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2007年9月30日 (日)

前期を振り返って

 半年経ちました。
 
 「もう」と書くべきか、「まだ」と書くべきか。
 
 副校長として、半年、何とか勤めました。
 
 
 
 今週の一番の仕事は、今まで書く側だった「通知票」を読むことです。
 
 350人以上の「通知票」を読みます。
 
 どれくらい、たいへんなのかは、未知数です。
 
 
 
 思えば、この半年は、「未知数の仕事」ばかりでした。
 
 思ったよりたいへんだった仕事もあり、そうでもなかった仕事もあり…。
 
 そう考えると、あと半年、まだまだ「未知数の仕事」が山積しています。
 
 
 
 ただ、これまでの教員生活に比べて、新しい事柄を勉強することが多く、刺激的ではありました。
 
 運転は、初心者よりも、少し慣れた頃に事故を起こすことが多いと聞いたことがあります。
 
 この仕事も、同じでしょう。
 
 少し慣れてきた今だからこそ、緊張感をもって、しかし、楽しく自分の仕事に取り組んでいこうと思います。
 
 
 
 以上、近藤の「前期を振り返って」でした。
 
 
 
 (子どもに「前期の振り返り」を書かせると、こういった、毒にも薬にもならない文章になることが多い。「振り返り」を書くって、結構、難しいということを実感した。反省しようっと…)

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2007年9月29日 (土)

全校への宿題

 
 9月26日(水)、全校遠足の引率に行った。
 
 帰ってきてから、全校での解散式があった。
 
 運営委員会の子どもが、言う。
「はじめに、副校長先生のお話です」
 
 
 
 きた。

 「副校長先生のお話」
 
 遠足で疲れ切っている、今すぐにでも帰りたいと思っている、約350名の子どもたちに、何を話せっていうんだ。
 
 もう、明日の予定の確認だけして、さっさと帰ろうよ。
 
 
 
 などとは、絶対に、言えない。
 
 そして、話した。
 
 「今日、副校長先生は、みんなと一緒に行って、うれしかったことが、二つあります。一つは高学年の皆さんが、しっかりと、下学年の手助けをしたこと。5、6年生のみなさん、どうもありがとう。
二つ目は、大きなけがや病気がなかったこと。この二つの出来事で、副校長先生は、今日一日、幸せな気持ちで過ごすことができます。
最後に、副校長先生から、宿題を出します。…」
 
 疲れた様子の子どもたちだが、「宿題」と言う言葉が出たとたん、キュッと、こちらに注目した。
 
 「今日、ゆっくり休んで、明日、また、元気に登校すること。これが、副校長先生からの宿題です。」
 
 子どもたちは、「なーんだ」という顔で、ほっとしている。
 
 
 
 日常的な営みが、子どもを育てる。
 
 だからこそ、当たり前のように行われている「(副)校長先生のお話」で、子どもを育てる話をしたい。
 
 これが、とても、とても、とても、難しい。
 
 だいたい、子どもは、聴くことの必然性を、感じていない。
 
 さらに、1年生と6年生では、理解できる言葉も違えば、関心のある出来事も、違う。
 
 そして、近藤と一人ひとりの関係性が、薄い。子どもにとって見れば、「あの人誰?」っていうレベルであることもある。
 
 この条件で「聴かせる話」をするのは、路上で巧みな話芸を用いて人をひきつける「テキ屋のおじさんレベル」の話術が必要だ。
 
 とてもじゃないが、そんな芸は、もっていない。
 
 幸い、われわれの話の場合には、先生方が強制力を発揮して、「聞かせている」ので、「聴かせる話」でなくても、まったく、問題ない。
 
 しかし、近藤としては、ちょっと、悔しい。
 
 「聴かせる話」をしてみたい。
 
 しかし、今だ、できたためしがない。
(前述の話を読めば、わかるであろう。まったく、面白みのない話である)
 
 やはり、「話し方」は、近藤にとって大きなテーマである。(07/08/30「話し方」参照)
 
 
 
 しかし、子どもというのは、すばらしい。
 
 ありがたい。
 
 心優しい。
 
 聴く必然性のないはずの「副校長先生のお話」を、しっかり、聴いているのである。
 
 
 
 「明日も元気に登校しましょう」という「宿題」をだした翌日。
 
 欠席は、0であった。
 
 宿題は、「100点満点」である。

(これは、本校では、1年に1回、あるかないかの出来事だそうである。ありがたや、ありがたや…)

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2007年9月28日 (金)

授業参観を見てから、深く考えてしまったこと

 
 昨日、今日と、授業参観、懇談会。
 
 多くの保護者の方が、学校を訪れた。
 
 近藤も、ちらちらと、授業を見させてもらった。(ありがとうございます。校長先生)
 
 
 
 学校に、いろいろな方が来るのは、よいことである。
 
 いろいろなリアクションがあって、おもしろい。 
 
 多くの方を、教育の場に、巻き込みたいと、思っている。
 
 
 
 当然、葛藤があり、共感がある。
 
 「みんなで教育する」とは、そういうことなのだ。
 
 そして、それは、子どもにとって「よいこと」であることの方が、多いと思っている。
 
 
 
 教育基本法に、「家庭教育」という項目が新設された。
 「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする」
 
 大いに結構。
 
 保護者は、教育についての「第一義的責任を有する」ということを、実感して欲しい。
 
 
 
 しかし!!
 
 素朴な疑問。
 
 「(前略)保護者は、子の教育について第一義的責任を有するもの」ということは、学校と保護者の意見が異なる場合、保護者の責任において、学校とは違う教育が施されると言うことか????(だって、「第一義的責任」だぜ!)
 
 そうすると、現状でも危ういのに、今後、公教育で、同じ教育内容を、同じように教えることが、難しくなりはしないか?
 「学校の教育は間違っています。私は、保護者として、この子の教育について第一義的責任を有しているので、違った教育をします!!」
 こういった保護者が続出し、それが認められたら、公教育は成り立たない。(その予兆を、現場にいると感じてしまうのが、つらいところである)
 
 同じ法律には、こうも書いてある。
「国民は、その保護する子に、別の法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う」
 
 そうか。
 
 「普通教育を受けさせる義務を負う」のだから、やっぱ、公立学校の「普通教育」を「受けさせ」なければならないんだ。つまりは、学校の教育が優先されるということだね!公立学校の教育に反対ならば、違うところで、「普通教育」を受けさせればいいのだから…。
 
 
 
 しかし…。
 
 本当に、それで、いいのであろうか???
 
