の問題意識に合致した本に出会うと、その本は、付箋だらけになる。
 
 
 
 昨日、横山浩之氏(山形大学医学部看護学科准教授)の著作を数冊読んだ。
 
 この方は、発達障害の専門家であり、教育現場と連携して、教室における発達障害のある子どもの指導の在り方について、貴重な提言をされている。
 
 本は、付箋だらけになった。
 
 たいへん勉強になった。
 
 
 
 近藤は、この仕事(副校長)について、課題のある子どもに接することが、担任の頃よりも、多くなっていると感じている。
 
 行動面に課題がある子ども、学習面に課題がある子ども、社会性に課題がある子ども、家庭環境に課題がある子ども…、それぞれ状況は異なる。
 
 横山氏の著作には、それらの子どもへの対応のヒントが、たくさん書かれていた。
 
 うれしくなった。
 
 
 
 教師が力量を高めるためには、研修が必要だ。
 
 しかし、この仕事(副校長)は、「教師としての力量形成のための研修」に割くことができる時間が、とても限られている。
(事務量が多いことは文部科学省の調査で明らかになっている。さらに、近藤の場合、まずは「管理職としての研修」が、当面必要な研修なので、そちらに時間を多くとらざるを得ない。さらに、副校長は学校の「番頭」なので、研究会に参加する時間も多くとることが難しい。)
 
 「本を読む」ということは、近藤にとって、貴重な「教師としての力量形成の機会」なのである。
 
 
 
 本を読んで得た情報を、さっそく、明日からの教育に生かしたい。
 
 この小さな積み重ねが、10年後、20年後、大きな「力量形成の差」となることを、近藤は、実感している。
 

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2008年2月16日 (土)

でた

 でた。
 
 ついに、でた。
 
 学習指導要領の改定案が、でた。
 
 
 
 「小中授業 40年ぶり増」(朝日新聞2008年2月16日)
 
 「『ゆとり』路線転換 30年ぶり授業時間数増(神奈川新聞2008年2月16日)」
 
 いずれも、一面トップの記事の見出しである。
(あれ?なんで「40年ぶり」と「30年ぶり」と年数が違ってんだ??)
 
 
 
 さっそく、文部科学省のホームページから「小学校学習指導要領案」をダウンロードし、印刷した。
 
 近藤は、仕事柄、この学習指導要領というものに、強い関心をもっている。
 
 思い入れも、ある。
 
 これから、じっくりと指導要領案を読もうと思う。
 
 
 
 前回の改訂が、平成10年だった。
 
 横浜ベイスターズが優勝し、神奈川国体があり、関東学院大学が大学ラグビーを制覇し、箱根駅伝で神奈川大学が優勝し、横浜高校が松坂投手を擁して春夏連覇をした、「神奈川スポーツ界」にとって、すごい年だった。(と、記憶している)
 
 その時の教え子(小学5年生)は、今年成人式を迎えた。
 
 あれから10年…。
 
 10年など、あっという間である。
 
 しかし、その10年で、子どもは劇的に成長する。
 
 
 
 次の10年を見据えて、しっかりと、現場に即した教育課程編成と実践に取り組もうと思う。 

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2008年2月15日 (金)

「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」

 横浜市市学習状況調査が、あった。
 
 近藤は、はじめと最後に全校に放送を流す役を仰せつかっている。
 
 難しい仕事ではないが、大切な仕事である。
 
 ストップウオッチ片手に、放送を流した。
 
 
 
 はじめの放送を流した後に、個別に事情のある子どもが登校した。
 
 昇降口で座り込んでいる。
 
 校長先生が対応してくださった。
 
 しかし、昇降口から動こうとしない。
 
 バトンタッチして、近藤が、対応した。
 
 担任も、やってきた。
 
 さすがである。
 
 担任の先生は、持ち札が多い。
 
 手を代え、品を代え、なんとか、校長室に連れてきた。
 
 
 
 やばい!!
 
 市学習状況調査の終了の放送を流す時間が、近づいている!!
 
