具体的な方法の背景
臨任の先生から、相談を受ける。
けんかへの対処法である。
子どものけんかは、大切な教育の場面である。
当然、指導の仕方がある。
近藤は、「自分だったらこうする」という方法を示し、その理由を簡単に話す。
初任の先生から、相談を受ける。
課題のある子どもへの指導についてである。
これにも、「自分だったら、こう考える」ということを伝え、そのわけを話す。
放課後、若い先生から、問われる。
「叱っているときに、笑う子どもって、どう指導すればいいんですかね?」
甚だ難しい質問だったので、
「ごめん。俺の宿題にさせてもらっていい?」
と応えた。
若い先生方は、「とりあえず、どうすればいいのか」を、求めている。
具体的な方法を教えてもらいたいのだ。
だから、まず、近藤は、「自分だったら」という方法を伝える。
そして、その理由を話す。
実は、具体的な教育方法には、それなりの「理由」「根拠」「理論」「考え方」「思想」が背景にある。
「なぜ、けんかを指導するときに、事実確認をするのか。」
「なぜ、水掛け論になったときに、そのことについては深入りしないで保留にするのか。」
それぞれに「理由」があり、大げさに言えば「思想」がある。
実は、「方法」は、はじめから存在するわけではなく、「思想」から生み出される智恵なのだ。
だから、方法を思いつかない場合がある。
そのときは、いろいろ、考える。
うんと、考える。
そして、「こうしてみたらよいのでは…」という「方法」を生み出す。
「方法」は「思想」の表現なのだ。
すぐれた「方法」は、すぐれた「思想」の生み出したものである。
若い先生には「方法」を学ぶことで、背景にある「思想」「考え方」「理論」を学んでほしいと思っている。
さて、近藤も、じっくり宿題を考えたい。
そして、若い先生が納得できるような知恵を出し、方法を編み出したい。
(かなり難問ではあるが…)


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