 (近藤自身の結論は、まだ、でていない。近藤に課せられた、課題である)
 
 
 
 「家庭教育」「社会教育」「学校教育」の役割と、バランス…。
 
 公立学校の職員として、考えなければならないテーマである。
 

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2007年9月27日 (木)

集団意志の決定

 
 「集団意思の形成」の大切さを、痛感する出来事が、あった。
 
 
 
 近藤には、論理的に、または実践的に(現場人の直感として)、「絶対正しい」と思えることがある。
 
 しかし、それを、ある集団で実際に行っていくには、その集団の成員の支持が必要である。
 
 
 
 民主主義の世の中では、集団の成員の支持をえることが、とても大切である。
 
 これを、「集団意思の形成」(岡本薫氏の言葉を借りて)と、呼ぶ。
 
 
 
 この、当たり前すぎる事実を、今日、あらためて、実感した。 
 
 「みんなにわかってもらえなければ、世の中は動かない」のである。
 
 だから、過去に、「正しいことを言ったが、集団意思の形成が不十分だったために、世の中の人々にわかってもらえなかった天才たち」は、名言を残し、後世の人々に、評価される。 
 「それでも、地球は、回っている」
 「悪法も、法なり」
 
 
 
 「集団意志の決定」というのは、民主主義、市場経済を生きる現代人にとって、当たり前の常識である。
 
 こんなことを、あらためて実感している近藤は、やはり、「世間知らず」なのだろう。
 
 「世の中を動かそうとしている人」にとっては、常識である、「集団意志の決定」の大切さ。
 
 実は、これは、教師の常識にならなくてはならないのだろうと、思う。
 
 
 
 なぜなら、教師こそが、「子どもを望ましい成長に導こうとしている人」つまりは「(子どもの構成する)世の中を(教師が望ましいと思う方向へ)動かそうとしている人」そのものなのであるから…。
 
 
 
 その感覚が、十分磨かれていない近藤は、やはり、「民主主義的」な教師ではなく、「専制君主的」な教師だったのだと、あらためて、思う。(どちらが、より「正しい」かについては、現在、考えを深めているところである。機会があれば、どこかで発信したいと思っている)
 
 (それにしても、今日のブログつまんねーーし、わかりにくいな!)

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2007年9月26日 (水)

全校遠足、引率

 
 全校遠足の引率に行った。 
 
 歩いて1時間程度の森林公園である。
 
 先生方は、担当の班の引率。
 
 近藤は、担当班は、ない。
 
 これがまた、なにやら、不思議な感じである。
 
 
 
 現地に到着。
 
 班ごとに遊んだり、お弁当を食べたりしている。
 
 近藤は、「本部」と称する広場で、ただただ、ボーっとしている。
 
 たまに、切り傷をした子どもや虫に刺されたと訴えてくる子どももいるが、養護教諭(保健の先生)が、きっちり対応してくださる。
 
 近藤は、近くに寄ってきた子どもにちょっかいを出したり、おしゃべりをしたり…。
 
 
 
 と、こう書くと、「何と行事の引率をする管理職は、暇なのだ!」と、おしかりを受けそうである。
 
 しかし、それは、違う。
 
 ひとたび、何かあれば、全体をより安全に、より適切に行動させるための判断をする責任があるのだ。
 
 だから、近藤は、結構、緊張して、今日の行事に臨んだ。
 
 「突然、雨が降ったら…」
 「大きなけががあったら…」
 「子ども同士のトラブルがあったら…」
 「迷子になったこがいたら…」
 「具合の悪くなった子どもがいたら…」
 などなどなど…。
 
 
 
 先生方の、周到な準備のせいで、ほとんど、何事もなく、行事は、終了した。
 
 これは、すごいことだ。
 
 一見、暇そうな、管理職の陰には、血のにじむような(冗談ではなく)先生方の努力があるのだ。
 
 警察と消防署と養護教諭と管理職…。
 
 どれも、暇な時は、「平和」だという証である。

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2007年9月25日 (火)

優先順位

 
 総理大臣が代わった。
 
 テレビは、そのことで、もちきりである。
 
 
 
 明日は、全校遠足である。
 
 当然だが、明日の、本校の全校遠足について報じているテレビは、ない。
 
 
 
 しかし、近藤にとっては、代わった総理大臣のことよりも、明日の全校遠足のことが、気にかかる。
 
 
 
 朝、本校の初任の二人から、「見てください」と原稿を受け取る。
 
 今日、近藤は、午後から出張である。
 
 午前中も、いろいろな仕事がつまっている。(教育委員会に提出しなくてはいけない書類とか…)
 
 しかし、初任からの原稿を、優先的に、読む。
 
 
 
 仕事には、優先順位がある。
 
 優先順位を決めるのは、自分である。
 
 
 
 教育委員会に提出しなくてはいけない書類(それは、それで、大切な自分の仕事である)よりも、総理大臣や内閣の人事よりも、
 初任の書類の点検や、明日の全校遠足の仕事が、重要である。
 
 
 
 それが、教育現場というものであり、その優先順位を間違えてはいけない。
 
 
 
 最優先の条件。
 
 それは、「子ども」への直接的な影響である。
 
 
 
 この、当たり前のことを、この立場にいると、見誤ることが、ある。
 
 心したいと思っている。
 

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2007年9月24日 (月)

お彼岸

 お彼岸である。
 
 「暑さ寒さも、彼岸まで」とは、よく言ったものだ。
 
 数日前までの暑さが嘘のように、涼しくなった。
 
 

 墓参りをした。
 
 お彼岸やお盆に墓参りをする。
 
 日本人のしきたりである。
 
 しかし、こういうことの意味について、あまり知らない。
 
 
 
 
「『彼岸』とは、仏教用語で向こう岸という意味で、一切の悩みを捨て去って悟りの境地に達することを言います。(中略)この仏教思想に、日本古来の祖先信仰が合わさって、お彼岸行事が生まれました。」
(飯倉晴武「日本人のしきたり」(2003年青春新書)p64)
 
 彼岸の仏事は浄土思想に由来する。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられていた(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。元々は中国から伝わったもので、心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)だが、日本に伝来後いつの間にか法要を営み祖先を祀る行事へと変化した。
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E5%B2%B8
 
 
 
 「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国のと郷土を愛する」(教育基本法)心を育むには、こういった身近な伝統行事の意味を知る必要があると、最近、思うようになった。
 
 その意味で、近藤は、頗る勉強不足である。
 
 だが、こういった「身近な伝統行事」そのものがなくなりつつある。
 
 こんなところにも、「地域・家庭の教育力の課題」が見える気がする。

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2007年9月23日 (日)

教師の「レミニッセンス効果」

 
 21年間、ずっと小学生を教え続けてきた。
 
 そして、今年の4月から、ほとんど教えなくなった。
 
 当初の違和感は、このブログにさんざん書いているとおりである。
 
 
 
 最近、違和感が、なくなってきた。
 
 そして、教えない時間が増えた分だけ、これまでの指導や教育を、無意識のうちに、振り返っていたような気がする。
 
 だから、これまで無意識にしてきたことの意味を、自覚的に感じることができるようになっている。
 
 
 
 例えば、07/08/25「授業研究改善論」や07/09/03「子どもを前に話した後、考えたこと」にも書いたように、「日常性の大切さ」を、さらに強く感じることが多くなった。
 