 
 
 すぐに、放送室に行き、何事もなかったように、終了の放送を、流した。 
 
 危機一髪だった。
 
 
 
 副校長になって、11ヶ月が終わろうとしている。
 
 早いものだ。
 
 最近、「謙虚さ」と「緊張感」がなくなっている自分に、おどろく。
 
 前述の出来事は、自分に「緊張感」がなくなっている証左である。
 
 もし、4月だったら、こういうことは、あり得ないことだ。(と思った)
 
 
 
 「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」がなくなってしまったら、成長は、ない。
 
 だめである。
 
 今の「副校長、近藤」は、徹底的に、だめである。
 
 
 
 あと一月で、「近藤の副校長一年目」が終わってしまう。
 
 もう一度、「謙虚さ」と「(ほどよい)緊張感」を自覚したい。
 

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2008年2月14日 (木)

「結果」に、媚を売りたくない

 不思議である。
 
 アメリカ大統領選挙の予備選なるもので、オバマ候補が猛追しているらしい。
 
 ヒラリー・クリントン候補は、予想以上の苦戦だそうである。
 
 二人とも、「大統領になるために」、いろいろな工夫をしていると、テレビが報じていた。
 
 
 
 近藤の感覚として、これは、違和感がある。不思議である。
 
 自分の考えや主義主張をして、「結果として」大統領になるから、その後も安定した成果を得ることができる。
 
 「結果」に媚を売ったら、ダメだと、近藤は思う。
 
  
 
 スポーツ選手で、「結果」を求めて失敗した選手は、いくらでもいる(と思う。近藤は、伝聞ではあるが、そういう事実を多く知っている)。
 
 だから、スポーツ選手は、「今の自分の力を出すだけです。楽しんでやりたいです。(結果は後からついてくるものです)」というニュアンスのコメントを、表現することが多いのだ。
 
 
 
 自分の、本当に思っていることを表現し、多くの人々がそれを支持するからこそ、民主主義は、機能している(と思う)。
 
 
 
 いや。
 
 大統領選挙を考える前に、近藤は、我が校のことを考えなくては、ならない。
 
 
 
 今の目の前の子どもたちを良くするために、近藤は、日々、いろいろ考えることがある。
 
 必要な場合は、それを、アピールしなくてはならない。
 
 すべては、(ちょっと、かっこつけて書けば)「教師としての良心」からの判断である。
 
 「結果」に、媚を売りたくない。
 
 つまり、「読んだ人に、○○と思ってもらいたいから、□□を書く」ということは、したくない。
 
 自分の考えたことを、素直に書きたい。
 
 そして、読む人、聴く人に(ちょっとだけ)価値ある情報を伝えたい。
 
 もちろん、子どものためなら、(もしかしたら)誇張した表現や、無理した書き方をするかもしれない。
 
 それは、この仕事の、性である。
 
 自省したいが、自信は、ない。
 
 
 
 近藤の情報を得て、
「こいつは、とんでもないやつだ」
と思われても仕方がない。
 
「こいつは、知恵のないやつだ」
と思われても仕方がない。(事実、そういう側面はある…)
 
 でも、本心を、誠意をもって、語りたい。
 
 それが、この仕事の、最低限の心構えだと、近藤は信じているのだが。
 
 
 
 それすらも、確信できない最近の自分に、嫌気がさしている。
 

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2008年2月13日 (水)

アピールしたいこと

 2008年2月7日(木)、外部の療育センターのソーシャルワーカーの方を講師に、校内で「特別支援教育研修会」があった。
 
 その話を聴いて、
「本校の特別に支援の必要な子どもに対する指導の考え方や指導体制・指導方法は、おおむね適切だ」
という感想をもった。
 
 講師の先生も、「先生方の対応が、淡々として、良い」とおっしゃっていた。
 
 さらに、
「わたしたちは、多くの学校を訪問させていただいているが、この学校は、全体的に落ち着いていると感じた。」
とも、おっしゃっていた。
 
 これも、近藤の印象と合致している。
 
 
 
 これは、本校の落ち着いた地域性、保護者の教育力の高さが土台にあることは、間違いない。
 
 そして、学校の教育、先生方の指導が、おおむね適切であるということだ。
 
 手前みその自画自賛と思われるかもしれないので、それを証明する一つの事実を書く。
 
 359名在籍している本校で、2月12日現在、不登校は、0である。
 
 これは、すごい事実である。 
(近藤は、不登校を「悪」とは思わない。子どもにとって、その方が良い場合もある。しかし、できうれば、毎日、学校に通ってほしいという思いは、もっている。これは、多くの保護者、教師に共通する感覚だと思う)
 
 もちろん、「毎日がバラ色の学校生活」ではない。
 
 けんか、いたずら、けが、悪口…、毎日、いろいろなことが起こる。
 
 それでも、子どもは、学校に来ている。
 
 「うれしいこと」「嫌なこと」など、学校で「さまざまな経験」をすることによって、子どもは、育っている。
 
 これは、きわめて、健全な成長過程だと、近藤は思う。
 
 「不登校0」という「小さな事実」は、先生方の、毎日の血のにじむような努力の上に成り立つ、「すごい事実」なのだ。
 
 
 
 明日と明後日、横浜市学力状況調査(学力テスト)が、ある。
 
 テストの結果には、「教育の成果」を測るバロメーターとして、保護者の関心も高い。
 
 しかし、前述のような「教育の成果」は、残念ながら、テストの点数には現れない。
 
 だからこそ、アピールしたいのだ。
 
 学校では、「学力」をつけることと同じくらい、「集団生活に適応するような力」を育てることに努力していることを…。
 
 そして、それこそが、「塾」とは違う、公立学校の使命なのだと、近藤は思っている。
 
 
 
 もちろん、学校としての課題も多い。
 
 だからこそ、2月6日(水)には「学校運営協議会」(横浜市でいう「まち懇」のこと。いわゆるコミュニティスクールとしての「学校運営協議会」ではありません)で、地域の方からご意見をいただいたり、保護者アンケートをとったりしながら、よりよい教育に向けての取組を進めている。
 
 そのためにも、今、「できていること」と「できていないこと」を明確にとらえることは、非常に、大切だ。
 
 
 
 本校の「よさ」を、これからもアピールしていきたい。
 
 それも、外部の方とかかわることが多い、今の自分の仕事の一つだと思っている。
 

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2008年2月12日 (火)

未熟者

 今日も、多くの方が、学校に来校した。
 
 地域の方、教育委員会の方、スポーツボランティアの方、新一年生の保護者、工事関係の方、PTAの方…。
 
 どの方も、本校の子どもにとって、大切な役割を担っている方々である。
 
 
 
 今日は、初任の先生の授業研であった。
 
 少しは、授業を見たいと思っていたが、来校者の対応で、結局、授業を見ることはできなかった。
 
 幸い、校長先生には、見ていただくことが、できた。
 
 
 
 どんどん、授業と距離が離れていく状況を、(個人的に)憂いている。
 
 しかし、近藤が、「授業と距離のある(それでいて大切な)仕事」をしていることで、他の先生方が安心して授業に取り組むことができることを考えると、今の自分の仕事に、誇りがもてる。
 
 
 
 でもねえ。
 
 自分は、まだ、「授業で子どもを語りたい」んですよ。
 
 
 
 10ヶ月も経つのに、副校長としては、未熟者の、近藤である。 

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2008年2月11日 (月)

祝!優勝!!

 教職員のサッカーチームに所属させてもらっている。
 
 「教員サッカー」と呼ばれている。
 
 各区でチームをつくり、1年間かけて、予選リーグ、決勝トーナメントを経て、優勝を争う。

 近藤は、横浜で教員になってから18年間、ずっと「教員サッカー」をしてきた。
 
 今年は、仕事柄、残念ながら、あまり、練習等には参加できないでいる。
 
 それでも、試合などがある時は、応援に行かせてもらっている。
 
 
 
 2月9日(土)、「しんよこフットボールパーク」で、平成19年度の「教員サッカー決勝戦」が行われた。
 
 そして、我が区が、見事、優勝した。
 
 まさに、歓喜の渦となった。
 
 優勝チームの端っこにいれることを、この上なく、幸せに感じた。
 
 18年間やってきて、初めての優勝体験である。
 
 
 
 決勝戦の前に、「シニアチーム」の試合があった。
 
 OBの方々が(定年退職後の方も)、大勢いらっしゃった。
 
 みなさん、極寒のフィールドで、サッカーを楽しんでいる。
 
 すばらしい。
 
 まさに、「生涯体育」の実践者である。
 
 
 
 アマチュアスポーツは、「クビ」になることはない。
 
 その気になれば、いつまでも「現役」でいられる。
 
 近藤も、いつまでも「現役」でいたい。
 
 
 
 体育を教える先生方には、ぜひ、運動を楽しむ経験をしてもらいたいと思う。
 
 「自分が運動を楽しむことができる」ことは、「子どもと運動を楽しむことができる」ことでもある。
 
 うまい下手は、関係ない。
(そんなこと気にしていたら、近藤はサッカーも、野球も、スキーも、ジョギングさえ、楽しめなくなってしまう)
 