 そして、「先生方の何気ない営みの『すごさ』」も、強く感じるようになった。
 
 さらに、近藤としては「こんなの、どの先生だって知っているよ」ということが、意外に知られていないことにも気付いた。(これについては、わかりやすく伝える努力を、今後、していこうと思っている)
 
 
 
 はじめは、「授業をしない『焦燥感』」が強かったが、教える営みを一時的に休み、自らを振り返る時間をもつことも、教師にとって有意義であると、最近、感じ始めた。
 
 しかし、すくなくとも「授業をする」という力量については「専門的な力量」であるので、自ら真摯に振り返った後、再度、「授業をする」という行為に還元していく必要がある。
 
 プレーをしなくなったプレーヤーは、「下手になる」のである。
 
 
 
 一時的に教えることを休むことによって、深まる教師の力量。
 
 これを、独断で「教師の『レミニッセンス効果』」と名付けたい。

(「レミニッセンス効果」については、07/09/02「『前方支持回転』への道」参照)

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2007年9月22日 (土)

一覧票を見る

 
 「通知票」(横浜では「あゆみ」と呼ぶ学校が多い)の時期であることは、07/09/20ブログ「学期末の仕事」で書いた。
 
 その前哨戦として、「一覧票」というものがある。
 
 
 
 「一覧票」とは、子どもたちの成績を、「一覧票」にして記録するのである。
 
 各教科に、評価の観点というやつがあって、それぞれにABCをつける。(国語の「関心・意欲・態度」はAとか、算数の「知識・理解」はBとか…)
 
 評価の観点は、各教科ごと4観点くらいある。だから、ひとりあたり、20こ以上ABCがつく。
 
 さらに、特別活動や行動についての評価がある。(よくできた項目に○をつけるのである)
 
 だから、「一覧票」はABCや○や数字の羅列である。
 
 
 
 その「一覧票」も、管理職が確認する場合が多い。 
 
 本校では、昨日が、「一覧票の提出締め切り日」であった。
 
 近藤の手元に、300人以上の成績が集まる。
 
 近藤は、それを確認する。
 
 一人ひとりの成績処理に整合性が保たれているか、全体のバランスに偏りがないか等々を、確認するのだ。
 
 そして、最後に、校長先生に確認してもらう。
 
 
 
 近藤の仕事は、きわめて、機械的な確認である。
 
 しかし、この無味乾燥なABCや○や数字の羅列から、一人ひとりの学習の様子や成果、そして課題が読み取ることができる。
 
 「○○さんって、算数が得なんだなぁ。…」
 「△△さんは、しっかりとした生活習慣を身に付けているんだ。…」
 
  
 
 子どもの側面を、数値や記号で評価する。
 
 文字や数値の羅列から、子どもの側面を、読み取る。
 
 難しいが、大切な、教師の仕事である。

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2007年9月21日 (金)

「アサレン」の効用

 「アサレン」のお手伝いをしている。(07/09/10や07/09/12 ブログ参照)
 
 陸上運動の指導である。(分かりやすく言うと、「かけっこ」の指導である)
 
 本日、「アサレン」4回回目だった。
 
 朝、20分ほどの指導だ。
 
 多くのことはできない。
 
 できることを、精一杯、教えている。
 
 ありがたいことに、教えている子どもたちと、つながりが深まりつつあるのを感じる。
 
 うれしいことだ。
 
 
 
 子どもというのはすごい。
 
 たった、数回の指導で、メキメキ、うまくなる。
 
 「すでに、以前より、足が速くなっているはずだよ。」
と言う。
 
 本心である。
 
 
 
 うちの学校のすごいのは、「アサレン」に、多くの先生方が、自主的に参加してくださることだ。
 
 近藤の他に、5人以上の、お手伝いの先生方がいた。
その他に、幅跳びの指導をしている先生が2名いた。
10名近くの先生方が、朝、早く来て、「アサレン」の指導をしているのである。
それも、強制ではなく、自主的に参加してくださっているのである。
ありがたいことである。
(ついでに、もっと、自慢をさせてもらう。「アサレン」の指導には参加しなくても、学校の前で、毎日、安全指導をしている先生方が、いるのである。その筆頭は、校長先生である。つまり、全職員、総掛かりで、早朝に、子どもの安全や、学習の発展指導をしているのである。ほんとーーに、これは、ありがたくて、すごいことだと、思う)
 
 
 
 メキメキうまくなる子どもを見て、若い先生が、言う。
 
 「○○さん、腕の振りがすごくよくなっているね」
 「□□さん、視線がまっすぐで、フォームもきれいになっているね」
 
 子どもの成長もすごいが、若い先生の成長もすごい。
 
 近藤の指導でうまくなっていく子どもの姿を、しっかりととらえているのだ。
 
 子どもの成長が見える教師は、すごい。
 
 ある程度キャリアを積めば、ある程度は、見えるようになる。
 
 しかし、先生になって1~3年くらいの若い先生が、「見えている」のである。
 
 すごいことだと思う。
 
 
 
 「アサレン」は、実は、教師のトレーニングにもなっているのかも…、などと、感じた今日の「アサレン」でした。

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2007年9月20日 (木)

学期末の仕事

 
 学期末である。
 
  
 横浜の学校の多くは、二学期制なので、10月の第1週までが前期となる。
 
 ということは、多くの学校は10月の第1週に、「通知票」(横浜の多くの学校では「あゆみ」と呼ばれている)を渡すことになる。
 
 ということは、9月下旬は、成績処理をしたり、「通知票」にコメントを書いたりする仕事をしながら、授業も進める、ということになる。
 
 ということは、学期末は、先生方にとって、メチャメチャ忙しい時期ということになる。(これは、二学期制だろうが、三学期制だろうが同じ事である)
 
 
 
 「通知票」を書き上げると、最終点検を、管理職がする(事が多い)。
 
 本校も、最後は、副校長と校長が目を通す(らしい)。
 
 300人以上の「通知票」を読まなくてはならない。
 
 今から、ゾッとする。
 
 
 
 担任の先生と、管理職が、こんなに労力をかけて取り組む「通知票」という仕事である。
 
 ぜひとも、子どもたちが「自信」と「やる気」をもつことができるようにしていきたい。
 
 これは、「通知票」の時期になると、いつも思っていたことである。
 
 管理職になっても、その思いは、変わらない。
 
 変わらないどころか、むしろ、強くなっている。
 
 
 
 教育の内容や考え方が節目を向かえている今日、「通知票」も変わっていくことが予想される。
 
 しかし、時代は変わっても、子どもたちが「自信」と「やる気」をもつことができるような、「つうしんぼ」でありたいと、願うばかりである。
 

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2007年9月19日 (水)

誤報

 ジリリリリリ!
 
 先週の木曜日、突然、火災報知器が鳴った。
 
 すぐに発報場所に行き、安全を確認する。
 
 誤報である。
 
 センサーが過剰に反応したそうだ。
 
 
 
 学校というの施設には、いろいろな設備が設置されている。
 
 給食関係の設備、消防関係の設備、耐震関係の設備、水道関係の設備、視聴覚関係の設備…。
 
 どれも定期的に点検したり、補修したりしているが、時として、このように誤作動や不具合を起こすことがある。
 
 ましてや、最近のように、気温35度以上の日が続いたり、台風が来たり、落雷があったりすると、いたるところで故障や破損が起こる。
 
 施設の管理は、副校長の仕事である。
 
 あまり、たてつづけに不具合が起こると、「いい加減にしてくれ」という気持ちになる。
 
 それでも、子どもや先生方に迷惑がかかると大変なので、優先順位をつけて、補修や改修をする。
 
 学校という「はこもの」を維持をするのには、結構、お金と時間と労力がかかるのだ。
 
 
 
 翌、金曜日。
 
 ジリリリリリリ!!
 
 また、鳴った。
 
 火災報知器である。
 
 誤作動であることを、確認する。
 
 「いい加減にしてくれ」である。
 
 しかし、火災報知器を切るわけには、いかない。
 
 本当に火災があった場合、たいへんなことになる。
 
 おい、おい、明日からの3連休、毎日、火災報知器が鳴って、学校に来なくちゃならないのかよ!という危惧をもちながらの3連休だった。
 
 
 
 おかげさまで、3連休に、火災報知器の誤作動はしなかった。
 
 
 
 学校という大きな施設を、物理的に管理するのはたいへんだ。
 
 しかし、これも、裏方である副校長の、大切な仕事なのである。
 
 毎日、いろいろな経験ができて、幸せである。
 

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2007年9月18日 (火)

見る目

 「歯磨き検査」というものがある。
 
 歯の磨き方を、「歯科衛生士」という専門家が指導してくれるのである。
 
 
 
 歯を診ると、その子どもの課題がわかるという。
 
 「偏食」「生活習慣」「家庭でのかかわり方」等が、「歯及び口腔の症状」として現れるのだ。
 
 おもしろいことである。
 
 
 
 実は、子どもの生活や様子を観察すると、子どもの生活環境が予想できることが多い。
 
 健康状態、持ち物、表情、服装、言葉遣い…。
 
 
 
 しかし、100%ではない。
 
 ここが、難しい。 
 
 「子どもの生活や様子を観察すると、子どもの生活環境が予想できる」ことは多いが、百発百中ではないのだ。
 
 これを、気をつけないと、「レッテルはり」になる。
(ちなみに、「レッテルはり」とは、「あの子は『よい子』」、「あの子は『悪い子』」、などと決めつけ、同じ行為をしても、違う対応をしてしまうことをさして使う言葉である)
 
 
 
 100%ではないことを前提にして、それでも、子どもの生活や様子を観察すると、子どもの生活環境が予想できることは、多い。
 
 
 
 これが、教師の「見る目」である。
 
 学校の先生は、ある程度の経験があれば、この「見る目」をもっている。
(先生でなくても、センスのある方は、保護者でも「見る目」をもっている)
 
 
 
 先生方は、この「見る目」を、もっとアピールしていい。
 
 これこそ、プロの「見る目」なのだ。
 
 
 
 そして、保護者の方に、「やはり、学校の先生の言うことは間違いない」を思ってもらえるような信頼感を得てほしいとと思っているし、
近藤は、微力ながら、そう思ってもらえるよう努力したいと思っている。

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2007年9月17日 (月)

敬老の日

 父のことを、書く。
 
 父は、82歳。
 
 よぼよぼのじいさんである。
 
 毎日、家にいる。何もしていない。
 
 体調が変化すると、非常に険しい顔をすることがある。
 
 思うように動かなくなった体や、衰えた心や頭と、格闘しているように見えることもある。
 
 どんな「痛み」「ストレス」が、父を襲っているのかは、まったくわからない。
 
 よぼよぼのじいさんは、自分の状態を表す言葉をもたず、日々、一生懸命、「生きている」。
 
 
 
 陸軍士官学校出身、早稲田大学卒。
 
 横浜市役所で、都市計画局長を務めた後、会社役員となる。
 
 現役時代の略歴は、結構、華々しい。
 
 
 
 でも、今は、よぼよぼのじいさんである。
 
 これが、人生なんだなぁ。
 
 
 
 昨日、久しぶりに、父を連れて、近くのスーパーに買い物に行った。
 
 車の中で、訊いた。
 
 「毎日、楽しい?」
 
 父、うなずく。
 
 「幸せ?」
 
 父、うなずく。
 
 
 
 結構なことである。
 
 まわりから、どう見られようとも、本人が「幸せ」と思っているのだから、これは、誠に、結構である。
 
 
 
 今日は、敬老の日。 
 
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」(「国民の祝日の関する法律」)日である。
 
 ちなみに、長年、敬老の日は、9月15日であった。(平成15年から9月の第3月曜となった)
 
 9月15日は、父の誕生日である。
 
 敬老の日が、誕生日だったのである。
 
 
 
 敬老の日に生まれた父。
 
 よぼよぼのじいさんである父を、大いに、敬愛し、長寿を祝わいたい。 
 
 
 
 いつまでも、「幸せ?」という問いに、うなずくことができるように…。
 

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2007年9月16日 (日)

「問い」の「応え」を考える

 
 「近藤先生は、何で、副校長先生になったんですか。」
 
 
 
 このような問いを、何回か、いただいたことがある。(若い方からいただくことが多い。一昨日も、訊かれた)
 
 どの方も、「近藤は、管理職ではなく、現場の教師の方がいいのではないか?」と思われているようである。
 
 よっぽど、管理職という仕事が、近藤に合っていないように見えるのだろう。
 
 
 
 近藤の夢は、「よい先生になること」である。
 
 そして、当面の目標は、「普通の先生になること」である。
 
 副校長も、「先生」であると、思っている。
 
 校長も、「先生」であると、思っている。
 
 だから、近藤が、管理職になったとしても、不思議ではない。
 
 
 
 などという理由は、後付の屁理屈である。
 
 近藤は、いろいろな要素が絡み合って、今、この仕事をしている。
 
 今、この仕事をしていることに、一番驚いているのは、近藤である。
 
 しかし、「与えられた仕事に、(自分のできる範囲で)一生懸命取り組む」というのも、近藤のスタンスである。
 
 
 