 とにかく、汗をかく爽快感を楽しむこと。
 
 それが第一である。
 
 そこに、運動の楽しさを共有できる仲間がいれば、最高である。
 
 
 
 優勝した我が区のチームは、まさに、「運動を楽しんでいた」。
 
 汗をかくことを楽しみ、ボールを蹴ることを楽しみ、仲間とコミニケーションすることを楽しんでいた。
 
 決して、「勝利至上主義」では、なかった。
 
 だからこそ、この「優勝」は、価値があると、近藤は思う。
 
 
 
 なにはともあれ、
「祝!優勝!!」である!
 
 

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2008年2月10日 (日)

地域の教育力を生かした教育

 今日、7:00過ぎに出勤すると、男性が校庭の状況を見ている。
 
 今日、本校を会場に予定しているサッカーの大会が、実施可能な状況かどうかを、確かめにきたのだ。
 
 8:00頃、数名の大人が、グラウンド整備をはじめた。
 
 サッカー大会を実施するようだ。
 
 
 
 今日は、地域の拠点防災訓練だった。
 
 地域の方が集まって、非常時における対応の訓練をする。
 
 区役所や消防署の方もやってきた。
 
 地域選出の議員さんもやってきた。
 
 家庭科室で炊き出しをしたり、体育館でAEDの使い方を研修したりした。
 
 
 
 土曜日、日曜日、祭日、長期休業等は、学校の授業はないが、学校という場所を使って、いろいろな活動をしている。
 
 つくづく、「学校はみんなのもの」だということを、痛感する。
 
 つくづく、「学校は地域の拠点」だということを、痛感する。
 
 
 
 先日、学校運営協議会という場で、学校の教育活動の紹介をスライドで見た地域の方が
「最近の学校は、こんなに地域と密接にかかわって教育活動をしていることにびっくりした。自分の子どもの頃とは、比べものにならない。」
という感想をもたれていた。
 
 地域の中の学校であり、学校は地域のシンボルである。
 
 校舎を開放したり、施設を使っていただくだけでは、物足りない。
 
 地域の人材、文化、施設、自然等々を、積極的に、教育活動に生かしたい。
 
 幸い、平成20年度から、新しい指導要領の告示に伴う、各学校での教育課程の再編成が始まろうとしている。
 
 本校の地域性を生かした、本校らしい教育課程を編成したい。
 
 この、すばらしい地域の教育力を、さらに生かした教育をめざして。

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2008年2月 9日 (土)

校内特別支援教育研修会

 2008年2月7日(木)、外部の療育センターのソーシャルワーカーの方を講師に、校内で「特別支援教育研修会」をした。
 
 そこでの、印象的だった話を紹介する。
 
 
 
「わたしたちの尺度・感じ方とはかなり違う『自閉症の文化(Autistic Culture)』を理解することが大切。」
 
「普通級で学習・行動面で著しい困難を示す児童の割合は、横浜で6.5%。私たちが、学校訪問をした感触では、1割くらい。」
 
「『自閉症』を『治そう』と思わなくていい。『ちがうんだ』と思うことがスタートライン」
 
「『自閉症の世界』とは、『人の気持ちが、わからない』『抽象的な概念の獲得ができない』『感覚の特異性』がある」
 
 などなどなど…。
 
 
 
 その他にも、実際の指導に役に立つ、非常に具体的な情報もたくさんいただいた。
 
 実際に教室で子どもの様子も見ていただいたので、個別の子どもに対する支援についても、助言をいただいた。
 
 近藤は、最近、個別に支援が必要な子どもへのサポートのために、教室に行くことが多い。
 
 だから、すごく、勉強になった。
 
 
 
 やはり、研究会での話は、個別的で具体的で、実名性が高い方が、よい。
 
 今後も、「具体的なAさん」をよくするための、研究・研修会を充実させたいものである。

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2008年2月 8日 (金)

幸せな一日

 8:10~8:25、校門で、登校指導。
 
 8:30~8:50、お休みの先生のクラスで、朝の会の指導。
 
 8:55~9:25 別のお休みの先生のクラスで、体育(なわとび)の指導。
 
 9:30~10:15 個別支援級で、Aさんの個別指導。
 
 10:20~11:30 書類の整理。
 
 11:30~12:05 教室で落ち着いて学習に取り組むことができない子どもが校長室にやってきて、学習。
 
 12:05~12:25 給食室で、配膳の手伝い。
 
 13:00~13:30 学校カウンセラー来校、対応。
 
 13:35~14:30 お休みの先生のクラスの、補欠。下校指導。
 
 
 