 この近藤のスタンスに、安心感を与えてくれる考え方がある。
 
 「フランクル心理学」と呼ばれる考え方である。

 
 「自分を必要としてくれる『何か』があり『誰か』がいて、その何かや誰かのために自分にもできることがある。そんな実感ほど、人間に生きる意欲を与えてくれるものはないとフランクル心理学では考えるのです。
 ここでこれらの問いを、つぎの問いと比べてほしいと思います。
 『あなたは(本当は)何をしたいのでしょう』
 『何をしたいか』を問うこの問いは、クライエントの欲求や願望、目標を明らかにする問いです。そして一般のカウンセリングでは、ここで明らかになった願望や目標をどうすれば実現できるかを考えていくのですから、この問いは『自己実現』を援助する問いであると言うこともできます。
 けれども『幸福のパラドックス』のところで述べたように、人間の欲望や願望には際限がありません。だから、『ありがしたい』『これが欲しい』と自分の欲求や願望を中心に人生を組み立てている人は、絶えずどこかに『むなしさ』や『満たされなさ』と抱えて生きていかざるをえなくなります。『永遠の不満の状態』におかれてしまうわけです。
 だからフランクル心理学では、この問いを逆さにします。そのような自己実現を求める姿勢、『自分中心』の人生観が、まさに『心のむなしさ』を生み出す元凶である、と考えるからです。
 そして、『あなたは何をしたいか』ではなく、『人生はあなたに何を求めているか』『何が(誰が)あなたを必要としているか』『あなたが実現すべき意味は何か』と問うていくのです。
 これらは、『自己実現』を助ける問いではなく、『意味発見』を促す問いです。そこに据えられているのは、『自己』中心の人生観ではなく、『人生』中心、『意味』中心、『対象』中心の人生観です。」
(諸富祥彦『フランクル心理学 どんな時にも人生には意味がある』(1997年コスモスライブラリー)p124-125)

 
 
 
 とにかく、今、近藤は、横浜市立桂台小学校の副校長なのである。
 
 自分の仕事に、一生懸命取り組んでいこうと思う。
 
 幸いにして、この仕事のやりがいや楽しさも、感じることができるようになってきた。
 
 
 
 しかし。
 
 以前も書いたが、「直接、子どもを教育する営み」のフィールドも、少しずつ、切り拓いていきたい。
 
 教育の醍醐味は、やはり、子どもとの直接的なかかわりにある。
 
 だから、具体的な夢として、「プレーイングマネージャーになりたい」という思いがでてくる。
 
 
 
 まぁ、ゆっくり、あせらず、着実に…、ね。

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2007年9月15日 (土)

前任校の運動会を見て

 3月まで、勤めていた学校の運動会に行く。
 
 昨年度、4年生だった子どもたちが、5年生として、演技に、競技に、係活動に、活躍している。
 
 胸が熱くなる。
 
 保護者の方や職員からも、温かい言葉をいただく。
 
 懐かしさで、いっぱいになる。
 
 
 
 人生の一部の時間を共有した人たちとの再会は、なんとも、心地よいものである。
 
 それを感じることのできる、この仕事は、本当に、いい仕事だと思う。
 
 
 
 普段は、自分の仕事に、不平不満をもつことが多い。
 
 しかし、本当は、「こんな素敵な仕事に就けて、ありがとう」なのだ。
 
 自分の仕事に幸せを感じなかったら、これから「先生」になろうとして、必死に努力している若い人に、罰があたる。
 
 
 
 もしも、教師としてのセンスのない近藤が、
それでも、この仕事に就く資格があるとすれば、
それは「教師であることに、幸せを感じることができる」
ということ、だけであろう。
 
 自分の仕事のありがたさを感じさせてくれた、前任校の子どもたち、保護者のみなさん、先生方に、感謝したい。
 
 そして、その喜びを、現在の、自分の学校の、子どもたち、保護者、地域の方々に、返していきたい。 

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2007年9月14日 (金)

天のお告げ

 授業研が、あった。
 
 「今日こそは、研究に参加できる」と思って、ワクワクしながら、学校に行く。
 
 先生方は、みんな、授業研に参加する。協議会に参加する。
 
 
 
 今日、火災警報機が誤作動。(実は、昨日も、誤作動があった)
 
 全校に、非常ベルが鳴り響く。
 
 防災協会に電話して、感知器を検査してもらう。
 
 給食の食材が、発注したものと、大きさが違ったり、質がよくなかったりした。
栄養士さんが対応してくれた。
 
 子どもが、火遊びをしたという情報が入る。急遽、現場に急行。
 
 教育委員会の○○課から電話。
 
 
 
 えーーい!!
 
 どうして、授業研の日になると、俺が授業を見に行けないような出来事が起こるのだ!
 
 前回も、前々回も、そうだった。
 
 しかし、一つひとつの出来事への、ていねいな対応は、大切である。
 
 「俺は、試されている。これは、しっかり、副校長の仕事をしろという、天のお告げなのだ…」
 
 わかったような、わからないような言葉で、自分を慰め、しっかりと「副校長」をした(つもりである)。
 
 
 
 くやしいので、次回の授業研の日は、「年休」とって、授業を見に行ってやろうか!!
 
 などと、考えてしまった、今日の近藤であった。

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2007年9月13日 (木)

授業研デビュー前夜

現在、学校。
初任の先生、今、教室で、明日の授業研のイメージトレーニング中。
よいことだ。

今日は、学校で、これぞプロフェッショナル、という場面を、いくつか、見た。報告したいが、近藤は、携帯で文字を打つのが苦手で、これ以上打っていくと、すげぇストレスになるので、やめておく。

今、授業研のイメージトレーニングをしている初任の先生の姿も、ある意味、プロフェッショナルの卵の姿といえよう。

明日の健闘を期待したい。
学校もプロフェッショナルの仕事で支えられているのである。

以上、学校からの、ブログ更新でした!

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2007年9月12日 (水)

20分間の指導

 
 今日、久しぶりに、「指導らしい指導」をした。
 
 「アサレン」である。(07/09/10 ブログ参照) 
 
 6年生に、陸上を教えたのである。
 
 
 
 朝から雨。
 
 しかも、練習初日。
 
 子どもの名前も、十分にわからない中での指導である。
 
 
 
 20分ほどの指導。(2分ほどオーバーした。腕の鈍りを感じる)
 
 しかし、近藤としては、非常に、充実感を感じた20分であった。
 
 
 
 指導を終えて、足早に、職員室へ。
 
 すると、途中で、「犬が学校に迷い込んだ」という情報を得、現場に急行。
 
 警察にまで連絡したが、結局、本校の子どもの家で飼っている飼い犬だった。
 
 その間に、地域の学習ボランティアの方が来校。
 
 さらに、連絡なしに欠席している児童が1名(結局、家族みんなで「寝坊」していたということで、事なきを得た)という情報。
 
 あっというまに、普通の「副校長」としての仕事に戻った。
 
 
 
 だからこそ、なおさら、感じた。
 
 20分ほどの指導のありがたさを。
 
 
 
 内容的には、普通の指導であったが、近藤としては、宝物のような時間であった。
 
 じわじわと、自分のフィールドを広げる近藤である。
 

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2007年9月11日 (火)

クレーム対応

 
 学校に、クレームが来ることがある。(07/06/28 ブログ参照)

 
 対応する。
 
 だれが?
 
 おおかたは、副校長である。
 
 
 
 今日は、「クレーム対応」の研修があった。校長先生にお願いして、参加させていただいた。
 
 某社(シャンプーや健康食品などをつくっているメーカー)の消費者センター長さんのお話。
 
 飲みかけのお茶を一週間放置しておいて、「味が変わっている」と言うクレーム。
 自分で選んでいるのに、「自分に色が合わない」というクレーム。
 シャンプーとリンスを間違えて購入して、「同じようなボトルだから間違えた」というクレーム。
 最近、「自己責任」と「メーカー責任」の区別がずれていると感じることがある。
 
 
 
 「自分のせいなのに、『メーカーのせい』にしている」と感じることが多いらしい。
 
 その点で言えば、学校も、同じ。
 
 その典型が、「モンスターペアレンツ」なる保護者である。
 
 
 
 しかし、本当に「モンスター」であるのは、ごく少数である。(少数であるが、存在は、する。近藤は、それを、実感している)
 
 ほとんどは、「ありがたいクレーマー」である。 
 
 なぜ、「ありがたい」か?
 
 自分たちの良くない点を、具体的に、指摘してくださるからである。
 
 だから、改善もできるし、もっといえば「学校が良くなる」ことにも、つながる。
 
 もともと、学校へのクレーマーは、学校への期待の裏返しであることが多い。(これは、企業も同じだと思う)
 
 関心があるから、期待があるから、間違った点には「もの申したい」のであろうし、それは、ありがたいことなのである。
 
 学校に関心のない方、学校に期待のない方は、クレーマーにならない。
 
 
 
 しかし。
 
 企業であれば、「お客様相談係」であったり、「消費者対応センター」であったり、クレームの対応を、仕事の中心にしている方がいるシステムになっている。
 
 学校は?
 
 おおかた、副校長、校長だけである。
(少なくともシステムとしては、存在しない場合が多い。というより、システムとしてはほとんど存在しないと言ってよい。「クレーム対応」のセクションをおいている学校組織など、聴いたことがない) 
 
 人事管理も、施設管理も、公金管理も、クレーム対応も、(おおげさに書くと)すべて管理職の名の下に、1名~3名程度の人間にさせているのである。 
 
 みごとなまでの、「税金の節約」である。 
 
 管理職になると、いろーーーんな仕事をすることが、できる。
 人間を成長させることができる。
 
 公立学校の管理職は、非常に、刺激的で、dengerousで、interestな仕事である。
 
(おっと、最後は「愚痴」になってしまった。ごめんなさい)  

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2007年9月10日 (月)

アサレン

 水泳学習、無事、終了。ほっと、する。
 
 と思ったら、
 明日から、球技大会や体育大会に向けての早朝練習(業界用語で「アサレン」)開始である。
 
 近藤も、お手伝いをさせてもらうことになっている。
 
 素直に、うれしい。
 
 
 
 「アサレン」は、勤務時間外である。
 
 管理職が、「やれ」とはいえない。
 
 やっていただける先生方に、ただただ、「感謝」するだけである。
(「アサレン」は、まさにボランティアなのである。保護者には、それを、知ってほしいと思っている)
 
 
 
 本校では、有志の先生方が、「アサレン」のお手伝いができる日に、名前を書き入れる。

 これも、「体育部の先生だけで『アサレン』をするのは、たいへんだ。みんなでやろう」という有志の先生と、それに賛同する校長先生ご意見で、自然な流れでできた、システムである。
 
 実は、システムというのは、これが大切なのだ。
 その時の「ひと」「もの」「こと(環境)」にあったシステムを生み出すということが、重要で、できあがったシステムそのものは、多様であって、いい。
 
 だから、このシステムが、来年も続くとは限らないし、続ければいいとも、思わない。

 ただ、本校の「子どもを伸ばすチャンスを少しでも広げたい」と思う先生方の総意から生まれたシステムなのである。
 
 
 
 さて。
 
 もちろん、近藤も、そこに、名前を書いた。
 
 「近藤」と、書いた。
 
 すると、後から書こうとした先生が、言った。
 
 「『近藤』って、誰?」
 
 
 
 おーーーーーい!!
 
 「近藤」って、俺だぞーー!
 
 
 
 つまり、その職員にとって、近藤は、「近藤」ではなく、「副校長先生」なのである。(07/06/01 ブログ参照)
 
 
 
 朝、7:30は、俺だって、勤務時間外だぞ! 
 
 「副校長」としてではなく、「近藤」として、「アサレン」をしてやる!! 
 
 などと、わけのわからないことを考える「近藤」、いや、「桂台小学校の副校長」なのであった…。

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2007年9月 9日 (日)

 この夏、『夢×挑戦ブログ』というものに応募した。(どんな特典があるかわからないが、衝動的に応募した)
 
 8月31日の「夢×挑戦ブログ通信 2007/08/31」というメールに、近藤のブログの紹介があった。
 
 
 
□『近藤浩人の独り言』

http://blog.superdry.jp/join/2007/08/post_04e8.html
夢は“よい先生になること!”と、衰えぬ向上心を持ち続けている近藤浩人さんのブログ。副校長になってもいち教師として、教育現場に接する真摯な姿勢が伝わってきます。教師を目指している方、必見です。
 
 
 
 この紹介文は、近藤のブログを読んだ方が書いてくださったらしい。

 自分で書いたものではない。

 歯が浮くような紹介文である。正直、恥ずかしい。
 
 しかし、「教育現場に接する真摯な姿勢が伝わってきます。」と、このブログを読んだ方が書いてくださったことは、素直に、うれしい。 
 
 
 
 近藤の夢は、今でも、「よい先生になること」である。
 
 道は果てしないし、自分の力のなさは、十分承知である。
 
 だから、まずは、「普通の先生になること」が目標であった。

 今は、「普通の副校長になること」が目標である。
 
 道は、険しい。 
 
 だからこそ、「夢」なのだろう。
 
 
 
 はるかな「夢」をめざして、
 
 明日も、朝、一番のバスで出勤する近藤である。

 
http://blog.superdry.jp/join/2007/08/post_04e8.html
↑このページをクリックし、もし、よかったら、そこに、このブログへの応援メッセージを書き込んでください。(ちょっと、ずうずうしいお願いですね。反省…)

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2007年9月 8日 (土)

まとめて、お返事

 ブログを続けていると、ひょんな方から、コメントをいただいたり、メッセージをいただいたりすることがある。
 
 うれしいことだが、なかなか、返信メールを送れていない。
 
 また、アドレスもお名前もわからないこともある。
 
 と、いうことで、本日のブログは、この夏コメントをいただいた方々へのメッセージ集としてみました。 
 
 
【未央さん】
 Birthday message ありがとう。さぞや、大きくなったでしょうね。(近藤先生には、1年生の頃の未央さんのイメージしかないのですが…)勉強もたいへんでしょうが、大いに青春を謳歌してください。
 
【いちごやさん】
 Birthday message ありがとうございました。もし、よろしかったら、お名前をお教えください。近藤の面識のある方でしょうか?
 