 この間に、いろいろな先生から、相談や、報告を受ける。
 
 実は、その相談の中には、非常に重要で難しい相談もあった。(これについては、自分の考えを整理して、ブログに書きたいと思っている) 
 
 
 
 今日は、いろいろな子どもたちと、直接かかわることができた貴重な一日だった。
 
 近藤としては、「幸せな一日」と言って良い。
 
 しかし、事務処理は、ほとんどできなかった。
 
 仕事は、たまる一方である。
 
 でも、それで、よい。
 
 われわれの仕事は、「子ども中心」であり、子どもそっちのけで書類の整理に勤しんでいるとしたら、本末転倒である。優先順位を、間違っている。
 
 
 
 充実した一日を過ごせて、幸せである。
 

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2008年2月 7日 (木)

子どものために

 朝、「読書応援団」として、教育委員会の方と、読み聞かせボランティアの方が来校する。本校の読み聞かせボランティアに対しての支援をしていただく。
 
 昼、T区療育センターのソーシャルワーカーの方が、特別な支援を必要とする子どもを観察し、放課後、研修会が開かれる。
 
 その途中に、児童相談所から、本校の児童で、お世話になっている子供の情報について担任に電話が入る。
 
 「はまっこふれあいスクール」のアシスタントについての、地域の方の問い合わせがある。
 
 下校時、地域の方や保護者の方が、ボランティアで子どもの安全のため、引率や見守り活動をしてくださっている。
 
 
 
 どれも、学校「外」の方々が、学校教育のサポートをしてくださっているのである。
 
 ありがたいことである。
 
 これらを、「本当に、子どものために生かす」ためのコーディネートをするのが、今の、近藤の仕事の一つである。
 
 子どもに、直接、感謝はされない。
 
 この部分が、今の近藤には、ちょっとだけ寂しい部分では、ある。
 
 しかし、SOSを求めている子どもに、サポートできるチャンスは、担任よりも、ある。
 
 その部分で、この仕事の、やりがいを、少しずつ感じている。
 
 
 
 しかし、管理職のサポートが、子どもの成長に結びつくのも、結局は、子どもと、保護者と、先生方の努力の成果である。
 
 けっして、「管理職が、すぐれているから子どもが良くなる」のではないのだ。
 
 
 
 「副校長先生は、校長先生になるんですか?」
 
 放課後、若い先生に、単刀直入に訊かれた。
 
 「なるかもしれない。でも…」
 
 と、ぐずぐずした、応えをした。
(ホントは、結構、いいたいことを、言った。しかし、ここには、書かない)
 
 
 
 校長先生も、副校長先生も、教務主任の先生も、研究主任の先生も、児童指導主任の先生も、学年主任の先生も、中堅の先生も、初任の先生も、地域の方々も、保護者の方々も、文部科学省も、教育委員会も、マスコミも、「子どものために」がんばっている。
 
 それぞれの役割が、ちょっと、違うだけである。
 
 だから、子どもの成長という意味で、同士である。
 
 あとは、「つなぎをどうするか」というだけである。
 
 しかし、最後は、子どもと直接向き合っている「先生」だと、近藤は、思っている。

 
 
 今日の、学校「外」のいろいろなサポートを生かすことができる、本校の、「現場最前線」の先生方に、近藤は、心から感謝したい。

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2008年2月 6日 (水)

教育の条件整備

 火の車である。
 
 
 
 この一週間、風邪、けが、出張などなどで、先生方がそろったことがない。
 
 担任が欠けると、そこに、代わりの先生が入る。
 
 しかし、小規模校では、代わりに入る先生が、いない。
 
 先生方は、これでは、安心して、「風邪もひけない」状態である。
 
 
 
 本校では、専科の先生、少人数の先生、果ては初任研担当の非常勤の先生まで、担任の代わりに、指導にあたっていただいている。
 
 しかも、たいへん「好意的に」である。
 
 心の底から、「ありがたい」と思ってしまう。
 
 感謝の気持ちをどう伝えていいかわからないくらい感謝している。
 
 先日も、打合せで、感謝の気持ちを伝えた。
 
 
 