【タツゴンさん】
 コメントありがとうございます。近藤の小学校生活の原点は、タツゴンと一緒に学習していた「東戸塚小学校」の教室の風景です。あらためて、自分の仕事の影響力の大きさに身震いする思いです。
 
【ときさん】
 コメントありがとうございます。長崎でレストランですか。すばらしいですね。ご商売の益々の繁盛とご健康を、横浜の地から祈っております。

【真母さん】
 もちろん、覚えています!忘れるわけないよ、初任校の教え子を…。メールもらえてうれしかったです。でも、何で、このブログを知りましたか??白山小学校に行ってみたいなぁ。
 
 
 
 個人的にお会いしたり、メールを送ったりできる方々(「JUE5期生」やら「実習生M」やら「こすぎ」やら…)については、割愛させていただきました。
 
 今後とも、おつきあいのほど、よろしくお願いいたします。

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2007年9月 7日 (金)

臨時休業

 朝、5:40頃、起床。
 
 「暴風警報」確認。
 
 出勤。
 
 朝、6:30頃、学校到着。
 
 7:00 ネットで「暴風警報」確認。
 
 次々と、学校の電話がかかる。
 
 校長先生、台風の影響で、まだ出勤できず。
 
 学校には、近藤一人。
 
 校長先生の携帯電話に電話する。
 
 「臨時休業」確認の上、保護者に「メール配信」をする。
(「メール配信」とは、電子メールで緊急連絡をすることである。詳しくは、07/06/17ブログ参照)
 
 地域の教育サポーターに「臨時休業」を連絡する。
 
 今日、特別に来る予定だった給食アルバイトさんに連絡をする。
 
 次々に電話がくる。
 
 間違って、子どもが来る。
 
 先生方に、校舎を回ってもらい、安全確認をする。
 
 給食物資を業者が取りに来る。(本日給食中止。これは、調理員さんが対応してくださった)
 
 ブレイカーが落ち、一時的に、パソコンが使えなくなる。
 
 機械警備に不具合が出る。
 
 FAXが使えなくなる。(電話回線が、強風で機能停止したためである)
 
 まぁ、てんやわんやである。
 
 
 
 今日の出来事は、近藤にとって、非常に価値のある経験となった。
 
 何はともあれ、子どもの安全が確保できたことが何よりである。
 
 「天災は、忘れた頃に、やってくる」
けだし、名言である。
 

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2007年9月 6日 (木)

初任副校長である近藤の課題

 昨日、初任の先生が、相談に来てくれた。
 
 その初任の先生に、「自分だったらこうするけど…」というアドバイスをした。
 
 
 
 今日、その先生は、ほぼ、自分のアドバイスどおりの指導をした。
 
 しかし、子どもが、予想と違う反応をした場面があったそうである。
 
 そこを、実に、適切に、臨機応変に切り抜けた。
 
 思わず、「いいねぇ。上手だねぇ」とリアクションした。
 
 センスのある、初任者である。
 
 
 
 体育主任の先生が、

「副校長先生、市体育大会の早朝練習を始めるので、手伝ってもらえませんか。」 
と、言ってくれた。
 
 その体育主任の先生は、「どうも、最近、指導に自信がもてない」というような話まで、近藤にしてくれた。
 
 実に、センスのある、教員である。
 
 
 
 他にも、自分より年上なのに逐一教室の様子を教えてくれる先生、近藤のちょっとした話を身を乗り出して聴いてくれる先生、無愛想な近藤にいつも笑顔で対応してくれる先生、年下の近藤を適当にいじってくれる先生…。
 
 ありがたい、先生方である。 
 
 近藤が、何よりもうれしいのは、先生方が、「いろいろ話してくれる」ということだ。
 
 本当にありがたい。(実は、これは校長先生のご威光であるが、それは、敢えて、今回は書かないでおく)
 
 
 
 では、この先生方に、近藤は、何ができるか。
 
 「初任副校長である近藤の課題」である。
 
 
 
 少しでも、先生方に、「居心地の良い職場」を創り出す努力をしていきたい。
 
 実は、それが、「子どもにとって居心地の良い学校」づくりの、第一条件でもあるのだから…。

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2007年9月 5日 (水)

安全に、安心して、毎日を過ごせる学校

 台風接近。
 
 午後1時の情報によると、明日の朝、暴風雨が強まる可能性が強い。
 
 横浜市では、朝7:00の時点で「暴風警報」が発令されていると、臨時休業になる。
 
 子どもはお休みだが、先生は出勤である。
(もちろん、先生も、危険な場合は、自主的に有給休暇をとって、かまわないし、むしろそうした方がよい。子どもはお休みなので、子どもには迷惑がかからない)
 
 子どもが、安全に、安心して、毎日過ごせる学校を運営するのは、たいへんなことだ。(これは、どの仕事も同じである。当たり前の仕事を、当たり前にすることのたいへんさ。すごさ。プロフェッショナルは、「すごい」のである)
 
 
 
 今日も、給食があった。
 
 当たり前に、おいしい給食だった。
 
 これが、すごい。
 
 本校の給食調理員さんや給食アルバイトさんの仕事は、プロフェッショナルである。

 もう一度、書く。
 子どもが、安全に、安心して、毎日過ごせる学校を運営するのは、たいへんなことなのだ。(プロフェッショナルは、「すごい」のである)

 
 
 今日は、午後から、学校カウンセラーの方が来校し、希望する保護者と面談したり、気になる子の情報交換をしたりした。
 
 時間を多く割いた話し合いは、「子どものこと」そのものではない。
「子どもの保護者のこと」である。
 
 学校に来ている子どもは、大きな問題はない。しかし、家庭に問題がある場合がある。学校は、「子どもの教育」を本業としているので、家庭の教育にまでは、なかなか介入できない。
 
 これが、難しい。
 
 どの子どもも、一生懸命、生きている。
 
 どの保護者も、一生懸命、生きている。
 
 しかし、十分な教育的環境でない場合がある。
 
 学校が、どこまで、子どもの人生に介入できるのか。
 
 学校が、どこまで、保護者の人生に介入できるのか。
 
 きわめて、具体的で、実名性のある、喫緊の「学校の課題」であると、近藤は、思っている。
 
 その中で、どの子も、毎日、安全に、安心して、毎日過ごせる学校を運営するのは、たいへんなことなのだ。
 
 
 
 先生方や職員の方々、そして保護者の「いっぱい、いっぱい」がんばりの中で、「普通の学校」が営まれている。
 
 
 
 もっと、自分も「がんばらねば」と、思うことの多い、本日であった。

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2007年9月 4日 (火)

給食開始

 給食開始である。
 
 給食というのは、想像を絶するほどの神経を使って、つくられる。
 
 衛生管理はもとより、配膳、給食指導、それぞれに細かいマニュアルやら心得がある。 
 
 
 あえて、言いたい。
 
 こんなに「衛生的な食べ物」は、ほとんどない。
 
 一年に約147食、350人の子どもが、安心して食べることができる給食。
 
 それを担っているのは、「たった」1~3名程度の給食調理員さんなのである。
 
 
 