 しかし、「これでいいのかな」と、思ってしまう。
 
 管理職としては、
 
 この「善意に甘えるシステム」でいいのであろうか、
 
 と、思う。
 
 
 
  
 「学力向上」「心の教育」…、スローガンは美しいし、近藤も、大いに結構だと思う。
 
 しかし、それに向けての条件整備は、欠かせない。
 
 近藤は、「もし、現在の教育の状況について、課題があると考えているなら」、今の状況は、誠に「条件整備が不十分」だと思っている。
 
 「もし、現在の教育の状況で十分と考えているなら」、現在の条件整備で、よいかもしれない。
 
 「たった一人の担任の先生がお休みすると、教育効果が激減するしかない人的状況である」現状でよいと考えているならば…。
 
 
 
 近藤は、現状には、大きな課題があると、考えている。
 
 だからこそ、条件整備が必要だと思っている。
 
 条件整備とは、極端に言えば、現場に「人を増やす」ことである。
(教育予算における人件費の割合が、他の部局と比較して圧倒的に多い現実も、承知の上での極言である。もちろん、人を増やせばよいというものではなく、大切なのは「費用対効果」であるとも思う。しかし、「じゃあ、教育についての効果とは何か」ということについて書くと、一冊の本になってしまうので、ここでは、「条件整備=人を増やす」というわかりやすい構図にしておく。本当は、もっとつっこんだ議論にしたいのだが…)
 
 
 
 などと、つまらない理屈をこねている場合ではない。
 
 とりあえず、いくら先生が足りなくても、子どもの成長は、まったなしである。
 
 「先生がいないから、学校は休みです」とは、ならないのである。
 
 
 
 ということで、副校長も、教室に行って指導をする(機会を与えていただける)。
 
 
 
 今日は、あるクラスに、行かせてもらった。
 
 たいへん、おもしろかった。
 
 やはり、直接、子どもとかかわるってのは、いい。
 
 
 
 教育の条件整備を望みつつ、それにかこつけて、教室で子どもとかかわれる幸せを感じている自分に、非常に矛盾を感じている。
 
 へんな、自分である。

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2008年2月 5日 (火)

振り返り

 一年のまとめの時期である。
 
 
 
 子どもは、学習や生活の振り返りをする時期だ。
 
 6年生は、小学校生活の振り返りをする時期になる。
 
 もちろん、先生方も、年度当初に決めた自分の目標について、振り返りをする。
 
 管理職も、自分の設定した目標の実現状況を、自分で振り返る。
 
 「振り返り」「まとめ」「自己評価」「反省」などとよばれる、これらの営みは、実は、自分を成長させるうえで、非常に重要な「学び方」である。
 
 
 
 しかし、これらの営みが、本当に自分を成長させるためには、ある前提条件がある。
 
 それは、「本当に学びたい強い思い」である。
 
 多くの場合、子どもは、振り返りを「書かされている」。
 
 だから、振り返りには、もっともらしいことを書いても、次に生かされないことも多い。

  
 「書かされる」振り返りは、ちょっと、寂しい。
 
 
 
 さて、われわれ、教職員の振り返りは、どうであろう。
 
 われわれも「自己観察書」という振り返りを、「書かされて」いないだろうか。
 
 せっかく、書く機会を与えられているのだから、「書かされる」振り返りではなく、「自ら書く」振り返りでありたい。
 
 しかし、「書かされる」振り返りを、がんばって「自ら書く」振り返りにすることは、正直言って、無理がある。
 
 できうれば、振り返りを余儀なくされる環境を、自ら、創り出したい。
 
 環境とは、「本当に学びたい強い思い」と、「成長を実感できるシステム」と「それを共有できる仲間」である。
 
 子どもなら、「勉強が好き」で、「おもしろい授業」を受け、「級友と学びを分かち合える」環境であれば、勝手に、自分の学習の成果を振り返る。
 
 先生なら、「子どもの成長に喜びを感じること」ができ、「研究や研修を通じて授業の改善を感じること」ができ、「一緒に学び会える同僚」がいるということである。
 
 
 
 この一年のまとめの時期を、よりよい成長に生かしていきたいものである。
 
 子どもも、
 
 先生も、
 
 そして、管理職も…。
 

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2008年2月 4日 (月)