 給食のありがたさを、多くの人に伝えたい。
 
 給食のすごさを、多くの人に伝えたい。
 
 
 
 給食開始の、酷暑の今日、あらためて、思ったことである。
 

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2007年9月 3日 (月)

子どもを前に話した後、考えたこと

 今日、朝会があった。
 
 地域で、子どもたちの安全を見守ってくださっている方々(これを横浜市では、「学援隊」と呼ぶことがある)の紹介をした。 
 
 久しぶりに、全校児童の前で話す。
 
 ちょっと、緊張した。
 
 あらためて、子どもを前にして、何かを語るというのは、たいへんなことなのだと思う。
 
 それを、毎日、やっている「学校の先生」というのは、すごい。
 
 
 
 この仕事(副校長)になって、
自分が担任だった頃、必死にこだわっていたことが、「たいしたことないこと」で、
自分が担任だった頃、普通にやっていたことが、「すごいこと」だったと感じることは、多い。
 
 
 
 例えば、子どもを前にして、話すこと。
 
 数ヶ月前まで、毎日、していたことだ。普通にやっていた。
 
 でも、これは、すごいことだ。
 
 今の仕事(副校長)になって、あらためて、思う。
 
 
 
 逆に、「研究授業」。
 
 担任だった頃は、一大イベントだった。今も、先生方は、必死に指導案をつくり、教室環境を整え、めいっぱい緊張して、「研究授業」をする 
 
 しかし、子どもの成長から見れば、「たいしたことない」。(教師の成長という観点で見ると、「たいしたこと、ある」のだが…)
 
 日々の何気ない授業の方が、はるかに、子どもの成長にとって重要な要素が埋め込まれている。
 
 そして、「研究授業」には、日々の何気ない授業の要素が、出るのである。
 
 「研究授業」だけ、とりつくろうとしても、見る人が見れば、わかる。
 
 だからこそ、「研究授業」は、厳しいのだ。  
 (と、授業者を外側から見ているような物言いをしている自分が、イヤである。自分も、授業に参加し、内側からの言葉で、語りたいのだ) 
 
 
 
 とにかく、日本の先生方の普通にしていることは、近藤に言わせれば、「もうちょっと、自慢してもよいこと」である。
 
 また、日本の先生方が「こだわっていること」の多くは「たいしたことないこと」でもあると思っている。
 
 
 
 だからこそ、教師は、「誇りと、自信と、誠実さと、謙虚さ」をもって、仕事をしなくてはならないのである。
 

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2007年9月 2日 (日)

「前方支持回転」への道

 本校の若い先生が、教員採用試験で、それまでできなかった鉄棒の技(前方支持回転)を、生まれてはじめて成功させた。
 
 ドラマである。
 
 近藤としては、その過程に、ものすごく興味があった。(8月27日のブログ参照)
 
 そこで、練習を始めてからの様子を、簡単に取材した。

 ドラマ「『前方支持回転』への道」である。
 
 
 
8月13日(月) 練習開始。一人で練習。
14日(火) 自宅近くの公園で、スカートを使って練習。ネットで動画を見て参考にする。
15日(水) 学校で練習。近藤が、30分ほど指導。
16日(木) 練習せず。
17日(金) 公園で練習。
18日(土) 公園で練習。
19日(日) 公園で練習。
20日(月) 学校で練習。同僚のアドバイスを受けながら練習。
21日(火) 公園で練習。近藤が「前方指示回転」の本を貸す。
22日(水) 近くの幼稚園で、1時間半程度、日体大の方に個別指導をしてもらう。顎を押す練習、ベルトを使って3回回る練習、遠くを見て回る練習などをしたそうだ。そこで、上手な人の前方支持回転を見ている。
23日(木) 練習せず。
24日(金) 練習せず。(試験のため、帰省)
25日(土) 試験当日。試験のための練習で、はじめてできる。その後、数回失敗はしたらしいが、試験本番で、見事に成功!
 
 
 
 簡単な、この記録に、指導上のポイントが、たくさん含まれている。
 
 ①約2週間の間に、その技ができるために必要な予備的な運動経験を蓄積している。
 ②練習の前半に、指導を受けている。
 ③2週間の間に、動画でよい動きのイメージをもっている。
 ④22日に、上手な人の動きを「ナマ」で見ている(感じている)。練習によって蓄えられた運動経験をもとに、さらに22日に質の高い個別指導を受けている。
 ⑤直前の二日間、練習をしていないことにより、「レミニッセンス効果」が生じた。

   
レミニッセンス効果
 レミニッセンス効果とは、いつもやっているスポーツとは違うスポーツをしたり、長期間の休みを取っている間に運動技能が上達していること。例えば、野球部の生徒が野球とは全然関係のないと思われるスポーツ(バスケット、サッカー、バレーボール等)をしているうちにいろんな神経(運動神経)を刺激して今までよりも複雑な動き(ボディバランスを高める、巧緻性を高める等)ができるようになって、今までよりも上達していることです。
http://www2.synapse.ne.jp/y-yokomura/ti-mudukuri.htm
 
 
 
 しかし、この先生ができるようになった、一番の原因は、「執念」である。
 
 「こうなったら、試験なんて関係ない。絶対、できるようになりたい!」
 「この2週間は、物干し竿を見ても、鉄棒に見えた」
この先生の言葉である。
 
この気持ちがあれば、できないわけがない。
近藤の指導の経験から、間違いない。
もし、できなければ、それは、指導が悪いのだ。
 
 
 
 若い先生の懸命に努力する姿が、近藤に、いろいろなことを教えてくれた。
 
 だから、人と共に学ぶ営みは、やめられないのだ。

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2007年9月 1日 (土)

夏休み、終了

 一昨日から、学校が始まった。
 
 
 
 欠席の連絡電話。
 
 授業の確認をし合う先生方。
 
 登校早々、具合が悪くなり、職員室を訪れる児童。
 
 授業の準備をもって、あわただしく職員室を出て行く先生…。
 
 いつもの、朝の風景が、戻ってきた。
 
 
 
 朝の校内の見回り。
 
 校舎の解錠。
 
 新聞や郵便物の整理。
 
 そして、校門での、子どもの出迎え…。
 
 いつもの、副校長の朝も、戻ってきた。
 
 
 
 40日前と、同じ喧噪や活気が戻ってきた。
 
 40日前と、同じ学校生活が戻ってきたのである。
 
 
 
 いや、一つだけ、40日前と違うことがある。
 
 そう。成長した子どもである。
 
 顔ぶれは同じでも、子どもたちは、40日前に比べると、ずっとずっと成長している。
 
 
 
 夏休みに成長した子どもたちを、さらに健やかに成長させる手助けがしたいものだ。
 
 
 
 涼しくなった校庭で遊ぶ子どもを見ながら、ふと、そんなことを、思った。

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