自然というのは…

 午前5:15、出勤。
 
 もちろん、徒歩である。
 
 昨日の積雪で、路面は凍結。
 
 バスが時刻通り運行するとは限らない。
 
 しかし、今日は、いつもより早く出勤して、学校周辺の雪かきをしなくてはならない。
 
 子どもの安全第一である。
 
 というわけで、早朝出勤となる。
 
 1時間以上かかって学校到着
。(いつも通る路地は雪が積もって通ることができない。さらに、大通りの歩道でさえ、凍結している。歩くのに時間がかかってしまった)
 
 
 
 凍った雪をスコップですくう。
 
 校門前の路面の凍結が、予想以上に危険である。
 
 雪かきをしながら、子どもに登校指導をする。
 
 校門前の路上で、車のタイヤが滑って空回りしている。
 
 原付に乗っている人が、転びそうになる。
 
 危なくて、見ていられない。
 
 校門につくまでに、何人かの子どもが転倒したと言っていた。
 
 それでも、なんとか、おおむね安全に登校できた。
 
 ほっとした。
 
 
 
 朝会で、雪の怖さの話をした。
 
 子どもたちは、真剣に聴いてくれた。
 
 まさに、今日の朝、体験してきたからである。
 
 
 
 ところが、思わぬ事が起こった。
 
 職員が、出勤途中、転倒してけがをしてしまったのだ。
 
 すぐに、「通勤災害」の手続きをする。
 
 びっくりした。
 
 
 
 今日は、雪と格闘した一日だった。
 
 「自然と深く関わる喜びと危うさを考えたい」と、昨日のブログに書いた。
 
 まさに、いろいろと考えさせられてしまった。
 
 
 
 しかし、気がつけば、今日は「立春」。
 
 春は、もう、すぐである。
 
 厳しい冬の先には、希望の春が、ある。
 
 雪にはしゃぎ、氷で転び、春に喜ぶ…。
 
 
 
 自然というのは、懐の深い教師であると、思った。
 
 

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2008年2月 3日 (日)

 一面、雪景色である。
 
 久々の雪景色は、美しい。
 
 しかし、雪は美しいだけのものでは、ない。
 
 
 
 近藤は、大学4年間、新卒教諭として4年間、新潟に住んでいた。
 
 雪国に住む人にとって、雪を克服することは、大きな課題である。
 
 道路の除雪、屋根の雪下ろし、雪捨て場の確保など、個人として、家族として、町として、雪と格闘しながら生活しなければならない。
 
 もちろん、雪を利用する取組も、多い。
 
 スキー場へのスキー客の誘致は、代表的な取組である。
 
 すると、雪は、「降らなくても困るし、降りすぎても困るもの」となる。
 
 雪国の人々は、雪と深くかかわりながら、生活しているのだ。
 
 
 
 横浜では、ほとんど雪が降らない。
 
 子どもは、天からのプレゼントに大喜びする。
 
 しかし、雪とのかかわりが少ないので、雪の怖さも知らない事が多い。
 
 大人も同じである。
 
 これを機会に、自然と深くかかわる喜びと危うさを考えたい。
 
 
 
 さあ、これから家の前の雪かきをするとしようか…。
 

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2008年2月 2日 (土)

「うるっ」

 これまで、7回、6年生を担任した。
 
 つまり、担任として、卒業式を6回、経験したことになる。
 
 卒業式で、泣いたことは、ない。
 
 「ほっとした」ことは、ある。
 
 「忸怩たる思い」をしたことは、ある。
 
 でも、泣いたことは、ない。
 
 近藤は、これまで、仕事で涙を流したことは、ない。(少なくとも、自分の記憶には、ない)
 
 
 
 しかし、この仕事(つまり、副校長という仕事)についてから、「うるっ」とくる経験を、何回かした。
 
 びっくりした。
 
 なぜだろう?
 
 
 
 ありがたいことに、子どものこと、保護者のこと、指導のことなどを、多くの先生方が話してくれる。
 
 ほとんどは、今、上手くいっていないこと、つまり、悩みの相談である。
 
 本音で、真摯に、誠実に語ってくれる。
 
 うれしいことだ。
 
 
 
 近藤が、「うるっ」ときたのは、そんな話の時だった。
 
 子どもも一生懸命、親も必死、先生も真剣…、でも、教室の営みがうまくいかない…。
 
 誰も悪くないのに、状況は望ましくない…。
 
 泥沼である。
 
 しかし。
 
 それが、教育なのだ。
 
 教育現場は、そんなに、綺麗で、美しいことばかりではない。
 
 もっと、どろどろしていて、混沌としていて、もやもやしているのである。
 
 
 
 そんな状況を感じた時、「うるっ」ときた。
 
 「悲しい」とも違う、「つらい」とも違う、「うれしい」とも違う、
しかし、それらの感情が入り交じった気持ちからくる「うるっ」である。
 
 あえて、言葉を選ぶなら「感動」したというところか…。
 
 
 
 先日、ある先生にアドバイスをした。
 
 「どんな問題行動が起こっても、最後には、ハッピーエンドにしたい。それが、近藤の教育観なのです」
 
 そのためには、腹を据える。
 
 今日ダメなら、明日、良くする。
 
 明日もダメなら、あさって、良くする。
 
 今週ダメなら、来週、良くする。
 
 今年がダメなら、来年、良くする。
 
 状況が良くなるまで、努力を続ける。
 
 ハッピーエンドになるまで、ストーリーを終わらせないようにする。
 
 最後に「勝つ」まで、子どもとの格闘をやめないのだ。
 
 教師の執念である。
 
 そうすれば、子どもの問題行動は、きっと「ハッピーエンド」になる。
 
 さらに書けば、現在の状況がダメなほど、ドラマは感動的になるのだ。
 
 これが、近藤の、子どもの問題行動に対する基本的なスタンスである。
 
 
 
 そうである。
 
 近藤が「うるっ」とくるのは、まさに、「教室のドラマ」に「感動」している証拠なのだ。
 
 そして、「教室のドラマ」に感動してしまうのは、そのドラマの出演者ではなく、視聴者だからだ。(だから、当事者だった昨年度までは、涙など微塵も出なかったのだ)
 
 しかし、もう、「うるっ」としている場合ではない。
 
 相談を受けたからには、近藤も、当事者である。
 
 子どもと、保護者と、先生方と、一緒に悩み、共に、一歩でも半歩でも、進んでいきたい。
 
 それが、今の、近藤の仕事でもある。
 
 そして、それが、今の、近藤のやりがいでもある。
 
 (またまた、わかりにくい文章になってしまった。不調だなあ…。でも、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました)
 

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2008年2月 1日 (金)

Aさんの日記

 先日、人権研修に参加した。
 
 この研修に出るたびに、悩む。
 
 何を言っても、何を書いても、自分の思いをどう表現しても、
「この言葉が、誰かを傷つけているのでは…」
と思ってしまうのである。
 
 ブログを書く気にならなくなってしまうのだ。
 
 
 
 今日、本校の若い先生に、
「副校長先生、けっこう、ブログも、ギリギリの表現してますよね…。」
などと、つっこまれた。
 
 うろたえた。
 
 
 
 職員にまで、読まれている!?
 
 保護者も見ている(可能性がある)!?
 
 子どもも見ている(可能性がある)!?
 
 もとの教え子も、過去の同僚も、上司も、教育委員会も、先輩も、後輩も、そして、見知らぬ誰かも、これを読んでいる(可能性がある)!? 
 
 こわいことである。
 
 
 
 さらに、近藤は、「できるだけ具体的なことを書きたい」という思いが強い。
 
 抽象論は、おもしろくない。
 
 「具体をもって、抽象を語る」
 
 それも、身近にあった事実を、語りたい。
 
 
 
 当然、固有名詞が多くなる。
 
 しかし、個人情報保護の観点から、守秘義務の観点から、すべて具体名、固有名詞というわけにはいかない。
 
 
 
 あーーー、だめだ。
 
 近藤が、これをかくモーチベーションを低めることばかりだ。
 
 
 
 以前、日記に書くことがないと悩んでいる子ども(Aさん)の指導をしたことがあった。
 
 Aさんに、アドバイスをした。
「『書くことがない』ということを、書いてみよう」
 
 むちゃくちゃな指導である。
 
 しかし、Aさんは、次の日、日記を書いてきた。
こんな感じの作文であったと記憶している。 
 「書くことがない。書くことがない。書くことがない。…」
 
 
 
 今日のブログは、それと同じである。
 
 「ブログを書くのは、つらい」ということを、ブログに書いてみた。
 
 うーーん。
 
 やっぱり、つまらないブログになった。
 
 Aさんの日記と同じである…。

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